2020年の原爆の日
Twitterで、今年は戦争に纏わるいろんなツイートが回ってきた。
例えば、長崎の方が「都会に出た時、黙祷がないことに違和感を感じた」という漫画ツイート見て、すごく分かるって思った。
私は広島生まれだけど、保育所の時から原爆や戦争について触れる場があった。年長児の時には大きな紙芝居形式で、戦争ものの絵本を朗読する発表会みたいなものをした。絵本の題名は、ぴかどん、だった気がする。
小学生では地域児童会という授業で、毎年夏前に全学年が折り鶴を折り、その年の四年生が社会見学で原爆資料館に行く時に、千羽鶴を持っていく。
原爆の日は登校日で、全学年で原爆の日をアニメにした映画を体育館で見る。
よっちゃんのビー玉って映画を覚えてる。よっちゃんの宝物であるいくつものビー玉が、原爆で溶けて一塊になっちゃう話。
三輪車の話とか、おこりじぞうとか。ちいちゃんの影送りは教科書に載ってるから有名かな。
そして原爆が落ちた時間に黙祷をするから、それが当たり前だった。
けど、他県では、原爆が落ちた所でしかそれらをしないって大学で初めて知ってびっくりした。
原爆って、広島長崎で起きたことだけど、国全体のことのはずなのに、なんでって。
確かに私も広島の原爆についてが主で、長崎の原爆の日に集まったりはしなかったけど、戦争の恐ろしさって広島や長崎の人たちだけが知ってたらいいってものじゃないと思う。
原爆の日に集まらなくてもいいから、総合の授業とか国語とか、どこかでそれを組み込めなかったのかな、って思ってしまう。
大人になったりした時に、別の機会に原爆にまつわる映像を見る人は見ると思うけど、怖い物を見たくないや興味ない人は一生観ることない。いや、皆映画を見ろってことではなくて。
語り部さんの話を聞くなり資料館に行くなり、戦争は恐ろしい事だという「恐怖」を感じる機会はないといけないんじゃないかなって思った今年の夏。そこに温度差があって欲しくない。
でも今年、広島の方が、Twitterを通して当時の日記とかをもとにした成り切りツイートする企画を、長い期間をかけてしてくださった。
そこに多くの方が反応していて、良かったっていう安心感があった。こんないろいろな県の多くの人が関心を持って、架空のツイートと知りつつもリプを、励ましや心配の声を送ったりしていて、戦争に対する同じ温度を感じられた気がした。
これを企画された方は、現代に適応した形で多くの人に、ある意味「生の声」を届けていて、そして男性・女性・子ども、いろんな視点からも見ることのできる、共感することのできる本当に素敵な事をして下さって、勝手ながらありがとうの気持ち。
いろんな人が戦争について考える場が作られていくのが嬉しかった。
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