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大学生になって初めて鬱だと実感した話。

 結論、私はきっと軽い鬱なのだと思う。
 自分に関して書くことが最近なかったので、日記のようなものをつける。日本のどこかの大学生の字書きが、こんなことを思っているのだと思ってくれればいい。

 実感したのはつい最近だった。
 母が病で手術をした。そして退院して家事が覚束ない頃、私が代わりに夕飯を作ったりしていた。姉がいるが結婚し、家を出ている。父は朝から晩まで仕事で、とても忙し人だ。私しかやる人がいなかった。そこに何の疑問も抱かなかった。やれる人がやればいいだけ、それだけだと思った。それは今でも変わらない。
 慣れない家事と学校の両立。私がいないと母はご飯も食べられない。トイレに行くのがやっとだ。学校に行かずに母の面倒を見た。そんな私を見て母は決まって「ごめんね」と言った。「こんなんじゃダメだね」と自分を責めた。病なんて生きていればいずれなるのだ。ならない方が珍しい。加えて一番辛いのは病に倒れ、手術をした母だろうに。


 そんな母の言葉に「大丈夫だよ」と答えていた。それはきっと自分自身に言っていた言葉のように、今になっては思う。

 最終限まで授業があっても夕飯を作らないという選択肢はない。学校帰りにスーパーに寄り、片手に1.5Lの飲み物2本とその他が入った買い物袋、もう片手にはトイレットペーパー。あの日何となく見上げた星空はもう覚えていない。
 母は私の慣れない手料理を美味しいと食べてくれた。世話をする度に、母は「ありがとう」と言ってくれた。それだけで毎日の疲れが少しだけなくなった。
 心配をかけてはならない。その思いで嫌いな学校に頑張って行った。

 数週間が経って、私に限界が来た。眠れないのに、やっと眠っても少しで目が覚める。だから眠っても眠っても眠い。疲れが取れない。食欲不信。でも学校はあるし母の世話も私がしなきゃいけない。洗濯しなきゃ。レポート終わってない。次の課題何だっけ。あぁ、お米だけとりあえず炊かなきゃ。
 そんな日が続いて、私はついに朝起きた時に「これやばいやつだ」と感じた。何でやばいとか、わからない。ただやばい。そう思いながら学校に行く準備をした。そして朝ご飯を食べている時に私の様子に気が付いた母が一言「大丈夫?」と言った。大丈夫と言えるほど、私はまだ強くなかった。「大丈夫じゃない」そう呟いた途端、涙が止まらなかった。
 その日は私の都合で学校を休んだ。でもその次の日も、精神的にキツくて休んだ。でも次の次の日は担任の先生との面談だったので行かなきゃと、授業は休んだが業後の面談だけ行った。行くまでに動悸はするし気持ち悪くはなるし、社会向いてないなと思った。
 事情を話し、カウンセリングを受けた。話したらスッキリした。休み明けにまた予約を入れるように言われたが、治ったしいいだろうと思って予約はいれなかった。
 そしてついこの間、また自分が自分じゃなくなるような感覚と共にひたすらに気分が落ち込んだ。水を飲んだりしたが、その手が震えたり呼吸が浅くなったり。「これはやばい」とまた感じた。
 そしてまた学校に行けなくなった。学校での私は随分と明るいため、寝坊や授業が怠かったのだろうと思われる。誰も私が家で泣いているなんて思っていない。私のことは私しかわからないのだ。しかし周りが私を怠惰であると決めつければ、私は怠惰にしか映らない。それが苦しいから、また学校に行けなくなる。完全に悪循環なのだ。

 まぁ、こんな感じで最近軽く鬱だと感じることが増えた。軽度なのか重度なのかもわからないが、何もなく涙が出る時点でダメなのだと思う。社会不適合者で乙。
 でもこんな自分と上手に付き合っていかねばならないので、今日も頑張ります。日本人は本当に頑張っているなぁ、えらい。
 それで歯を磨いて、明日の準備をして、寝ます。本当はこの時間プロット立てて執筆始める予定だったんだけど、ふと友人がこのサイトを活用していることを思い出したので、予定を変更してお送りしました。
 どうだっていいね。おやすみなさい。


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