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研究生活に必要なもの(2)
毎日何時から何時まで、どこで研究を行うのか。
そのスタイルの確立が学者になるための第一歩であることをお伝えしました。
今回は、もう少し具体的なお話です。
どれくらい論文を書き、学会や研究会で発表するのかという点です。
質と量をともなう
落語家・立川談志は「天才は質と量をともなう」ということをおっしゃったそうです。
これは、落語家に限らず、多くの分野に当てはまることでしょうし、特に学者には、そのまま当てはまるように思います。
どの分野にも、凄まじいペースで論文や書籍を刊行する学者がいらっしゃいます。
1〜2年くらいで単著を出し続け、学会機関紙の特集号にも寄稿する。
編著や共著は無数にあり、一般の商業誌やネット記事でも毎月のようにお名前を見かける。
それでいて、書くものには毎回新しい視点が含まれている。
さらに大型の科研を運営し、国際連携にも長けている。
ついでに言えば、学生指導にも定評があって大学院入試の志願者は絶えず、学科や学会の運営でも要職を務める。
多くはありませんが、こうした鬼神のような方がいらっしゃるのは事実です。
こんなふうに働くことができれば、学問にも社会にもたくさんの貢献ができることでしょう。
しかし、誰にでもできることではありません。
というより、ほとんどの人にはできません。
二流学者にできるのは、それなりの質の論文をそれなりに発表し、組織の運営などでも迷惑をかけないようにつつがなく暮らしてゆくことです。
では、それなりの研究生活に必要なものとは何でしょうか。
研究をドロップアウトする人の特徴
大学院では、残念ながらドロップアウトする方が少なくありません。
修士課程の途中でやめてしまう方、博士課程までは進んだが博論がかけないまま年限を迎えてしまう方、博士学位は取得したものの非常勤生活に嫌気がさしてやめてしまう方・・・・・・理由や状況は千差万別ですが、研究者への道を諦める方は少なからずいらっしゃいます。
ご実家にご不幸があり、すぐに帰郷して家を継いで仕事をしなければならず、そのため、素晴らしい修論を書き、博士に進んだ直後に学者を断念される方もいました。
本当に優秀で人格者でもあり、残念でなりませんでした。
研究生活よりも生活が大切なのは至極当然です。大切だからこそ、生活は強い力で難しい決断を迫ってきます。こうした状況については、私などに語れる言葉はありません。
しかし、そうした解決不可能ではない状況でも、研究をやめてしまう方もいらっしゃいます。
そこには、一つ共通点があるように感じています。
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