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【クリエイティブ生活】なぜ悲劇やビターエンドがエンタメとして通用するのか?【英雄性・ヒーロー性】

 悲劇とはバットエンドで、議論や解釈分かれの余地のない悲しい終わり方だと考えている。ビターエンドは『甘さもあるが苦味もある終わり方』で、解釈が分かれる(解釈の余地のある)終わり方とも言えるだろう。

 私はガチ悲劇的ラストを書いたことは未だに無いが、ビターエンドは何度かやった。いわゆる『なろう作家』とか『なろう小説』と呼ばれる流行作家や流行の小説が幅を利かせる界隈では、著しく評判が悪い。

 好きだと言う読者もいる。だが、Twitterを通して見たウェブ小説界隈では、決して主流ではないのは事実だ。だから物議をかもしたのである。

 なろうの流行小説はエンターテイメント小説だと言われる。エンターテイメントとは何か? それは願望充足のためのフィクションだと言われる。

 だからハッピーエンドにしなければならず、読者にストレスをあまり与えてはならず、先の展開を安心して読むことが出来るようにしてあげて、小説を通して承認欲求を満たすのが肝心だ。

 そうした『願望充足による快楽』を与えるのこそがエンターテイメントである、と。

 それは大まかに言えば間違ってはいない。問題は、人間の願望は多種多様であるということだ。

 甘いミルクチョコレートが好きな人もいれば、カカオ8割以上のビターチョコレートが好きな人もいる。往々にして、なろうの流行を中心とした界隈では、忘れられがちなことである。と、言うより、あえて無視しているのだろう。

 はっきりと言われせてもらえば、『甘いミルクチョコレートだけがチョコレート』と言わんばかりの界隈の空気が、論調が好きにはなれない。それが正直な気持ちである。

 その上で、悲劇やビターエンドを好む人は、なにゆえにビターチョコレートを食べたがるのかを私なりに考察した。

 それほ英雄性やヒーロー性への憧れ、志向である。

 フィクションでなく現実だと特にそうだが、困難を乗り越えた人に、多くの人が魅了される。もちろん、万人に好かれる人はあり得ないし、人気が出て有名になるほどアンチも発生する。それは当然として、一般論として困難を乗り越えた人に人々は、大衆はと言ってもいいが、魅力を感じがちである。

 であるから、苦難を乗り越えてゆくヒーローに、あるいは英雄や勇者に、大衆は魅了される。苦難を乗り越えた先に待つのは何か? それはもちろんハッピーエンドであっても良い。

 しかし真の英雄性は、太古の昔からむしろ悲劇性の中にこそ強く描き出される。

 それは歴史上の人物の大衆人気には、特にはっきりと現れている。神話や伝説もまた、そうした悲劇の英雄物語が多い。

 悲劇に見舞われてもなおくじけない精神、死んで後も残る名声と英雄の遺志。そんなシチュエーションに大衆は心惹かれる。(大衆は。あえて主語を大きくしておく)

 そこまであからさまに悲劇的ではなくとも、ビターエンド的なほろ苦い感じが好きな人もいる。

 大衆は輝かしい成功者に感情移入して惹(ひ)かれるが、派手にやってる奴、調子こいている奴を嫌いもする。嫉妬もする。その違いは紙一重で、人によっても受け止め方が違う。

 であるから現実の成功者は、マスメディアによって称賛されると、一方で叩かれもするのだ。マスなメディアのみならず、インターネットの評価はさらにその傾向が顕著である。

 エンターテイメントにおいては、主人公をあまり調子こかせず、こかせたら何らかのペナルティを与えるのも一つの手法である。その手法の一つが、ビターエンドというわけだ。

 また、こうも言える。

 解釈を一つに縛られないと落ち着かない読者は多く、なろうの流行に関して言えばそちらが主流なのは事実だ。

 一方で、解釈は読者にゆだねて欲しいと望む人もいる。作者からの一方的な押しつけを嫌うのだ。ハッピーエンドであれば主人公は作中で全肯定され、ほぼ全面的に正しいとされたことになる(例外もあるだろうが)

 ビターエンドなら、そうではない。解釈は読者にゆだねられる。ほろ苦いチョコレートは、甘いお菓子なのか? それとも苦味を楽しむ嗜好品なのか? それぞれの受け止め方しだいだ。

 だから、「ウェブ小説は無料ですが、代わりに読者は貴重な時間を使ってくれています。その時間を無駄にしたと言われないように、小説の終わりはハッピーエンドにしましょう」などと匂わせる界隈には、私はいられないか、ケンカ上等で乗り込むしかない。

 ケンカ上等は不毛である。だから住み分けたほうが良いと考えている。最新のTwitterの仕様変更は、広く拡散するには向かないが、住み分けやすくはしてくれたようだ。私にとっては、大変素晴らしい改良である。 

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