7-2 硝子の時間
キーーンーーコーーンーーカーーンコーーン。
真夏の昼間。静かな教室に響く、チャイムの音。
生徒のほとんど居ない校舎に、変わらずチャイムが響くのは不思議な感じがする。
夏休みが始まって幾日か経つけれど、この僕・シモカワは、生徒会長の仕事で、何かと東和高校に顔を出していた。
東和は、夏休み明けから、体育祭、文化祭、修学旅行に文化研究発表会とイベントが目白押し。生徒会役員はその準備で、慌ただしい毎日を送る。
副会長であるシンジローや、書記であるカワハラも一緒だ。
もちろんアリバの戦士として、ハヤトさんからの呼び出しがあれば、すぐに出撃できるよう、心の準備は欠かさないようにしている。
「シンジロー。歴代の文化祭パンフのザッピングは済んだと?」
「うっ。それ、おれがやるんだっけ……?」
「あたりまえやんか。サボんなって」
「さ、サボッてなんかないぞっ! でも、おれ、事務仕事はニガテで……」
シンジローとカワハラがいつものようにやり合って、なかなか仕事は進まない。
こういうときは、ちょっとだけハヤトさんの気持ちがわかる。個性的なメンバーをうまくまとめて動かすのって、本当に大変だ。
「シンジロー先輩。それならワタシがやっておきましたよう」
僕の左隣から控えめな声。
「おっ。きがきくなー。ありがとう、コノミ!」
「あと、カワハラ先輩のお仕事も少しだけ手伝わせてもらいました。文化祭のポスターの彩色、同じクラスに美術部の子が居るから、話を通しておきましたよう」
「ヨンキュウー」
「くすっ。カワハラ先輩って、いつもおもしろいですね」
……いつのまにか、僕のそばにはコノミが居て、忙しい僕の仕事を何かと手伝ってくれるようになった。
シンジローや、あのカワハラとすらすぐに馴染み、仲良くやっている。
「……よし! あとはおれたちでなんとかなるから、ひと区切りして、おまえらは昼ごはんでも食べにいってこいよ」
シンジローが気を使うように言った。「いいのか?」という顔をする僕に、視線で不器用な合図をよこす。
「(いいっていいって。ほら。コノミとふたりきりになってやれよ)」
「……じゃあお言葉に甘えて。行こうか、コノミ」
「ハイ! どこへでもついていきますよう!」
僕たちは屋上へと向かった。
うす暗い階段を上がりながら、そっと手を繋ぐ。
コノミは控えめながらも手を握り返してくる。
◆
真夏の強い日差しが照りかえる屋上。
小さなひさしが作るほんの少しの日陰を分け合うように座り、コノミが作ってきてくれた弁当を食べた。
中身は僕の好物ばかり。なにげない普段の会話で、僕が言った話をしっかり覚えてくれていたらしい。
「美味い! うますぎる! こんなに美味い弁当食べたのは生まれてはじめてだよっ」
「くすっ。先輩おおげさですよう。ほんと、たいしたことのないものばかりなんですから……」
「いいや。本当だって。話したと思うけど、僕の家って、姉ちゃんと二人暮らしだし、姉ちゃんは看護師で忙しいからね。いつもコンビニとか冷食ばかりなんだ」
「……はい。それを聞いてから、ぜったい先輩にお弁当作ってこようって、そう思ったんです」
その言葉に、僕は今まで味わったことのない感動を覚える。
思えば、僕はそれなりに女の子にはモテるほうだった。でも、本当の意味でピンと来る子はおらず、恥ずかしながら女の子と付き合ったことがない。
なのにコノミとは、出会ってすぐに、心と心で通じ合ったような、そんな感覚があった。
この子に会うため、僕は生まれてきた。……そんな気持ちが。
「……コノミって、本当に僕の話をしっかり聞いてくれるんだな……」
「あ、ハイっ。ワタシって、口下手だし、話もうまくできなくて、先輩つまらないだろうから、せめて先輩のしゃべることは、ぜったいに聞きもらさず、しっかり聞こうと思うんです」
そんないじらしい言葉に、僕はコノミを抱きしめたいという衝動にかられる。でも、恋愛経験のない僕は、ついためらってしまう。
「……話か。コノミにはぜひ聞いてもらいたい話があるんだ」
アリバ。
僕が今戦っている悪意のこと。
そして仲間たちとのこと……。
「………………………………」
「会わせたいひとも居るしね」
「……………………ハヤトさんってひとですか?」
「そう。僕の兄貴分みたいなひとだよ」
ハヤトさん、そしてナミさんに、ちゃんと「カノジョ」としてコノミを紹介したい。
アリバや悪意のことを打ち明けるにしても、それからのほうがいい。
ずっとそう思っているのだが、なぜかコノミはハヤトさんと会うことに消極的だ。シンジローやカワハラのときは全然そんなことなかったのに。
僕だって、ふだんならハヤトさんみたいな年上の男に、自分の好きな子を会わせたいとは思わないだろう。だけど、コノミならと思った。
そしてナミさん……。
初めて見たときから、僕はナミさんに強くひかれていた。
そしてアリバのメンバーに加入し、近くで時間を過ごすほど、憧れを強めた。コミネさんほど露骨な好意じゃないけれど。
年上の女性へのひそかな憧れ、というのが近いだろう。正直、ハヤトさんがうらやましいと思った。
「……先輩……どうしたんですか……?」
「あ、ああ……ごめん。なんでもない……」
「あ。もしかして、他の女の子のこと、考えてました……?」
「う! ま、ま、まさかっ! そんなことなかって! オレはコノミ一筋やって!!」
思わず博多弁になってしまう。コノミはくすっとイタズラっぽく笑って、
「…………なあんてね。ジョウダンですよう」
「……………はは」
女の子って時々すごく鋭くなるからコワイ……。
◆
今日の仕事に区切りがつき、僕はコノミと並んで、カタギリ家までの路地を歩いた。
空気を読まない人間爆弾のカワハラは、シンジローがうまく引き離してくれた。
今日はハヤトさんから事件の連絡は来ていないけど、とりあえずカタギリ家に行くのが夏休みの日課になっている。
ヤノさんたち大学生チームもみんな顔を出すものだから、連日、ハヤトさんの部屋は大勢がワイワイ、とても賑やかだ。
けれど本当は、もっとコノミと一緒に居たい。このままみんなのところへ連れていければ……いつも考える。
「…………じゃあ、また明日な。コノミ」
けど、明日になればまた会えるんだ。
「…………せんばい」
「ん?」
コノミが名残惜しそうにするのはいつものことだけど、今日はいつもにも増して深刻な顔だった。心配になる。
「…………ワタシ、せんぱいに……言ってないことがあるんです……」
「…………厳しいという家のこと?」
コノミは父子家庭で、ものすごく厳格な父親が居る、とだけは聞いている。ウチも姉と二人だけの家族だから、シンパシーを感じ、それでコノミとの心の距離が一気に縮まったというのもあった。
「…………いいえ、それもあるけど、それだけではないんですよう……」
「言って。僕じゃ頼りにならないかもしれないけど、コノミの問題は僕の問題でもあるから。ふたりで一緒に考えて、乗り越えよう」
「せんぱい……そんな……やさしいこと言われたら……もっと好きになっちゃいますよう……」
「いいよ。どんどん好きになってくれて。僕だってどんどんコノミのこと好きになってるんだ。それになんの問題がある? かりにもし、僕たちの邪魔をしようとするモノが現れたなら……」
ズバッ!
宙を切り裂くように右手を払った。
オレンジ色の粉を散らしながら、流星のように炎が流れた。
「……僕が燃やし尽くしてやる」
◆
結局、今日は悪意との戦いはなかった。ハヤトさんの部屋で格ゲー大会したり、トランプしたり、パーティゲームで盛り上がりながらも、僕の頭の中はコノミのことでいっぱいだった。
そして帰宅して ――
「……なーにタソガレちゃってんのー?」
自宅の台所。
すぐ間近にキレイな顔があってビクッと驚く。
姉ちゃんが、口と口が触れるくらい近くから、僕を見ていた。
「ち、近いよっ姉ちゃん」
「いいじゃーん。わたし、あんたのこと好きなんだからー。あんたもわたしのこと好きでショ」
姉はガバッと抱きつき、柔らかい身体を押し付けてくる。
……そう。僕はいわゆる重度のシスコンだった……。
今までマトモな恋愛ができなかったのも、この距離感のおかしい美人の姉の存在が大きい。
「…………ふーん。女の子のことか」
「………………………………!」
どうして女性というのはみんなこう鋭いんだろう。それとも僕がわかり易すぎるのか?
「我が弟ももう17歳。そろそろ、いろんなコとエッチしたい年頃かー」
「そういう問題発言はやめてよ、姉ちゃん……」
東和高校の生徒会長として、下級生のコたちに憧れられている僕だけど、姉にイジられてるこんな情けない姿は、とても見せられない。
「それに、コノミは……そんなんじゃないんだ」
「ふんふん。コノミちゃんね。メモメモ」
「姉ちゃーーーーーん」
「ふふ。うそうそ。でも、あんたがそこまで思いつめるなんて相当ね。このわたしというものがありながら、そこまで惹かれるなら、ホンモノだわ」
「うん。コノミは…………特別だと思う」
「いい? そんな子はなにがあっても手放しちゃダメ。命を賭けて、あんたの全身全霊のチカラ、すべてをもって、護ってあげなさい」
「…………姉ちゃん…………」
「そういう相手と、めぐり逢える人間ばかりじゃないんだからっ。結末とか、何が正解だとか、まわりのこととか、そんなの気にしちゃだめ。行けるとこまで突っ走るのよ!」
姉ちゃんはくすっと笑った。この笑いが僕は好きだ。
「あーあ、と。わたしにも早くそーいうひと、現れないかなー。いいかげんオトウト離れしないと」
「それはそれでなんかイヤだ」
思わず言った僕のオデコに、姉はチュッと軽いキスをした。
ぴぽぽぽぽぽぽぽ。ぴぽぽぽぽぽぽぽ。
突然、電話が鳴った。
時間は夜九時。こんな時間に誰だろう?
ものすごく嫌な予感に寒気がした。
僕はおそるおそる電話に出る。
『…………………せンぱイ……………………』
「こ、コノミ…………?」
その声を聞いたとき、電話がまるで氷のカタマリのように冷たく感じた。
ヒステリックに笑っているような、哀しみにむせび泣いているような、不思議なコノミの声音。
僕の心臓が強く鳴りだす。
『…………せンぱイ…………センぱい…………わタ…………し…………ググ…………ガ…………タシ…………モう…………だメですよう…………おとーさんヲ…………おとーさんガ…………はいキしょぶんにッテ…………シっパイさクって…………ナンども…………なんドモ…………もう…………イらなイっテ…………だカラ…………コロしテ…………コわシて…………』
「こ、コノミ! どうした? なにがあった! しっかりしろ! いまどこだ? すぐ行く!」
僕は、自転車のカギを拾い上げると、察したように強くうなずく姉に見送られ、表に飛び出した……!
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