自然学校のスタッフになって感じたこと

暮らすように子どもたちと過ごす
1人の人として同じ目線で関わる
大人の言葉(知恵)は後出し
子どもたちの主体性を大切にする

読むと簡単だけど、子どもたちを目の前にするととても難しいこともたくさんある。
一人ひとりによって違うし、シチュエーションによっても対応が変わる。

よく観て、見守って、寄り添って、考えて、関係性を築いていても
何が正解かはわからない。

わからないから、面白い。

私から見える子どもの姿と仲間から見える子どもの姿は違うから
話あって軸だけはすり合わせる。いろんなやり方や関係性があって良いから。

子どもたちの気持ちを汲みとりすぎると(仕事としては良いのだが)
全部に寄り添ってあげたくなるけど、時にはそっとフェードアウトしたり
背中を押したりする必要もある。この塩梅がまた難しい。

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娘とはマンツーマンすぎてこの塩梅がさらに難しい。
私が背中を押したつもりでも、大人がいないと遊ばずゴロゴロしている姿に
もどかしさを感じてしまう。

(家でも実家でも保育園でも多くの大人に囲まれて暮らしていて、一人遊びや友達との遊びにまだ慣れていない部分もある)

が、私は多分私の想いや理想をどこか押し付けている気もしている。
ミスしたりできないことにも敏感なのは自分の関わりにも関係があるかな・・・(観察と考察、仮説を立てて色々試してしまう癖と私とは関係ないのに、お出かけ時など気になりすぎてしまう癖をやめたい)

この考えてしまいすぎるのは、性格と職業病と・・・

でも、娘の思う完璧にはなれないし、ならなくて良いとも思っている!
家族であろうと全部思い通りにはならないから。
でも、子どもは自分で察して大人が思うより繊細で、ちょっとしたことを
覚えていたりするから(自分もそうだった。大人が何の気なしにとった言動がショックでずっと覚えている)

何年かに一度、娘には手紙を書こうと思った。
・今現在の私の気持ち
・大人も完璧ではないこと
・心配が故にしてしまうこと(でも、それで躊躇したりしなくて良いこと)
・私が子どもの頃に感じたこと
など

日々、伝えきれないことを節目のタイミングでお互い確認しあえたらいいなあ


でもでも!大前提でうちの子はよく分っているし、よく育っている(自分の手柄とかではなく)元気で朗らかに育っているから十分という意味!!!

他人の子はポジティブ眼鏡で見られるのに、親って心配しすぎちゃう不思議な生き物だなあと思う。

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自然学校では、主の運営者のかたが準備や事務作業、保護者の方とのコミュニケーションなど、全てやってくれて、私は当日のスタッフとしていくだけで
かなり心を委ねて参加させてもらっているのもあって、のびのび心から楽しんでいる。そして、保育のこと、子育てのことなど真面目すぎて、重くなっちゃうのが嫌であまり人に言えなかった部分も聞いてもらえて「あ。私力みすぎているなあ」と分っちゃいたけど改めて、そう思わせてもらいました。

そしてそして、こんなに自分も子どもたちも自然体且つ楽しく過ごせる。
そんな場所の魅力を私なりに作っていきたいなあ。
子どもたちと暮らすってどういうことかな〜

これからの私はどうありたいかな?
娘はどう育ちたいかな?

ああ。また考えすぎちゃうから、やめとこ。笑

ふわりふわりとたまには流れに身を任せながら
いい時もあんまり調子が乗らない時も
心に素直に暮らしていきたい。


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