【和風ファンタジー】海神の社 第七話【誰かを守れる人間になれ】
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あくる朝。希咲は宮部に会いに屋敷を一人で訪れた。海神《わだつみ》の社《やしろ》を離れるのは本当に久しぶり、七年ぶりになるのだった。
宮部家の屋敷は荘園の中央にある。周囲に山茶花《さざんか》で垣根をめぐらし、外からは桜の木が何本も見える。桜の葉は色づいて落ちるのを待っていた。
檜造りの優美な屋敷は、垣根の外側からはあまりよくは見えない。一階建ての広々とした建物を四つ、屋根のない渡り廊下でつないでいる。そこから北側には、召使いたちが仕事をしたり寝起きをする棟《むね》がある。
宮部に父母はなく、伯父の一族と共に暮らしていた。火の神の『荒の変り身』にしてやられたと宮部尚紀《みやべ なおき》は聞いていた。
「良かったな、本当に」
宮部は自室に、同じ華族の友人である希咲を迎え入れると、そう一言だけ言って、後は黙って酒肴《さけさかな》を、屋敷で働く下男に命じて出させた。
「朝から酒かと手古名《てこな》には言われそうだが、これは祝いだ。遠慮なく呑《の》んでくれ」
南に向いた広々とした部屋が宮部の居室であった。今はふすまを全開にして、大きな庭が一望できるようにしてある。
召使いに運ばせた酒肴は、酢漬けの海の魚と根菜類だ。塩とみりんで味をつけてある。
「大陸産の金魚を手に入れてな、庭の池に放った。あっという間に大きくなったよ」
広い庭に合わせて、池もかなり大きい。金魚は離れたところにいたが、近くに寄らなくても希咲の目にはその金魚が見えた。子どもの頭ほどの大きさになっていた。ひれをひらひらさせて、ゆうらりと泳いでいる。
「随分《ずいぶん》大きいな」
そうだ、あの時。海の魔神に捕らわれて、生きていた十人の子どもたちと同じ大きさだ。首だけになって生かされていた、あの子どもたちの頭部と。
それ以上苦しまずに死なせるようにはした。額に穴を開けて、即座に命を断つように。
七年前のあの日、子どもたちは血を流して死んでいった。ああ、そうだ。こんな風に血がたくさん海に流れていった。この金魚のひれみたいにひらひらしていた。
荒御魂《あらみたま》が鎮《しず》まったので、海も静かになっていた。雲と雷光を呼び出すのを止めたら、直《す》ぐに空も晴れた。海は青く澄んだ。
青く澄んだ海に、赤い血がたくさん流れていった。
「おい、希咲、どうした」
「あ、尚記《なおき》、済まない。いま考え事をしていた」
「別に謝らなくていい。ま、何を考えていたかは大体想像がつく」
宮部はそれ以上何も言わない。下手な慰めは逆効果になるとと分かっているからである。希咲の方も、尚記《なおき》の気遣いには気がついていた。
宮部は話を変える。
「金魚は池に五匹いるんだ。こちらの硝子《がらす》鉢には三匹。大きさが何倍も違うだろう。金魚は器に合わせて大きくなる」
「あんなに大きくなったのを見るのは初めてだ」
「鷹見はあの村にいるより、お前に着いてきて良かったな。大きくなれたんだ。この池の金魚のように」
「そうかも知れないが、それが彼の本当の幸せなのかは分からない」
「幸せに決まっている」
「何故そう言い切れるんだ」
尚記の物言いがあまりにも確信的であったので、希咲はつい訝《いぶか》しげな顔になる。
「少なくとも、決して後悔はしていないだろう」
「後悔か。これからさせるかも知れないな」
「おいおい、どうした? せっかく元の姿に戻れたのに気が晴れないようだな」
「私は鷹見の『気』を受け取る時、鷹見が知らないのを知っていた。彼がそれで苦しむのも分かっていた。でもやった。子どもたちも。鷹見は私に着いてくるより、もっと幸せな暮らしが出来たと思えてならない」
「鷹見自身が選んだ道だ」
希咲はもう何も言わなかった。
「また鵺《ぬえ》が出たのか」
鷹見は意外な報告に驚いていた。昨夜退治したのは確かだ。それなのに何故だ、と思っている。
今は猛狼と一緒に、荘園の離れの希咲の屋敷に来ていた。屋敷の中には、御霊狩りのための詰め所がある。詰め所への出入り口は、屋敷の玄関とは別になっていた。
鷹見は今は、宮部の下から希咲の下に戻っていた。希咲と海神の社の『癒やしの森』で会ったのが昨日の昼近く、今日の昼にはもう宮部がそう決めてくれた。よって、ここの詰め所に自在に入れるようになった。
「宮部様、これまでありがとうございました」
「なに、永《なが》の別れになるわけでもなし、大げさな言い方はするな」
宮部はいつもの軽やかな態度で自邸の詰め所から鷹見を送り出してくれたのだった。
南城希咲の屋敷は、宮部の屋敷と比べるとこぢんまりとしているが、造りは簡素でありながら隅々まで行き届いた上質さがある。
「まさに、聖域の中だな、ここは。依り代様の中でも、際立ったあの方には相応しい」
猛狼が感心して言う。
聞くところによれば、単なる大工・職人ではない、社《やしろ》を作る宮大工に任せたとの話だ。入っただけで、身の引き締まるような清々しさを感じる。
宮部配下の猛狼は、本来なら希咲の屋敷の詰め所には入室を禁じられているが、猛狼は以前より、希咲から信頼と許可を得ていたのだった。
「ようやくここに戻って来られた」
鷹見は感慨深げに言う。檜《ひのき》造りなのは宮部の所と同じだが、より簡素で骨太な造りになっている。
「おめでとう、と言っておくぞ」
猛狼は軽く鷹見の肩を叩《たた》いてみせた。
「ありがとう。それで鵺《ぬえ》の話はどうなっている」
「荘園の外に出た者は皆死んだ。内側にいて、遠くにいるのを見た者が一人いるだけなんだ。その女はは御霊狩りでも華族でもない。だから言っている中身にはさほど信用が置けない。嘘《うそ》をついているとは思わないが」
「そうだな、常人ならまず《荒の変り身》を見て平静さを保てない。まして事態を正確に観察するなど、まず出来るわけもない」
「そういうことだ。まあ、少なくとも一匹鵺が出たのは確かだ。また二人で行くしかないな」
猛狼はわざとらしく、やれやれといった風に見せた。気を楽にさせようとしているのだと、鷹見ちは分かる。
「なあ東、俺は田野辺宮津湖《たのべ みやつこ》の応援を頼みたい」
ここで思い切って言ってみる。鷹見の方でも自分に辛く当たってきた宮津湖に対して、全く隔意《かくい》がないわけではない。今は不吉な予感がしていたゆえに、彼の力を借りねばと考えた。鷹見は自分の勘をおろそかにしない。
「宮津湖とは仲直り出来たのか?」
「正直なところ、彼にはまだわだかまりがあるようだ」
「やれやれ。オレたちがいくら言っても聞かなかったからな、今さら気まずいんだろう。で、奴はどこにいる?」
返事をするように猛狼の背後から、
「ここだ」
と、声がした。
「……お前、いつの間に?」
問いながら、猛狼はゆっくりと背後に向き直る。
「背中を取られるまで気がつかぬとは不覚だな。東《あずま》、俺には何も気まずいことなどない」
「何を勝ち誇っているか。オレは気がついていた」
「ほう、とてもそうは見えなかったが、そういうことにしておいてやろう」
冷ややかにも理知的にも見えるまなざしで猛狼を見据《みす》える。
「そうだ、今は過去にこだわる場合ではない。宮津湖、頼んだよ」
鷹見の言に宮津湖はうなずく。
三人は闇夜の中を、荘園の外に出て行った。
続く
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