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エドガー・アラン・ポー『盗まれた手紙』感想

 国書刊行会の『新編バベルの図書館』ボルヘス編纂の第一巻アメリカ編より、エドガー・アラン・ポーの『盗まれた手紙』の感想です。

 古典的名作のご多分にもれず、他の出版社の本にもエドガー・アラン・ポーの短編は収録されていますが、個人的に国書刊行会の出版に関する姿勢が気に入っているため、バベルの図書館を選びました。

 エドガー・アラン・ポーは推理小説というジャンルを作った創始者です。『モルグ街の殺人』がその第一作目ですが、この『盗まれた手紙』はその続編に当たるようで、同じ名探偵役のデュパンが謎を解き明かします。

 語り手である『わたし』は、デュパンの友人で、名推理を驚きと疑問とともに聞く役割です。シャーロック・ホームズの方が有名になったので、こうした名探偵の相手役をワトソン役と呼ぶのが多いですが、エドガー・アラン・ポーの書いた小説の方が先なのです。

 視覚に盲点があるように、思考にも盲点がある。人間のなすことは、数学を解くようにただ一つの答えを明快に解き明かすわけにはいかない場合が多い。だからこそ、数学者よりも詩人の方が推理に向いている、と名探偵は語ります。

 その後に書かれた多くの推理小説で、この思考の盲点を突くやり方が使われました。

 今回も、分かってみると「なあんだ」となりますが、一番最初にこれを思いついたエドガー・アラン・ポーはやはり天才ですね。コロンブスの玉子と一緒で、自力で思いつけなければ意味がないのです。

 個人的に推理小説の魅力は、特に古典的名作の場合には、単にトリックと推理だけでなく、人間模様への鋭い洞察やその語り口にこそ真の魅力があるのではないかと思っています。

 案外こうしたことが、現実の人間理解にも役立つのではないでしょうか?

 私はそう思いました、皆さんは、いかがお考えになりますか?

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