ウィルトンズサーガ【厳然たる事実に立ち向かえ】第3作目『深夜の慟哭』第64話
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ブルーリアはすぐに、失われた命の遺体を引きずって出てきた。魔法で重さを減らしてあるから大丈夫だと彼女は言った。
アントニーは青い髪と黒い肌の妖精に手を貸した。確かに思ったよりもずっと軽い。しかしこの魔法は、長くは続かず、どのくらい軽くなるのかも不安定なのだとブルーリアは言った。
「だけど私は、魔術の力には頼りたくないのよ。私には、それは自然な力ではないと思えるから」
「自然な力ではない、ですか。そうかも知れません。ですが、きっと人間の為す事の大半は人為、すなわち自然ではない事なのです。だから私は、人間であった事の証しとして、古魔術を使い続けたい」
「そうね。魔法は人間が使うには難しいもの。使えば魔女とされて、時には迫害されるわね。私は、そんな人間をたくさん知っているわ」
「私も知っています。私の領地では、できるだけ、庶民の民間に伝わる薬草術や、効果があるのか分からないようなまじないの類(たぐい)も、厳しく取り締まらずにいました。けれど、目に余る場合もありました。それでも、罪人とされた側にも、彼ら彼女らなりの言い分があったのかも知れません」
ここでウィルトンが、横から口を出した。いつになく物静かな雰囲気を、口調だけでなく全身から発していた。
「なあアントニー、過去にお前のした事が、全て正しかったとは思わないが、それでも俺はお前が誰より最善を尽くしたのだと信じているよ」
アントニーは、そっと息を吐き出した。長く、薄く、心を落ち着けるように。
「そうであれば、いいのですが」
「きっとそうさ。誰だってその時その時で、自分の思う最善をしているのさ。たとえ人からは間違っていると言われても、それでも。だけど、もしも自分が本当に望む生き方がしたいのなら、一度立ち止まって自らに問い掛けなくちゃいけないんだ。そう思う」
「問い掛ける、ですか?」
「そうさ。俺にとって本当の最善は何なのだろう? てな。」
しばらく沈黙が流れた。
「私は考えたこともありませんでした。自分がどうしたいのか、とは」
ようやくアントニーは、ささやくような小さな声で、しかし二人に聞こえるように言った。
ウィルトンは、うなずく。
「これは俺の勘で、何の根拠もあるわけじゃないが、デネブルは自分がどうしたいのか考えていなかったように思う。明主と言われていた時も、その後に俺が知るような悪の支配者になってからも」
「ねえ、ロラン君のために早くこれを持ってゆきましょう。話は後でもできるでしょう?」
「ああ、そうだな。ここを出よう」
アントニーも同意した。ロランは外に置いてきたのである。連れてきてもよかったのだが、草がやわらかで、花々も咲き始めた外で、代わりとなる命無き肉体を見せてやりたかった。
「ここも、さらに綺麗になったな」
ウィルトンは、あらためて周囲を見渡した。
気がつくとあたりは、以前からあったオパールのような色合いが、つまり、細やかな淡い虹色の光の粒のようなものが散らばっている様子が、ますます明るくはっきりしたものになってきた。
だが、まぶしくはない。光は穏やかで、そして美しかった。
アントニーとブルーリアの二人で、ロランのための肉体を運びながら、よりいっそう美しい光に満たされるようになった洞くつを出た。戻る際に、水の流れを渡らねばならなくなった時、ウィルトンは、
「俺が背負っていくぜ」
と言って、その言葉通りにした。
一行は外に出た。外もまた、明るく和やかな光で照らされ、地面は花々で満たされるようになっていた。
「まあ、綺麗な花!」
ロランが少し離れたところから駆けて来た。花を三輪ほど手にしている。
「お待ちしておりました! 薬草茶を淹れて差し上げられたらいいのですが」
「いま生えている草には、良い薬草があるはずよ。お湯は私が沸かしてあげるわ」
「ありがとうございます、ブルーリアさん! あ、それはもしかして……」
ブルーリアは、明るい笑顔を見せた。
「そうよ、持ってきたわ。アーシェル殿とあなたたちが呼ぶ貴族の領主の母違いの弟の体よ。もう今は生命(いのち)のない体。でも、とても素晴らしい美男子なのよ」
黒い肌と明るい髪の妖精は、遺体を包んでいた布を取り除いていった。彼女の言う通り、アーシェルとよく似た、金髪で凛々しい青年の肉体が現れた。まるで生きているかのように、みずみずしく若々しい肉体そのままであった。
「この方の体を僕に……」
ロランは、半ばぼう然としていた。嬉しさよりも、気おくれする思いが先に立つようであった。
「そうよ、遠慮しないで。きっと彼も喜ぶわ」
「本当に? 本当に、僕がこの体をいただいて、その人は喜んでくださるんですか?」
「立派な貴族の部下として、忠実に使える者に、そう、聞いていたわ」
「それが、その体の……エーシェルさんの願いなのですか?」
「そうよ」
ロランの、人間の目ではない、黒い木製のボタンで作られた目がふるえた。もしも流せるものなら、喜びの涙が流れたはずだった。
続く