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一歩踏み出せなかった先に。
タイトルからいきなり投稿コンテストとテーマが違う。
そう今日、僕はどうしても、その一歩が踏み出せなかった。
現在、僕は転職活動中である。
転職活動についての思うことは過去にも記事にしたものがあるので、ぜひこちらも読んでほしい。
さぁあれから、2週間と立たない間に、大きな壁に僕はぶち当たった。
一言で言えば、
『やる気が全く出ない。』
自分でも笑ってしまう掌返しに文字通り失笑してしまう。
が、このようなことは今回が初めてではない。
大学時代、社会人時代と節目節目で僕はそれを経験している。
それを世間一般としてはうつ病と言ったり、適応障害と言ったりするらしいが、まさに以前経験したそれが突然押し寄せてきた。
具体的にはこうだ。
1、突然、よく分からない不安に襲われる。
2、体に力が入らず、重力をとてつもなく感じる。
3、視野が狭くなり考えることが億劫になる。
4、そのくせに何もしてないと更に不安になるから何かしなきゃと思う。
5、食欲が落ちて、睡眠は取れているのに倦怠感、気分の悪さを尋常に感じる。
それがよりによって、選考試験前日に来てしまった。
予定では試験会場が県外ということもあり、前日に移動しないといけなかったのだが、
僕は採用試験を受けないという決断をした。
その一歩に躊躇した。
その一歩がどうしても出なかった。
それは何故か。
僕は気付いてしまった。
思い出したという言い方のほうが正しいのかもしれない。
僕は決して優等生ではないし、優等生になろうと思うことがどれだけ危険だったかということを。
僕の言う優等生とは、誰からも好かれ、誰からも信用され、誰からも尊敬される人物である。
そして、僕はそれに気付くためにどれだけの日々を費やしたかということを思い出した。
そしてその結果、決めた。決めたつもりでいた。
自分のやりたいことだけをとりあえずやってみよう。
当時そう思ったとき、気分は徐々にではあるが落ち着いていき、普段どおり生活できるようになった。
ただ、普段どおり生活できるようになった事をいいことに、どんどん出来ることが増えて、出来ること、そしてやりたいことだけやっていたはずが、気付いたときにはやらないといけない物という認識に変わっているという状況である。
なんで、もっと早く気付けなかったかなぁとも思ったが、考えてみれば以前は
本当に一人ではどうしようもなくなった時に初めて自覚し、そこから本調子にまで回復するまで半年から下手をすれば年単位の月日がかかっていた。
今回は無理にでも受験しに行くという、その一歩を躊躇することにより、最悪の状況を回避している。
誰になんと言われようと、これは立派な成長と捉えたい。
単なる臆病や気分屋なだけじゃないかと昔の自分なら思っただろう。
これを読んでくれている方にもそういう方はいるかも知れない。
だけれど、断じて違う。実際になってみないと本当には理解できないと思う。
息が荒くなってきたところで敢えてもっと大げさに、自分勝手な都合の良い解釈をすると
『俺は今回、その危険な一歩を踏み出さない決断をするという一歩を踏み出した。』
これなら投稿コンテストのテーマに当てはまるじゃん!と、
本当に都合の良い解釈で、書いてて再度失笑する。
ただ、今までの僕に足りなかったものはコレだ!!と今回新たな気付きでもあった。
今までは、
「あーやっちゃったー僕はもうダメだー何も出来ん。やりたくない。」
と、ネガティブな方向からの拒否決断である。
今回はそうではない。
今回ははあくまでも自分の意志でやらない!という選択を最後の最後で下した。
タイトルとは矛盾するが、正確には『踏み出せなかった』のではなく『踏み出さなかった』のである。
例えるなら、宇宙ロケットのGO / NO GO判断に近いと思う。
(なんちゃって工学部卒の変な例えで、かえって分かりにくかったら、ごめん。)
宇宙ロケットは打ち上げ直前まで何段階もその先の作業を進めるか(GO)取り止めるか(NO GO)の判断を各フェイズごとに行っている。
それに当てはめると、以前の僕ならGO判断をし、打ち上げ後しばらくは予定軌道に乗るがしばらくして、あえなく空中分解していたという経験から、今回は直前ではあるがNO GO判断を下したという感じ。
では、何故今回、NO GO判断を下したか。
今回、受験する予定であった施設は第一志望ではない。いや、そもそも第一志望と胸を張って言える施設を僕は今まで見つけてこれただろうか。これはネガティブな意味ではなく、それぞれの場所でそれぞれのいいところがあって選べない。というのが本音である。
逆に言えば、僕にはどうしてもここじゃないと駄目だと言える材料がなかった。
あとは直感である。
いきなり根拠のないことを言い始めるなーと思ったかもしれないが、そのとおり。
根拠などない。
ただただ全身に拒否反応が出た。
これが1つ目に受けるところで前例もなければ気のせいで終わらせていたが、以前いくつか受けた施設の面接には全く出なかったそれが今回は初めて出た。
なら、その直感を今回は信じてみたくなった。
そして、今回のことで、今後、根本的な見直しが必要になったことがある。
無意識的に優等生を演じていないか。
前半にも述べたが、やりたいことだけをやっているつもりが、やらされている意識に支配されているということである。
もちろん誰かに強いられているわけではないし、他人を責めたり責任を押し付けたりという意識は全く無い。
自意識過剰と言われれば、その通りとも思う。むしろこれは僕の問題である。
僕の場合、自慢ではないが現在通っている学校では成績優秀で、同級生からすれば上司ほど年が離れている状況もあり、自然と頼りにされている。
それはとても嬉しいことだ。こんな自分にでも頼ってくれる人がいると思うと他者から認められているという幸福感がある。
だけれど、初めの僕の目的は違ったはずだ。
ただ、怪我をした誰かの役に立つ仕事がしたくて、そのために資格が必要だから入学した。
ただそれだけである。
あと、こうも思った。
社会復帰のリハビリのためにも、今の僕でも学校なら通えそう。
もし駄目だったとしてもそれはそれでいいや、やってみてから考えよう。
思い返してみれば、真の目的はこちらだったのかもしれない。
だから、入学当初は先入観なしに、まっすぐな気持ちで勉学に取り組めた上に今までの知識も総動員できた。
失うものがないという意識は実際には失うものがあったとしても、こうも力強いのかと自分でも驚いたほどだ。
最近はどうだろう。
正直に言おう。
僕は自惚れていた。優等生を演じていた。
模範にならなくてはと思っていた。
大きな夢を持ち、誰よりも優秀な奴にならなくては、人の倍努力しなくては。
誰よりも少しでも多くの経験を、少しでも速く、少しでも遠くへ。
僕はこうありたいではなく、こういなくてはいけないと思ってしまっていた。
何故?
年齢が上だから。大学を卒業してるから。社会人を経験してるから。成績が優秀だから。
理由を考え込むが、優等生を強いられる理由にはならない。
少なくとも自分は納得できない。
なのに、無意識に自分はこうあるべきだと、自分自身に負わしていた。
ここまで書いて、
本当に昔から必要ない責任を自分に課す才能だけはあるなーと再々度失笑する。
・・・。
あー書いてスッキリした。
僕がnoteにわざわざこんな本音を晒してまで書き記したのは、新鮮な状態の自分の頭を整理し、今回のことを、前みたいに忘れぬよう、自分のために。
そして、せっかくこんな気持ちになったのだから、外に向け発信したいと思った。
前の自分はそうは思わなかったが、今の自分はそうしたいと思った。
最後に、これからのことを少し書きたい。
ここにゼロ地点へ立ち返り、自分自身に言い聞かせるために敢えて大げさに宣言する。
「僕は、自由人を目指す。」
これからの僕のミッションはこれだ。
本当にこれだけ。これ以外の考えは、心を改め、すべて捨てよう。
自分を殺してまで、理想を追い求めることは、残念だけれど今の僕にはやっぱり無理だった。
他人からどう思われようが関係ない。
もう他人がどうとか、比較がどうとか。
今回の件で、流石に懲りた。
今まではやりたいこと、好きなこと、こう在りたいを突き詰めていた。
それに加えて、これからはやりたくないこと、嫌いなこと、こう在りたくないも突き詰める。
大きな夢も必要ない。
毎日少しずつだけ、本当の自分の為だけに、ちょっとだけ努力しよう。
「僕は生きてる。今日も元気だ、ご飯が美味い。それだけで十分。」
って、以前立ち直った時にも気付いたはずだったんだけどなぁ。
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