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できることでおかえしするということ

ヘッダーは漫画家志望者のときに描いた思い入れのある作品です。
漫画家にも成長段階があり、漫画家としての思春期といったらいいのか、そういう段階が必ずありますし必要です。

思春期以前は模倣、吸収の時期。
好きな作品を真似し貪欲に受け入れて基礎体力(画力)や体(絵柄や漫画の基本)を作る時期です。
私は典型的に子供のころから絵ばかり描いてきた人間ですし、漫画家を志望したのが50からなので、体力(画力)の幹は多少太くなっていた気がします。
(とはいえ漫画家はそんな人ばかりなので突出してはないです。プロとしての最低限程度)
二次創作はいっぱい描いていたものの、きちんと読む人のことを考えて描いていなかったので、漫画の基本は本当にきちんとやってこなかったため、ここはいまだに勉強ばかりですが…

漫画家の思春期は「主張」の時期かと思います。
私がその時期に描いた作品がヘッダーの「今日は、亜夢の日」です。
電子書籍がコルクから出ております。
つたないですがよかったら。

一次創作をしていくと、自分の何かを伝えたいという思いが強くなってきます。
これは萌えでも体験でも主張でもいいのですが、俺の話を聞け!が出てくるわけです。
私もつくるひととしてこれがやりたい!が出てきて描いたのがこの作品です。
私はコルクマンガ専科の講義を経て「自己肯定」の作家になりたいと思っていたことをはっきり自覚しました。
「きみはきみのままで愛されるべきだよ」を届けたいと。
この「今日は、亜夢の日。」という作品は、性別が日々揺らぐ(不定性Xジェンダー)の子と性別関係なく人を愛せるパンセクシャルの男の子の話です。
当事者に届く作品ではあったようですが、エンタメには全くなっておらず、情報と主張を着地点に収めた読み切りになっているなと思います。

説明にもほどがありますね…いやー

けれど私にとってこの作品は1回書くべきものであったし、一種「中二病的創作」はつくるひとには必要なのだと思います。
この次に描いた「ぜんぶ、見たい」も同じメッセージで、若干見てもらう人に楽しんでもらえるかを意識してはいますが同じです。

さて思春期を迎えているうちに私は「作画家」としてもお仕事を始めました。
当然原作は商業としての企画を通り賞を取ったり刊行されたりしている作品です。
原作を読み、いいなあ好きだなあと素直に楽しみ心震わせて「この世界をどう描いていこうか」とやっているうちにいきなり自分の中でカラが割れた感覚がありました。
私はエンタメに振り切った作品でも「自己肯定」は描けるんじゃないか、と。
来月に配信が予定されている読み切りは大人の恋愛ものでちょっとえっちなラブコメに振り切った作品です。
TLでも自己肯定は描けると確信できた作品、オリジナル創作で初めて商業作品として配信される作品です。

まだ情報はお出しできませんが、進捗のスクショを(担当許可済)

振り返ってみれば恋愛もの、特に溺愛ものって自己肯定なんですよね。
私は「今自分ができて」「最も求められる力が使えて」「多くの人が求めてくれて」「たくさんの人に癒しや笑顔を届けられる」ができれば正直なんでも描きたいな、と思ったんです。
高尚な作品でなくてもいい。エンタメに振り切ってたくさんの人にちょっといい時間が届いてほしいな。
今は恋愛もの以外を描く予定はないですが、いずれもう少しリーチの広い「愛情」を描く力をつけていければいいなと思っています。
まだまだ漫画家としてはやっと思春期ぬけた?くらいのひよっこですが、りっぱなオトナの漫画家になるためにこれからも精進していきます。
どうか見守っていただけたら幸いです。
よろしくお願いします!

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