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40代半ばで会社を辞めて起業した想いを綴る


はじめましての方、初めまして。
以前お会いした方、お久しぶりです。
株式会社Teoの片切と申します。
今回現地ワークをメインとしたBPO事業の会社を立ち上げました。

今回は今までにお世話になった方々への近況報告と私と会社の自己紹介になります。

凡人の私が20年弱も勤めた会社をなぜ辞めたのか。
そして「やりたいことは特にない」と生まれてから最近まで言い続けてきたwillなし野郎がなぜ事業を立ち上げたのか。

そして何をするのか。

など書いています。

読んでいただけたら嬉しいです。
読みたくないという方は1番最後に1番言いたいことが書いてありますのでそこまで飛ばしてください。



なぜ辞めたのか

結論から言うと「人生一回しかない」と思ったからです。
前職は株式会社ベアーズという家事代行の会社で20年弱勤めて取締役をしていました。
ベアーズは私にはもったいないくらいのチャレンジの機会と素敵なご縁をもらえた会社でした。
ベアーズでは営業(toC、toB)やマーケティングやカスタマーサクセスやシステム開発や経営企画や人事など興味のあるがままにやりまくってポリバレント性をウリとして朝から晩まで働いてました。
そしてベアーズは世の中のニーズとスタッフさんの努力と社員の日々の改善が相まって会社は大きく成長していきました。
私は長年勤めていたので晩年は立場もでき、優秀な後輩もできてきたところで私は日々居心地の良さを強く感じるようになりました。
居心地が良いということは素晴らしいことではあるけれども私が感じたその居心地の良さとは「ぬるま湯なのではないか」と思うようになり、そしてそう思う理由は「自分で舵を握っていない(リスクを背負ってない)からではないか」と思うようになりました。
組織で経営をするということは自分が右だと思っても、代表が左と言ったら左に行くのが当たり前であり、そこで「本当は右の方がいいと思うんだよな。」とか飲み屋で言うようなやつはいますぐ取締役から降りないといけない。それくらい代表取締役と取締役は1枚岩にならないといけない。そう思っていましたし、今でも思っています。
ですが、そう思ってやってきたけど「右に行ったらどんな世界なのか。自分が間違っていたとしても右に行った世界はみてみたい。」という思いが芽生え、それがだんだん強くなってきました。
「どっちへ行くか」みたいな選択は経営に近ければ近いほど、少しの意思決定の違いが会社を大きく変化させることになります。バタフライ効果ありまくりです。
ただ、そこで自分が思う「右に行くべきだ」と主張するのには私と代表は背負っているものの重さが違いすぎる。土俵が違いすぎる。そんな安全地帯の奴から代表も主張されたくないだろう。
そう思ったら自分の中では辞めるしか選択肢はありませんでした。
これは仲違いをしたとかではなく、仕事をしていれば意見が分かれることなんて誰とでも普通にあります。
ただただ「仕事に生きてきてる人生なのだから自分で舵を握りたい。」という私のシンプルなわがままです。
そしてそのわがままを居酒屋のカウンターでさし飲みをした代表に伝えた時「そうだよな!わかる!応援する!」と笑顔で言っていただきました。
良い会社でした。

辞めて何をするのか(思想編)

ベアーズ卒業を決めたは良いものの自分は何をするのかが明確に決まっていませんでした。
新卒に「will・can・mustが重要だ」とか言っておきながら自分はwillがなかったので。
そして自分には何ができるのかを考えました。
私は先ほど書いたようにベアーズという会社で20年弱めちゃくちゃ働いてました。
本当に寝てなかったし休みもなかった気がします。
やばいくらい働いたきっかけは、私は総合格闘技が大好きで、当時観戦に行ったPRIDEという大会で同い年の大スター五味隆典が試合前のVTRで「俺はあいつが寝ている間も練習してるんだ。モノが違うよ。」と言った後に相手を盛大にKOしたのを見て「五味ですら寝てないで練習しているなら私みたいな凡人は寝ちゃいけない!寝ないで仕事だ!」と思って常にいろんなところで「俺はお前が寝ている間も仕事してるんだ」と言って仕事しまくっていました。今思うとアホすぎるけど五味に感謝してます。
で、働いていく中で会社は大きくなり、その中で新卒や中途の面接や商談先で「ベアーズは最終的に何を目指しているんですか?」という質問を良く受けてました。
その時にGoogleの「世界中の情報を整理する」という使命がかっこよくて好きで、同じようなものが欲しいと思って、「やりたくないことをしている時間を排除すること」と勝手に言ってました。
掃除したくないなら掃除はアウトソースすればいいし、買い物したくないなら買い物もアウトソースすればいい。そしてその生み出された時間を仕事に充てるのもいいし、子育てに充てるのもいいし、趣味に充てるのもいい。それで人生が豊かになればいいと。
そのためのソリューションを世の中にどんどん開発し、運用していく毎日でした。
最初はGoogleの使命に憧れて言ってはいたもののいつの間にかそれが本当に自分の使命となり、生きる原動力にまでなっていました。
言霊というのはすごいですね。
そうなったらやはり、引き続き、“やりたくないことをしている時間の排除”を追求するというそこの熱量を活かすしかない!」と思い次のビジネスを考え始めました。

辞めて何をするのか(具体編)

私は45歳なので「おじさんの起業」です。
「AIがー。」とか「ブロックチェーンがー。」とか経験もないのにいきなり言い始めるほど天才でもない。そしてそのムーブをおじさんがするのはそもそもダサい。
おじさんらしくみんながやりたくないであろう労働集約のマグマのようなレッドオーシャンを平然と笑いながら日々闊歩するのが、おじさん起業の1番かっこいい姿だと思っています。ベテラン料理人がぐつぐつの鍋の中に素手で手を入れて温度確かめて、周りの人に「熱くないんですか?」と言われて「全然熱くないよ」みたいなのとかマジでかっこいいなと思って憧れてしまうタイプです。

で、現在はシェアリングエコノミーの領域や不動産の領域を中心にBPO事業を展開しています。


今更言うことでもないかもしれませんが、現在の日本は「構造的な働き手不足」という社会課題に直面しています。
その反面個人は20年ほど平均給与は横ばいの状態で「働き手の経済的自由」という社会課題にも直面しています。

そうなってくると今後はスキマ時間を活用した労働力を企業は活用し、個人は副業をするというのが当たり前になっていきます。
現在もスキマバイトアプリなどは産業として定着しつつあり、雨後の筍のように次々とプレイヤーが出てきております。
ただ、私が前職でも思っていたのですが、「空いた時間にお仕事しませんか」とワーカー募集は出していたものの実際ワーカーさんは自分の好きな時間には働けずに、来て欲しい時間をお客様にピンポイントに指定され、その時間をなんとか調整している状況です。どうしてもお客様ありきにはなります。
その中で育児や介護に追われている方などは調整ができずにやりがいを持っていても退職せざるを得ないという悲しい状況に直面してきました。
もっと企業もフレキシブルになり、働き手ももっと時間や内容に幅を持たせて子育て中や介護中でも受けれる「本当の空いた時間」にできる仕事が必要だとは思っていました。
そこで現在のビジネスモデルを考えていた期間に、色々なメンターやお世話になった方々に相談をしていたら、シェアリングエコノミーや不動産の業界の方々に共感いただき「手伝ってよ」と相談をいただき、現在に至っております。
このプラットフォームではないスキマバイトのようなモデルを話すと皆様から言われるのは「人が相当必要になりそうなので儲からなさそう」と言われます。
まあそう思うのはわかります。
でも私は残念ながら今回起業アイデアの中で「儲かりそう」という条件を自ら排除しました。
なぜならその感覚で動いたことはだいたい失敗するというのは経験上わかってるからです。
そしてプラットフォームにしていないのはお互いにとっていわゆる当たり外れが出てしまう世界や人がきてほしく期待して待っていたけど「マッチングできませんでした。残念でしたね。」という虚しい思いをクライアントに抱かせたくないという強い気持ちもあります。
なので責任持って仕事を受け、こちらでマニュアル作成し、マッチングをするということに重きをおいていますし、クライアントさんはやりたいことに集中するためにアカウント作るとか募集かけるとかも必要がない丸投げに近い形をとっています。
ヤマト運輸の創設者である小倉さんの『経営学』にも書いてあるように、「サービスが先、利益が後」をモットーにこの険しい道を闊歩し、最終的には企業よし、働き手よし、社会よし、自分よしの四方よしの世界を実現する所存です。

社名に乗せた想い

小学校の頃に版画の授業が多い先生でひたすら絵を見るという経験をしました。
その中で印象派の画家に惹かれました。
セザンヌとかモネとかの絵をかっこいいと思っている中でその歴史を調べるようになっていきました。
そこで印象派で1番有名と言っても過言ではないフィンセント・ファン・ゴッホの歴史を調べるようになっていきました。
ゴッホは生きている間に絵は売れなかったそうです。(正確には1枚売れたという説あり)
ということはゴッホはどうやって生きていたのか。
ゴッホには献身的に支える弟がいました。
名前はテオドルス・ファン・ゴッホと言って、
通称テオです。
テオは日々コミュニケーションをとり、資金の世話や身の回りの世話をしました。
それは兄の絵の才能を誰よりも評価し、やりたいことに集中できる環境を整えていました。
なのでゴッホの絵はテオなしでは存在しなかったと言われています。
ここで私の一生の仕事としたいと思える「やりたくないことをしている時間の排除」というものにつながります。
私は各企業や各個人がやりたいことに集中し、小学生の私が感銘を受けたゴッホの絵のように、世の中に素晴らしいプロダクトを提供し広げていってほしいという思いから社名をテオという名前にしました。

1番言いたいこと

仕事ください。
現在数社のクライアントさんと仕事させていただいていますが、全て私が関わっています。

起業して気づいたのですが、私自身は「やべー俺天才だわ。とんでもなく会社が大きくなっちゃうんじゃないの???」と思う日もあれば「このまま会社が成長しないとかもあるかもな。。。」とか同一人物かよと思うくらい感情が揺れることもあるのですが、優秀すぎる創業メンバーやパートナーがいるので必ずちゃんとやりきりますのでお任せください。


おまけ

辞めてから時間があったので色んな会社さんの相談に乗っていて気がついたら5社くらいアドバイスさせていただいたり、メンターもやったりしていますがコンサルやメンターを生業にしたいわけではないので全て無報酬でやっていますのでそれらも気楽にどうぞ。時間あるかぎり受けてます。

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