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【厳然たる事実に立ち向かえ】ウィルトンズサーガ3作目『深夜の慟哭』第31話

マガジンにまとめてあります。


「俺は領主になるのはごめんだ。アントニーだって嫌がっている。もう……四百年も領地を見守り続けて来たんだぞ。もう解放してやってくれ」

 ついつい敬語を忘れていた。包み隠さぬ思いを吐き出したのだ。

「では、これからどうなさるのです」

 アーシェルはやや冷ややかさのある声で言った。責務を放り出して逃げるように見えるのだろうか。ウィルトンは思う。

 だが自分は貴族ではないし、アントニーも厳密にはもう貴族ではない。その地位を追われて四百年。もう責務は充分に果たしたのではないだろうか。

「俺は、いや俺たちは地下世界へ行きます。それでいいんだな、アントニー?」

 アントニーはうなずいた。ウィルトンはそれを見て続ける。

「どの道、呪いは解かなくてはならない。ではなければいつまでもこの土地は安全にはならない。呪いを解けたなら、エレクトナ殿のいる領地だけではなく、アーシェル殿の領地も安泰になります。そうではありませんか?」

「それはそうですね。お二人だけで行かれるのですか?」

「アーシェル殿は、ここを離れられないのでしょう? 俺の妹をよろしく頼みます」

「お任せになって」

 それにはエレクトナが快諾してくれた。

「ありがとうございます、恩に着ます」

 心からの礼である。

「女同士の方が、気安く出来る事もありますわね」

 エレクトナはふふと笑う。ウィルトンはほっとした。今ほど彼女を味方に出来て良かったと思うことはない。

「俺の妹を、あなたの侍女にしてやってはくれませんか?」

 思い切ってそう頼んでみる。アーシェルに嫁がせる話は、とりあえず棚上げだ。妹の意思も確かめねばならない。だがエレクトナに身柄を預けるのならば、妹のオリリエも否とは言うまい。そう考えた。

 エレクトナは驚いたように頭を振った。やや黒みがかってくすんだ金色の髪を揺らす。暗赤色の色の瞳で、じっとウィルトンを見つめた。

 美しい目だ。ウィルトンはそう思う。

 柘榴石(ざくろいし)を黒曜石に重ねたような色。暗い赤であるが、不思議な透明感がある。

「まあ。よろしいのかしら」

「もちろんです。妹の身を、どうか。あなたなら信頼出来ます」

「では、そうさせていただくわ」

 令嬢は微笑んだ。蒼白いほど白い肌に、黒い衣装が映えている。少しだけレースを付けた、簡素な服だ。それでも質の良さは見て取れる。

「俺たちは地下世界に行きます。そして、また戻ってきます」

「止めるわけには、いかないようですね」

 アーシェルはややあきれたように言う。あまりにも性急な判断だと思ったのだろう。

 彼の、エレクトナのよりはずっと明るい色の金髪が、暖炉の灯りを反射している。澄んだ青い目は、今は卓上を見下ろして、伏し目がちになっていた。

「俺たちが呪いを解きます。地下世界も地上も救われるのです」

 ウィルトンは言い切った。もはや他に手立ては無いと思われた。

「それでは、あなたの妹さんの身は我々が守ります。どうかその点はご安心を」

 アーシェルも受け合ってくれた。ウィルトンは再度の心からの安堵を覚えた。

「では、よろしく頼みます」

 オリリエ、お前を地上に置いていくが、アーシェルやエレクトナと仲良くしてくれ。

 妹を思い、心の中で念じた。

 その晩のうちに身支度をして、アントニーと共に、呪われた妖精を見た場所に戻った。馬は借りていなかった。歩きで来たのだ。

 自分がいない間に、エレクトナが祖母に対してどう出るのか、アーシェルが祖父にどのように対処するのか、それは分からなかった。

「心配と言えば心配だ。オリリエを任せているからな」

「信用するしかありませんね。ただ、二人は私たちを味方にしておきたいはずです」

「そうだな。オリリエを守ってくれるはずだ」

「ロランは連れてきてしまいましたが」

 背負い袋に入っているロランは何も答えない。例によって、魔術による眠りに就いているのだろう。背負い袋に長く入れられる時は大抵そうすると聞いた。

「仕方がない。ロランは、いざとなれば自分で自分の身を守れるわけではないからな」

 今宵は新月の晩だ。細い月さえも今は見えない。晴れた夜空には星は見える。数多の星が輝いている。銀の星、紅い星、青い星、そして白い星。

「地下世界には星さえも見えないんだろうな」

「そのはずですね」

「俺は妖精たちを哀れに思う。彼らはずっとずっと……暗い地下世界に閉じ込められてきたんだ」

「そうですね」

 アントニーは軽くため息を吐き出した。胸元に触れ、服の上からペンダントを探る。そのペンダントには、ネフィアル女神の聖なる印が象(かたど)られている。

「けれど、今でも遅くはないはずなのです」

「妖精は神も女神も信仰しないと聞いた。だから神代の昔、ネフィアル女神の救いを否定して、呪いに囚われたのだと」

「そうですよ。押し付ける気はありません。今となっては、直ちに救いが得られるわけでもないでしょう。けれど私にも神官としての力があれば、そう思うのです」

 ウィルトンは何も言わずに盟友を見た。

「呪いを解くには、神官としての力があれば有利です」

「そうか」

 ウィルトンはゆっくりと首を横に振る。

「けれど、そんな力のある神官はいない。デネブルが滅ぼしてしまった。力のある神官は皆……ネフィアルもジュリアンも、暗黒の神々に仕える者でさえも」

「ええ、そうです」

「だから仕方がないんだ。俺たちでやるしかない」

 ウィルトンはそう言って、あたりを探し始めた。妖精が現れた地面の裂け目が、必ず見つかるはずだった。

続く

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