見出し画像

複雑さと曖昧さに耐えられないのは能動性の欠如である

 ここで言うのは現実の話ではない。あくまでもフィクションの話であり、しかも主人公に限定された話とする。さらに言うと、ハイファンタジーであり、現実とは違う世界の物語とする。

 たとえば『悪を裁く』といった物語があるとしよう。

 主人公は敵の事情など考えない。世の中、社会と言ってもいいが、その複雑さも考えない。ただ、自分が思うままに悪と断じた者を裁いてゆく。

 このような主人公にして、そのような物語を書けばよいと言われたことがある。

 さて、これは能動的な、あるいは男性的な、別の言い方をすれば問題解決的な態度だろうか?

 そう思う人もいるだろう。結論から言えば、私はそうは思わない。

 では、試しにこう書いてみよう。

 《裁き人》は、裁くと決めた敵の言い訳も聞かず、敵が属する組織の内実にも、全く関心を示さなかった。

 ただ、おのれが正しいと信じる通りに、敵を裁いた。敵はおびただしい血を流して死んでいった。奴が苦しめた人々の、万分の一でも償えたのだろうか? そう《裁き人》は思った。

 短いがここまでで終える。

 私が考えるに、人間の能動性は四段階あり、極めて能動的な、やや能動的な、やや受動的な、極めて受動的な、となる。

 さて、上記の主人公の《裁き人》はどうであるか? 極めて受動的な主人公になっているはずである。

 なぜ極めて受動的なのか? 状況の複雑さと曖昧さに耐えられないからである。

 単純ではない状況で判断し行動するには、高い能動性を必要とする。この主人公には、それがない。

 上記の小説の断片においては、状況は単純であり、主人公の判断も単純である。即決即断。一見したところは、男性的かつ問題解決的な態度に見えるだろう。

 では周囲の状況を変えてみよう。主人公の気質は変えずに、周囲の状況を、複雑かつ曖昧さのある状況にしてみるのだ。

 敵は動かなかった。なぜ動かないのか、《裁き人》には分かっている。背後にかばっている組織の娘のためだ。それでも《裁き人》は、やるしかないと考えた。

 そして実行した。

 おびただしい血を流して敵は死んでいった。奴が苦しめた人々の万分の一でも償えたのだろうか?

 《裁き人》は思う。背後にかばわれていた娘は悲鳴をあげた。娘に罪はない、のかも知れない。だが《裁き人》にはどうしようもなかった。

「知らない。俺はお前のことなんて」

 組織が助けていた連中など知らない。今殺した敵が苦しめた人々の犯した罪など。

 俺は知らないんだ。

 《裁き人》は、それ以上何も考えず、何も聞こうとはしなかった。

 はい、だいぶ印象が変わったと思う。極めて受動的なままで、複雑な状況に放り込むとこうなる。

 では次に、極めて能動的な主人公で、同じように複雑かつ曖昧な状況に放り込んでみよう。

 《裁き人》は敵を断罪した。全ての責任を引き受ける気だった。自分の信念の欠陥にも、自分の行為の結果からも目を逸らさずに。

 敵はこれまで、どれだけの人々を苦しめてきたことだろうか。

 敵の背後にいた幼い娘、敵がかばっていた娘は悲鳴をあげた。そして泣き出した。

「大丈夫だ、君は殺さない」

 はっきりとそう告げる。それでどの程度、その少女が安心するのかは心もとないが。それしか言えないし、できないのだ。

 敵は、どうしても倒さないわけにはいかなかった。

──敵の組織がかくまっていた人々も被害者だったんだよ。

──敵が苦しめた人々も加害者だったんだ。

 誰かの声が聞こえる、気がした。それは誰の声だろう。誰でもそんな事を言いそうな気がした。あるいは、自分自身の良心の声なのかも知れなかった。

 良心。

 自分の良心は何を告げているのか。

 これがあやまちだと? それとも正しいと?

 しばしの逡巡があった。こんな時、全く迷いも葛藤も感じる事なく行動できる人間もいる。

 一人、知っている。そんな男を。

 有能な男だ。《裁き人》としては自分より優秀だろうと思う。

 だが彼のようにはなりたくなかった。

 娘はおびえて泣き続けてきた。それを聞きながら、どれだけ迷っていただろうか。

 やがて《裁き人》は娘に背を向け、そのまま置き去りにして去った。

 このまま街の警備隊が保護してくれる。そう分かっていた。

 と、少し長くなったが、ここで終わりとする。

 複雑な状況に放り込まずに、単純明快な善悪の世界で良いとする考えもある。それを私は否定するつもりはない。

 ただ、それが全てではないし、絶対の正解でもないとは言っておきたい。

 さらに言うと、極めて受動的な主人公と、極めて能動的な主人公には、理屈ではないオーラの違いがあり、それはイラスト化すればなおさら際立つが、文章のままでもけっこう差が出るのである。

 もちろん、世界観、ストーリー展開、他キャラとの関係性、全てにこの能動性は関係してくる。

 だから、極めて能動的な主人公の物語を極めて受動的な主人公の物語にすればいいなどとは、到底断言はできないはずである。

 個人的には、極めて能動的な主人公のほうが好きだし、人気も出やすいと思っている。だが個人的な好みはともかく、人気に関しては統計を取ったわけでもないし、まあはっきり言えば市場によって需要は異なるだろう。

 少なくとも極めて能動的な主人公が、複雑かつ曖昧さのある状況に放り込まれた物語は、一定の需要は見込めるはずである。

 ここまで読んでくださってありがとうございました。また次回の記事もよろしくお願いします。

お気に召しましたら、サポートお願いいたします。