今後の予定

今日はあまりにも花粉症がひどいので耳鼻科へ行ってきて点鼻薬と目薬をもらい、アレルギーがなにか調べるために採血もしてきました。治ると良いのですが……

さて、自分の考えや気持ちを整理するのも兼ねて今後の予定を適当に書き綴ってみます。

前提条件として、私はパニック障害と発達障害があるので普通に働いたり行動をする、ということができません。
(また、そもそもこの普通という定義が厄介なものであり、親曰く会社勤めでオリンピックに出場できる体(逆に言うとパラリンピックに出る人は普通の人ではないらしい)の異性愛者であるようなのですが、それはどうなのかなと思ってしまいます)
昭和時代には「働けば自由になれる(ARBEIT MACHT FREI)」「憲法の勤労の義務」「月月火水木金金」「24時間戦えますか」などととにかく働くことが推奨、ないし強要されてきたわけですが、それが令和、ないし21世紀の多様性、ハイテク化の時代にとっては不適格なものなのではないか、と感じています。

これは産業革命以来起きていることではありますが、特に近年のIT化以降級に技術が進化したり、サービスや経済の形態が変わったりオワコン化することが増えており、このような時代においてただ単に働けば救われると思って無意識に行い続けると、時代の変化に耐えられず失業するリスクも出てきてしまうといえます。また、今後昭和時代に起きた公職追放や赤狩りやアパルトヘイトなどといった権力者の都合による強制的な失業や移住の強要が起こらないとは限らず、日本の周辺国でもテロ容疑者への拷問や人権弾圧などが行われている以上、こういったことがいつ自分たちに降りかかるのか、そしてそれにあったときにどのように生き抜くのか、も考えねばなりません。そうなるとパニック障害だ発達障害だなどという甘えは一切通用しなくなるわけですので、私たちはSNSへの投稿や選挙への投票先などに関して、明日のことも考えて慎重に考え行動しなければなりません。

私は平成5年生まれですが、平成時代は明治、大正、昭和と異なり日本は戦争に合わず、また首相や首相経験者が殺されることもなく、大正時代から日本の宿敵となっていたソビエト連邦は崩壊しました。しかし、令和は首相経験者が殺されるという明治、大正、昭和と同じ出来事が数ヶ月前に起きており、また昭和時代同様不況や周辺国との緊張、ヨーロッパでの戦争、ロシアのソビエトのような暴挙などもあり、令和時代のうちに日本は再び戦争状態に遭うのではないか、と考えてしまうことがしばしばあります。「もはや戦後ではない」ではなく、「もはや戦前である」と考えたほうが良いのかもしれません。

このあたりは一人で考えても仕方ないので余談は終わりにしますが、先に述べた通りやみくもに働くことは現代においては愚の骨頂に近いものだと思っています。
仕事が、年収が、などよりも人からの信頼、技能、知識、変化の受容こそが未来の自分をより良くし、この変わり続ける時代を生き抜く手段だと思っています。

仕事に関してはパニック発作に陥ることを避けるべく、作業所か障害者枠で働くかと思っているのですが、いかんせん作業所や障害者枠はいわゆる単純労働が多く、いつ機械やAIに仕事を奪われるのかわかりません。障害者枠というものは憲法や勅令で決まっているわけではなく、結局その時の国の意向で決まりますので、障害者よりも低賃金で働いてくれる外国人労働者や機械にやらせたほうが良いと国や組織が判断すれば、たちまちオワコンとなり消えてなくなってしまうでしょう。
このことに関しては産業の空洞化という問題にもつながっていると思っており、日本がもっと日本人のことを思っていれば、産業の空洞化など起こらず、製品が外国産だらけになるということも避けられたはずなのですが、そのような行為は明治維新以降推し進められている西洋化に反する行為であり、保守派も革新派も右も左も江戸時代に戻ろうという人は見たことがないので、この流れを変えることはよほどのことがない限り難しいでしょう。
となると、作業所や障害者枠で働くということは、終身までそれを貫くというのはリスキーな選択であると私は考えざるを得ません。

しかし、逆にこういった発想も可能でしょう。技術の進化はやがて自由な選択の幅を広め、障害者も健常者もない平等な時代がやってくると。
これはいわゆるマルクス主義や共産主義的なものではなく、全人類が攻殻機動隊のようなサイボーグ技術、ないしガンダムSEEDやすばらしき新世界のような人体そのものを改造する技術を導入すれば、障害者という概念を過去のものにすることができるかもしれないのです。また、マクロ的に見ればAIが人間と同様の知能や能力を手にできれば、少子高齢化に歯止めがかかるかもしれません。昭和時代、「人間宣言」と呼ばれる神から人になるという宣言が行われました。21世紀は逆に人の下である機械が「人間宣言」を行い人となる時代が来ると思っています。

平成時代は非正規雇用や新自由主義化や消費税導入などによって貧困になったとか貧富の差が広まったとされていますが、一方で昭和恐慌のときのように地方で身売りが起きたり、東日本大震災や台風が起きても江戸時代のように大飢饉が起きたという話は聞いたことがないので、日本政府が鎖国でもしない限りは技術の進歩によって貧富の差はあっても生きることがままならない時代にはならない、と考えるのが妥当でしょう(もっとも先述した戦争が起きたらどうなるかわかりませんが)。
ただ、私としては今の日本政府がやっているようにあらゆる事業を民営化したり、自由化を推し進め過ぎると行き着く先はアーマードコアやエースコンバット3のような企業が国を上回り、大企業が世界各地を統治する世界になりかねず、自分の首を絞めに行くことになるのではないかということは警鐘を鳴らしたいと思います。
(私の想像では企業による統治になったとしても、結局はそこまですごい変革は起こらず絶対君主制や一党独裁制と同じようなものになるだけと思っていますが)

ここまで書いてふと思ったことは、日本は自らを大日本帝国と名乗ってしまうくらいに明治以降拡大政策を取っていたのに対し、現代の日本は中国に「小日本」とバカにされる? くらい領土的にも政府の権力的にも小さい国になってしまったことです。これ以上小さくすればそのうち日本という国が再びいくつかの国に分割される時代が来るのではないかとも思ってしまいますが、このあたりを政治家や官僚はどう思っているのか、知りたいところです。

さて、本題に話を戻すと自分の将来をどうするのか? という問題なのですが、パニック障害や発達障害がある中、前述のいろいろな事柄を考えた上で無理に働く必要はないかな、と思いました。
現在、家族に掃除や買い物など手伝うことと引き換えに衣食住は保証されていますので、この状態、体制が崩れない限りは現状のままで良いと思っています。

……が、それは共産圏の国々のような怠けてもまともにやっても同じだから何もしない、というわけではなく、数ヶ月前に普通自動車免許を取って以後、車を使うことで世界を広くすることが出きたので、今度は中型免許や大型免許、国内A級ライセンスを取りたいと思っています。
車は幼少期から好きでグランツーリスモも一番最初のからやっていましたので、車に関する仕事に就けたら良いかなと勝手に思っていたりします。が、車に関する求人だと配達ドライバーなどで中型や大型免許が必要、というのがあるので、中型や大型も必要なのかなと思いました。

他にも英検(2級以上)、TOEIC、MOS、簿記、宅建、行政書士なども考えたのですがいかんせん高難易度でストレスが溜まりパニック障害を悪化させかねないと思ったのでやめることにしました。車だと渋滞に巻き込まれたりしない限りはパニック発作に襲われないので自分にあっているのだな、と思いました。三つ子の魂百までですかね。

絵に関しても1年前の絵と比較すれば、上達していることだけはわかるので、売れるレベルになれるよう頑張っていきたいと思います。

疲れたしきりがないので、今日はこのへんで終わりにします。

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