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【クリエイティブ生活】父性は敵であり味方でもある 2【創作物における2つの父親役】

 若い男性主人公がいるフィクションにおける、父性、父親像について。前回の記事はこちら。


 これは必ずしも実父や養父である必要もなく、何らかのコミュニティにおける父親的存在もあります。昭和くさいですが、上司や師匠となる中高年男性が職場の父親的存在であるなども。

 伝統やそれを象徴する権威もそうですね。『美味しんぼ』における海原雄山的な人物です🌿

 もっと大きなスケールで言うと、神であったり、王や皇帝などの権力者も、父性的存在です。

 さて、そうなると父性的存在とは、単純に自分を守ったり導いてくれる善き存在であるだけではないのです。

 守り、導き。同時に、抑圧し強制する。そんなネガティブな一面もあるのですね。

 また民放ドラマの話になりますが、『99.9 刑事専門弁護士』の中で、主人公の、若く変わり者ですが非常に切れ者の深山弁護士には、同じ法律事務所に、父親的存在の弁護士が配されていると過去の記事で書きました。


 これは善き父親像の方です。

 ネガティブな父親像も配されています。

 それは検察側の人間、別な言い方をすれば国家権力です。主人公にとってラスボス的な立ち位置の検察官は、やはり中高年俳優が演じています。

 現代日本には現人神も王も皇帝もいません。国家権力はあります。国家権力の一環である検察や警察は我々を守り、しかし時には冤罪事件を生んで人の人生を狂わせます。

 弁護士側の父親的な人物の佐田弁護士が、とても金持ちではあるが妻の尻に敷かれ娘には反抗され、主人公にもやはり昔ながらの昭和の父親的な敬意を抱かれているとは思えない、気さくな人柄であるのに対して、検察官ラスボス🌿はいかにも強圧的な威厳を漂わせた人物です。

 やはり今の時代、やたらと威厳を漂わせた中高年男性は主人公の味方側ではなくラスボス的になりがちなのでしょうか。そこはやはり、昭和的感覚そのままでは駄目なのでしょうね🌿

 父性的な存在のネガティブな側面とポジティブな側面が、一人の人物や一つの象徴の中に表現されるのもありますが(初期や中期の海原雄山と、彼の伝統的料理道はこのタイプと思います)『99.9 刑事専門弁護士』の中の検察側は、まだ組織に馴染みきれない若い検事を除いては、基本的にはネガティブな描かれ方をしています。

 検察側が生み出す冤罪と、それに対抗する刑事事件の専門弁護士の対立の構図のためです。

 要するに、父親的な存在については、ネガティブな側面だけを書くのはあまりよろしくないかも知れないが、同時にポジティブな側面も書けば、むしろ王道的になるって話なのです。

 ちなみに、『スターウォーズ』においては、ダース・ベイダーがネガティブな父性ならば、オビワンやヨーダが父性の善き側面を表していると思います。

 つまり、若い男性主人公は、父性のネガティブな側面とは戦い否定しなければむしろ駄目なのですが、ポジティブな側面は受け入れ、それによって成長や活躍するのです。

 それこそが真の王道だ!🌿

 そういえば、『銀英伝』のラインハルトは、その生涯の中でついぞポジティブな父性を受け入れることがなかった気がするのですが。それが彼の精神のアンバランスの原因かも知れませんね。

 ネグレクト野郎を父親と認める必要はこれっぽっちもないが、どこかでポジティブな父性を受け入れる必要はあったのでしょうね。

 

 ここまでお読みくださってありがとうございました。何かのヒントになれば幸いです。

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