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すごい事はすごいと分からないかも知れない

 誰かがすごい事をやったなら、誰の目にもすごいと分かるだろうか?

 私は分かるのだろうと思っていた。しかし、最近は違うのではないかと思うようにもなった。

 サッカーの動画を見ていて、オフサイド・トラップ破りなる場面を見たが、私の動体視力ではボールと選手の動きの両方を追うことはできず、くわしい解説もない動画だったので、どこがどうすごいのか分からなかったのである。

 『ブルーロック』18巻で、一時的に休暇をもらったブルーロックのストライカーたちは久々に外で羽根を伸ばす。その帰りに主人公の潔(いさぎ)は、高校のチームメイトに偶然出会う。

 潔からのパスを受けてシュートしようとしたが、ゴールポストに当ててしまった選手である。

 直前にブルーロックVS U20の試合で、潔は勝敗を決するシュートを決めており、人々から多大な称賛を受けている。

 天才と名高い、敵チームのMF糸師冴からも認められる。(ただし、冴は面と向かって主人公を認めたわけではない)

 しかしかつてのチームメイトは、潔のすごさが全く理解できない。運が100%で、自分もブルーロックに入っていたなら、同じようにできたかも知れないなどと言うのである。

 彼とても、一応は県大会決勝までは行けるチームのレギュラーであり、潔も信用していたからパスを出したはずである。

 にも関わらず、ブルーロックに入って成長した潔とは、今や埋め切れない差がついてしまったのだ。しかし本人は全くそれに気がついていない。

 これはひょっとしたら時代性というよりはジャンプとマガジンのレーベルカラーの違いもあるのかも知れないが、『キャプテン翼』ではそんなシーンはなかったと思う。

 翼くんが、最大のライバルである日向小次郎が、その他のキャラたちが、すごいプレーをすれば誰もがそのすごさを理解していた。

 すご過ぎて分からないとか、相手の理解力がないからすごさが分からないとか、そんなシーンはなかったと思う。

 今日(こんにち)、ネット特にSNSの発達で、どうしても理解し合えない人たちがいると分かった今は、『ブルーロック』のほうがリアリティがあると思う。

 すごさは実は誰にでも分かるものではない。分かる人にしか分からないのではないか。

 そして私もいろいろ分からない事がある以上、誰かの本当のすごさは理解できていないはずである。

 そんな事を考えたのだった。

 ここまで読んでくださってありがとうございました。また次回の記事もよろしくお願いします。

 

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