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【サスペンス小説】その男はサイコパス 第10話

 事情聴取のため、水樹と時道老人も別のパトカーに乗せられた。

 知也は犯人と思しき女と同じ車に乗せられていた。まるで呉越同舟だな、と皮肉な気分になる。それでも警官は、席を後部座席と助手席に分けてくれた。後ろに乗せられたのは女の方だ。

「おまわりさん、弁護士に話はできますよね」

 運転席に座る、初めから来ていた若い方の警官に確認した。この警官は知也が危険を冒しても、水樹と時道老人を逃したのも知っている。

「はい、一応は」

 一応は? 知也はそれを聞いて思う。一応も二応もあるものか。それが容疑者の権利だ。どんなに明確な現行犯でも凶悪犯でもその権利はある。だが警察の立場としてはこうした物言いになるのも仕方ないのだろう。

「別のパトカーに乗っている鷹野水樹は弁護士なんですよ。彼と話をする権利が俺にはあるはずです」

 彼と話ができますか? と、おうかがいを立てる物言いはしない。しかし決して居丈高にも攻撃的にもならない。あくまでも冷静に。

「分かりました。署に着いてから上に話してみます。まああなたには不本意でしょうが、これも仕事なんでね。詳しい話は署で聞かせてください。鷹野さんたちの証言もあるでしょうから、お話の内容によっては悪いようにはなりませんよ」

 おそらくは個人的には知也に対し、悪い感情を抱いてはいないのだろう。けれどこれは彼の役目なのだ。警察官は、サイコパシースペクトラムの持ち主が多い職業の一つだ。さもありなんと知也は思う。

 もちろん、警察官にしろ弁護士にしろ、全員がサイコパシースペクトラムの持ち主であるわけではない。現に水樹は全く違う。ただ、そうした特質を持っていた方が有利になりやすい職業だとは言える。

「過剰防衛になりそうですか? おまわりさん」

「私からは何とも言えませんが、あなたは二人を助け、事件の容疑者逮捕のために協力してくれたのも事実です。仮に過剰防衛であったとしても、逮捕できたのは自首してきたからです。心証はきっと悪くはないですよ」

「なるほど、自首の扱いになるんですね」

 立場上はっきりとは言わないが、起訴はされないと考えられる。そうした意味だろう。警察が取り調べをしてから検察に送致する。つまり取り調べの内容を知らせる。検察はさらに捜査をして、起訴するかどうかを決める。

 上手くいけば送致すらされないで済むかも知れない。

「はい、身を守るために相手を傷つけた場合、動転して逃げ出してしまう人もいるんですよ」

「それは無理もないですね」

 『普通』はそうなのだろう。

「あなたはずいぶん冷静ですね。ケンカとか慣れていますか?」

「そういうわけではありませんが、うちは民事だけでなく刑事事件も扱う法律事務所です。いろいろ知っていましたし、心の準備もできていました」

「なるほど。日頃からご自身の万が一を考えていたんですね」

 そういうことにしておこう。確かにそれも理由の一つではあるが、一番大きな理由はそこではないのだ。生まれつき、脳に備わった性能。あるいは欠陥。

「……あんた化け物だね。あの男と同じ匂いがする」

 後ろから女が言った。女は未だに名を言わない。なぜナイフを持って時道翁の庭にいたのか、高木を包丁で刺したのかどうかも何も答えなかった。

「黙秘権の行使は止めるんですか?」

 皮肉ではなく純粋な興味から、知也は尋ねた。

 今は女のサングラスは外されていた。目元がはっきりと見える。思っていた通り美人と言っていい顔立ちだ。アイメイクのせいでそう見えるのかも知れないが、肌の色つや、鼻筋の通っていること、顔の輪郭の形の良さはそうそう誤魔化(ごまか)せないだろう。目力があり、ややキツめの美人に見える。

 知也の問い掛けには女は答えず、再び黙り込んでしまった。

 女の二の腕には、警官の手で応急処置が施されていた。幸い、そう、知也と女の双方にとって幸いなことに、傷はさほど深くはなかった。

 知也としてはこれで正当防衛が認められる可能性が上がるのを喜ぶ立場だが、頭の片隅では、あの時大きな悲鳴を上げてのけぞった女を「大げさだったな」などとも思ってしまうのだ。その程度の覚悟もなしに、屋敷にナイフを持って侵入してきたのかと。仮にお手伝いの高木を刺したのはこの女ではないとしても、重大な違法行為には違いないのだ。

 他に侵入した者がいる形跡はない。この女が犯人である蓋然性は極めて高い。

 高木は重傷で、病院から駆けつけた救急救命士によれば助かる見込みは薄いとのことだ。ちなみに、救急救命士も国家資格がなければできない仕事である。

 高木が死のうと生きようと心は動かされない。俺はできるだけの事はしたんだ。後は運と病院関係者の処置次第だ。余計な情を持ってどうなると言うのか。

──あなたって冷たい人ね。人の心がないのよ。

 別れた恋人の声が脳裏によみがえった。

「さよならだ、椿。俺から別れた方がいいんだろう?」

 知也は3年前の別れ際に告げた言葉をもう一度頭の中で繰り返した。

 そうだ、俺には人の心がないのだ。パトカーの窓の外を流れてゆく風景を見ながら知也は思う。その人の心を持たない男に、なぜ椿は執着したのか。

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