リアリティというか、ある種の『生々しさ』について

 昔から映画を観るのが好きで、私の書く小説も、映画的なワンシーンを思い浮かべながら書く場合がある。

 多分そうすると、漫画やアニメ的なシーンを思い描くよりは、ある種の生々しさが出やすいと思う。

 で、この生々しさなるもの、人によって好き嫌いは分かれる。

 たとえばハイファンタジーにおける戦闘シーンである。

 敵を斬り倒した。もう残っている奴はいない。これで終わりだ。

と書くのが一例。

 敵を斬る。鮮血が散った。また返り血を浴びる。すべて倒した。あたりに血の匂いが漂う。

と、書くのが別な一例である。

 後者のほうが生々しさがあると思う。別な言葉で言えば、これを『リアリティ』だと思う人もいるだろう。私もそんな感覚でいる。

 この『リアリティ』なるもの、どうも私がTwitterXで見た範囲では、ネガティブな受けとめ方をされることが多い。

 おそらくは、その理由は二つあるだろう。

 一つは、創作論を読む人たちは、創作の初心者が多く、リアリティが何であるか分からないことだ。

 リアル(現実)をそのままフィクションに再現することなのかと(だったら、たとえば魔法なんて扱えない)誤解する人がいるからだろう。

 もう一つの理由は、私の推測だが、こうである。

 ウェブ小説の主流は、できるだけ現実と切り離された夢の異世界を提供することで、生々しさやリアリティは、重要ではない、いやむしろ邪魔ですらある。

 だが私の書くものや好むものは、傾向としてはある種の生々しさがある。そのあたりで「リアリティがあって、素晴らしい」などどウェブ小説以外のフィクションを褒めたたえると、まあ、気にする人もいるのだろう。

 商業で通用するには、あるいは趣味で書くのであっても読まれたければ、ある程度の受け線を狙わずには目的を果たせないのは事実である。

 一方で、商業にしろ趣味の世界にしろ、受け線はただ一つなんてことはない。

 ウェブ小説で受けなくても他では受けるかも知れないし、その逆も真なりだ。

 でもなぜか、受ける受けないの二極でしか考えることのできない人もいるらしく、だから私が「リアリティがあって素晴らしい」と言えば、私が褒めたそのフィクションと違って、リアリティレベルの低いものは駄目だと、そう受け取るらしい。

 私は今となっては、気にする人を気づかうのは止めたのである。

 まあ私の好みは漫画もあるが、実写の映画やドラマでもあるので、そのあたりを参考に、ある種の生々しさを好む傾向にはある。
  
 そして、漫画でも生々しさがあるものと、そうでないものがあるようだ。そしてそれはレーベルによっても異なる。

 たとえば同じ推理ものの漫画でも、マガジン『金田一少年の事件簿』は、サンデー『名探偵コナン』より、生々しさがあると思う。

 コナンの推理はどこかパズルゲーム感覚のようにも思えるが、金田一でパズルゲーム感覚はちょっと許されない。そんな感じである。

 ちなみにジャンプの推理漫画は、昔の漫画だが『あやつり右近』があった。パズルゲーム感覚ではないが、金田一ほどの生々しさはない。いかにも少年漫画的なエンタメ作品である。そんな塩梅であったと記憶している。

 『金田一少年の事件簿』に関しては思い出がある。

 失業してレンタルビデオショップでアルバイトをしていた苦しい時期に、いろんなフィクションを読んだりしたが、『金田一少年の事件簿』のアニメを社員割引で借りて見ていた時が、一番気分が楽になった。

 他はあまりにも現実離れした物語だったので、かえって現実がつらくなってしまった面がある。

 そんな意味で、『金田一少年の事件簿』の生々しさが、リアリティレベルの高さが、と言ってもいいが、割と私にはエンパワーメント効果をもたらしてくれたのである。

 私には、だ。他の人にはどうだか分からない。受けとめ方は人それぞれだからである。

 一方で受けとめ方は人それぞれだからこそ「リアリティや現実味、生々しさなどいらない、むしろエンタメ作品なのだから、現実離れした作品のほうが人を癒せる」とする言説にも全面的には賛同できない。

 やはりそれも、人それぞれだろうとしか思えないのである。

 

 ここまで読んでくださって、ありがとうございました。また次回の記事もよろしくお願いします。

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