人生あるいはコミュニケーションの応用編
大げさなタイトルになってしまったが、個人的な体験を書くだけである。
人との会話において、通常は相手に共感してあげたほうが良いと言われる。
たとえば曇り空の日、相手から「いい天気ですね」と言われたなら、少し「?」と思っても、「そうですね」と答えたほうが無難という話だ。
わざわざ「いえ、今日は曇りですよ。あまり良い天気とは言えないのではないでしょうか」などと言わなくていい、と言うよりむしろ言わないほうがいい、そんな話である。
しかし私が思うに、これは人生の、あるいはコミュニケーションの基礎編である。人と人との関わりには、どうしても応用編を発動させなくてはならない時がある。少なくとも私の人生には、そうした事が多かったのだ。
たとえば、曇り空の日に一言だけ「良い天気ですね」と言われただけなら、「そうですね」と答えておけばよい。
しかし、これはあくまで例えだが、その後も長々と曇り空が何故良い天気なのか、長話を聞かされたとしよう。
ひたすらに相づちを打ち続けるのが正解なのだろうか?
正解だ、そのほうが無難である。と、言う人もいるだろう。
もちろん、長々と聞き続ける必要はないとする意見もあるだろう。その場合も、相手の言う事を否定せずに、やんわりと話題を変えるなどが、無難なやり方とされるのだろう。
「そうですね、良い天気ですよね。ところで、そんな天気の日には、何をなさいますか?」とか、そんな感じに。
さて、これもまた基礎編の部分である。
私は、こちらが譲れば譲るだけ無駄な相手というものに出くわした事がたびたびあるのだ。相手には悪意が、あったのかも知れないし、なかったのかも知れない。
兎にも角にも、基礎編だけでは対応できない場合があったのである。
さて、曇り空が何故良い天気なのか、延々と話す相手に出くわしたら。
相手の目を見る。にらむのではなく、あくまでも平静な態度で。
口調は自然で穏やかに、そしてこれが肝心な点だが、相手に好印象を与えようとか、穏健に済ませたいといった執着も一切手放す。
同時に、威嚇しようとか、何としてもこの長話を止めさせるといった執着も同じように手放す。
で、静かに、ゆっくりと告げるのである。
「大変申し訳ないのですが、曇り空の話は止めていただけますか? それに率直に申し上げて、私は曇り空より青く空が晴れた日のほうが好きですね」
と、こう言うのである。
これが人生の応用編である。あるいはコミュニケーションの応用編である。
ところで、現実にはなかなかないことであるが、もしも素晴らしい美女から長話をされたら、どうするか?
美女の長話ならいくらでも聞いていたい、むしろ聞くべきだ、そうすれば美女に好かれるから。
そんな考え方もあるだろう。
まあ我が小説の男性主人公たちは、割とそんな場合でも応用編を発動させちゃうのである。
やんわりと相手の言うことをさえぎって、
「君の言うことは分かった。今度は僕の(俺の)話も聞いて欲しい」
と言うのである。
美女はどう反応するのか?
それは美女の性格や抱えている事情しだいだ。ケースバイケースである。
さてさて、あなたはどの時点で応用編を発動させますか?
あなたが創作活動をしているなら、あなたのストーリーの中で、応用編は発動されますか?
そんな事を、今日は考えたのである。
ここまで読んでくださってありがとうございました。また次回の記事もよろしくお願いします。
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