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点と点を結べるように。

こんばんは〜!

カトレナです。

25歳になったんだよ。イエーーーーイ✌ 

抱負なんて大それたもんじゃないけど、

節目のような『25歳』のありのままの今の私を残しておこうと思いま〜す!

25回目のBirthday Week。

今年の誕生日の1週間はこれまでとは少し違う過ごし方をした。

なんとカトレナ人生初の海外出張、、、

なんか、こうやって文字にすると泣けてくるほど
これまでの人生の中ですごく大切な体験になったことは間違いない。

挑戦は苦痛。

海外での体験というと、3年前のオーストラリアでの日々をどうしても思い出す。

ワーホリって響きはとてもかっこいいし
そんな挑戦してる人かっこいい!!

って思うと思う。てか、そう思って飛び出した訳だし。

でも、私の生活は正直つらいことの方が多かった。

そもそも英語なんてしゃべれないから、
生きていくために必死に英語を勉強するしかなかった。

学校でもこいつ何言ってんだって思われるかなと思って
言葉を発することに恐怖を覚えていたし、

ホストマザーが言っている言葉なんて何もわからなかった。

やっと学校に慣れたころには卒業しなくちゃいけなくて、
仕事をしようと思うとちゃんとした会話ができるようにならなきゃいけなかった。

もともと両親には反対されてオーストラリアに行った。
でもお金は出してもらってたから、現地での生活費はどうしても自分で稼ぎたかった。

最初は現地の日本人を頼りにバイトをさせてもらいつつ、
無賃でのインターンシップにも参加した。

どうしてもお金が欲しかったから
クルーズ船のインターンシップはめちゃくちゃ頑張って
お金の出るアルバイト社員になった。

更に言うと、私はどうしても英語で結果を残して帰りたかった。
大学の仲間が大好きで、みんなと過ごせない期間に頑張っていた自分を証明できる方法を、その時は英語が上達するということでしか考えられなかったから。

それで、ひたすらTOEICの勉強をしていた。

その他にも、休学してまでオーストラリアに来ているのだから、
ちゃんと仕事でつかえる英語を身につけなければいけない。と思っていた。

それで、また無賃のインターンシップを今度はホテルで始めた。

(今思えばなんで無賃やねんあれ。ちゃんと仕事しとったぞ)

新しい仕事をするたびに、
一度上達してきたと思う自分の英語力もとんでもなく低いものなんだと思い知らされた。

特にホテルは一緒に働く子たちは全員オーストラリアやヨーロッパの子で、
英語が喋れなくて人見知りな私は異様に恐縮していた。

そのころの私のスケジュールは

月~金  8:00~16:00 ホテル
     17:00~22:00 クルーズ船、日本食レストラン
土日  クルーズ船 or レストラン

インターンシップが無賃だったけど、
生活費や家賃を払わなきゃいけなかったからバイトは削れなかった。

加えて、当時の彼と旅行の計画をしていて、
オーストラリアにいる間は一緒に過ごす時間を大切にしたかったから
そのためのお金もどうにかして貯めてた。

だから、ご飯もただの白い米にツナ缶とか、ただの食パンにジャムだけとか
バイトがある日は賄を頼りにして何とかしのいだ。

今思うとよくそんな生活をしていたなと思う。

もうそんな生活を送りたいとは思わないけど、
その生活があったことを、なぜかこの1週間で鮮明に思い出した。

苦しさも一生じゃない。

そもそも自分がオーストラリアに行った理由は、

海外でいろいろな経験をしてみたかったから。
英語が話せるようになりたかったから。

今思えば、すぐにできるようなことじゃないのはわかるんだけど、
行く前はそれがキラキラしてかっこいい世界だった。

私はオーストラリアにいる間、
自分は10か月しかいないからやれることを全力でやろうと常に心掛けてきたし、
なんだかんだ誰に話しても自慢?できるような(相手はどう思うかは知らないけど)体験にはなったと思う。

TOEICは460から810点まで上げたし、
最終的にはホテルのインターンシップもみんなと仲良くなって
会話の中に自然に入れた。

しかもみんなが日本について興味を持ってくれて、
国籍が違うことを尊重し合っていける環境がとても楽しくなった。

努力は裏切らないという言葉に説得力はないけれど
その言葉にすがって生きていってみて良かったなと思った。

縁と運。

オーストラリアから帰ってすぐ就活の時期になったけど、
ちょうどコロナが来てしまった。

正直オーストラリアで燃え尽きて、
その後やりたいことがわからなくなってしまった。

今の会社に入ったのも、本当にご縁があったんだと思う。

正直この会社で海外と関わるのは難しいと思っていたけど、
運よく海外と関われる部署に入れた。

そして今年遂に、海外出張が決まった。

10月2日 私の誕生日に出発だった。

点の先には。

出張先での商談は全て英語だった。

正直2年半は英語から離れているから、不安しかなかった。

でも、気が付いたら内容は全部わかるし、
会話も普通に進められている自分がいた。

思った通り単語はすぐには出てこないから、勉強しなおさなきゃいけない。

でも、この1週間を通して、
あのとても辛かったオーストラリアでの日々が
報われた気がしたんだ。

ただ漠然と、海外の人と仕事ができたらいいなぁ。
なんて思ってた。

本当にそんな日が来るとも知らなかった。

考えてみれば、これまでの夢が一つ叶ったってことかもしれない。

そんなことを、25歳の1週目に思えたことが、何よりも嬉しいと思った。

まあもちろん今始まったばかりだから、本当の仕事はこれからな訳だけどね。

点と点がつながる人生に。

オーストラリアに行ったことや

大学で学んだこと、

さらに人間関係や

今の仕事。

それだけじゃなくて今までやってきたことは全部、

これからに繋がっているんだって思った。

点と点が線になるって、こんなに嬉しいことなんだって思った。

人はだれしも、一人一人がいろんな点を持ってて

そのどこかで誰かと交じり合ったり

その点が未来の自分にちょっとした繋がりをくれたりする。

25年という人生の中で、どれだけ点を落としてきたかわからない。

これからまだ長い人生の中で、また新しく点を作っていくかもしれない。

自分の作った点がいろんなところで交じり合って、

いろんな線を作っていけたらいいなと思う。


今までいろんな点を作ってくれた周りの人々とは、
またどこかで一緒に過ごして線にしていきたい。

いろんな経験をした自分自身にも
感謝して生きていこうとおもう。

自分に胸張って生きていけるように
25歳を歩き始めます。