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英雄の魔剣 9

──水車小屋の娘はどうした?
 アレクロスは忘れてはいない。息を整え、燃えたぎり過ぎた闘志を収める。
「あそこに」
 セシリオは河川サーペントの巨体に隠れた何かを示した。王子はじっとその指し示す方を見る。母親にそっくりの淡い栗色の髪が、水草の群生のごとくに、水に揺られてゆらゆらとしている。
「死んでいるのか」
 王子はそう口にした。
「いいえ、その娘は生きています」
 セシリオが断言する。ならば確かであろう。アレクロスはうなずいた。
 娘の体は完全に水面下に沈んでいる。息が出来ないはずだ。だが生きているということは。

「セシリオ、どういうことだ」
 親友はほんのわずかの間だけためらったが、理由を話した。
「半魔物化、ですね。それ以外には考えられません」
 それを聞いてアレクロスはため息をついた。半ばは予想していたが気が重くなる。
「元に戻せるか」
「分かりません」
 無情な答えでああるが、それが事実であるなら知らされるべきだ、とも思う。
「出来れば救い出してやりたいが、危険はないか」
 それには即答は出来なかったらしく、第一公爵家の嫡男は王子のかたわらに進み出た。
 アレクロスはまだ水に浸かったまま、水車小屋の娘を見つめている。セシリオも川に入ってきて娘を見る。

「危険はございません──我々には」
 我々には。その意味するところをアレクロスはすぐに悟った。
「出来れば殺したくはない」
 ゆっくりとセシリオに向き直る。その顔をじっと見つめた。
「何とかならないのか」
「出来なくはありません。必ず成功するとは申し上げられませんが」
 人間化か。それは建国以来の研究課題である。
水車小屋の娘の場合は元に戻るだけだ。だが元が魔物なら人間になってもらうことになる。どうしてもそうなってもらわなくてはならない。でなければ、我々が死ぬ。あるいは死ぬより酷い苦痛を味わう羽目になる。
 水車小屋の娘が人間に戻らなければ、その時は殺すしかない。せめてその時は、目をそらさずに自分の手で殺してやろうと思う。
「魔物狩りはひとまず止めて王宮に戻る。この娘を連れて」 
 王子の命令を聞いて、後ろで見守っていたサーベラ姫が心配そうに言う。
「母親にはどのように伝えましょうか」
「ありのまま言うしかあるまい」

「正体をお明かしになるのですか、王子殿下」
「違う。だが一介の騎士ながら、大貴族にツテがあると言おう。貴族同士や王宮での人のつながりは平民にはくわしくは分からぬ。怪しまれはしないだろう」
「分かりました。それでよろしいかと存じます」
 サーベラ姫はうやうやしく頭を下げた。
「そのような振る舞いはよい。他に見られたら、それこそおかしいと思われるではないか。ここだけでなく、王宮でももっと自然にしていてよい」
「は、かしこまりました」
 サーベラ姫は丁重にうなずく。
 元々の気質もあるため、すぐには態度が改まりはしない。王子は急な変化を姫に求めはしなかった。

 王宮に戻ってきてからアレクロスは二人に言った。
「俺の考えを言おう。相手の駒を取る。その意味が分かるか」
 鎧を身に着けたままである。第一公爵家の兄妹は静かに座っている。ここは王宮の数ある部屋の一つで、今はほとんど使われていない。ひっそりと隠れるかのように、若者たちは親たちに知らせずに話し合った。
「駒を取る、とおっしゃいますと?」
 セシリオも、このときばかりは意図を捉(とら)えかねているようである。
「魔物を我々の側に引き入れるんだ。お前たちの魔術で人間化するかどうかはともかく、味方にするにはどうすれば良いか考えてみようではないか」

「それは、私どもも前から考えていたことではありますが」
 サーベラ姫がそっと口を開いた。
「無理だと思うか、姫」
「分かりません。そのような試みは今までになかったことでございますから」
 だが、そう出来たら良い。サーベラ姫はそう考えているようである。
 「姫は優しいな。あのような研究がつらくはないか」
「……いいえ、つらくはございません。もっとつらい思いをしている者はたくさんいますから」
「そうか」
 その中に俺自身は含まれるのだろうか。そんな疑問があったが口に出さずにおいた。
「もう二人とも自室に下がってよいぞ。今日はご苦労だった」

「かしこまりました」
 兄妹は王子に会釈(えしゃく)をしてから出て行った。アレクロスは急にめまいを感じた。目の裏側で、制御出来ずに何かがぐるぐると回っている気がした。
──倒れる。
 近くにある椅子か卓に寄りかかろうとした。だがあと少しで届かない。そのまま支えを失って床に倒れた。金属製の甲冑が、派手な音を立てて、石造りの床にぶつかる。
 それでも何とか、鞘(さや)に入ったままの剣を杖代わりに立ち上がろうとする。

 それも果たせず、アレクロスは気を失った。

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