【創作小説】同じこと

前作「誰にも言えない」の続きです。



「父さん、叔父さんの連絡先って知ってる?」
 ちょっとした用事で電話をしてきた父に、切られる間際そう聞いてみた。急用があるわけではないけれども、俺と同じ――だったから、一応、何かしら繋がりを思っておきたいと、ふと思ったのだ。

「そりゃあるけど、お前あいつとそんな仲良かったっけ?」
「ちょっとね」
「男同士の秘密ってやつか?そういうのがある年頃か」

 なにを勘違いしたのか父は大仰に笑って、それから叔父の連絡先を教えてくれた。

「勝手に教えていいもんなの?」
「気にしないだろ。ああ……でも、返信は遅いと思うよ、すぐ携帯無くすから」

 仕事はパソコンでやってるからなくしようがないなとまた笑って、通話は切れた。俺は叔父の連絡先を登録してから、何か送ろうか迷った末、「俺のところにも出ました」とあいまいな事だけ送って、スマホを所定の位置に置く。父の言ったとおり、その日のうちには叔父からの返信が来ることはなかった。

 返信が来たのはそれから数日経ったときだった。桃色の小さな花が寄り集まったアイコンから送られたそれには遅れたことを謝るでもなく、「ご愁傷様」とだけあって、俺は若干の腹立たしさを感じながらも、叔父もやはり見えるのだと安堵した。

   *
 
 先輩はよく、心霊スポットに誘ってくる。いや、誘ってくる、などと優しい表現は妥当ではない。昼夜問わず、俺が休みと知ると、レンタカーでアパートに乗り付けてはほぼ無理矢理に連行される。

 夏の恒例イベントというわけでもなく、春でも冬でも同様だった。最初に誘われたのが夏だったから、多くても年に数回かと思えばそんなことはなく、年がら年中、馬鹿かと甘く見ていたら勘が妙に鋭いのか、俺の休みを的確に突いて誘いに来る。

 俺はそういう場所が苦手だったから、毎度断ってはいる。だが、スーパーのお菓子売り場に居る駄々っ子のように意地でも動かないのをやっても、俺より無駄に体格が良く——俺が貧弱なのもあるが——、声が通るうえに見た目が明るい頭髪によくわからない趣味の柄のシャツで紛れもなく輩という有様なので、近所の目が気になる。レンタカー代をわざわざ俺を誘うために出したことを考えると、断り切れないということもあった。

 先輩が俺ばかりを誘ってくるのを見ると、俺しか誘えないと取るのが適切だろう。俺が断らないのが悪いのもあるだろうが、こればかりはどうしようもなくなっている。連れていかれた後日に昼食を奢ってもらうことで、一応貸し借りなしということにはしているが、俺としては安価な学食で足りるような苦痛ではない。

 単位数は足りていないくせに、必修科目は落としていないせいで四年生まで進級してから足踏みしている先輩は、確か俺より五つ上だったと思う。同期もだいたい卒業していて、ゼミにも行く必要がないから大学の構内で見かけることがほとんどない。

 もう少し学業に対して真面目さを発揮してほしいものだが、本人にそのつもりがないのなら、俺にどうこうできるものでもない。当の本人は、遊び歩いているせいで金欠だというのに、アルバイトで貯めた金を、最低限の生活と酒と煙草にレンタカー代で溶かす始末である。

 俺はモラトリアム期間をまだやりたいんだ、というのが先輩の言だったが、それにしたって、未だに卒業要件の半分なのはマズいだろう。あと一年、毎日講義を詰め込めばなんとかなるかも知れないが、夏を過ぎた今でも、毎日のようにどこかをほっつき歩きいているのを考えれば、もう一年は留年するつもりなのだろうと思う。

 そんなだから、親からもほぼ見放されているようで、普段の生活が学業一割、アルバイト七割の遊び歩くのが二割という大学生とは何かを考えさせられる状態になっている、らしい。なにがなんでも留年がしたくない俺にとっては理解しがたい存在である。

 それだのに、何故先輩とつるんでいるかと言えば、一年の春まで遡るので、だいたい一年半程の付き合いになる。長いのか短いのか分からないが、俺の記憶に無理矢理ねじ込まれた先輩は、それはもう多大なる迷惑を……と言えば悪く感じるが――実際悪いことも半分なのだが――趣味仲間としては、それなりに気の合うひとだった。

 もともと、サークルの部室にまれに来ていたので、顔は知っていた。気が合いそうにもないひとだな、と思ったのを覚えている。街中で初めて出会ったのは、駅前の書店だった。広さも品ぞろえも文句のないところで、俺は学校帰りなんかにはよく立ち寄ることがある。そこの、ミステリー小説なんかが並んでいるコーナーだった。

 その時ハマっていた作家の本を物色していたら、後ろから声をかけられた。やけに親し気に喋るわりにその顔が誰なのか記憶との照合がままならず、なおかつ派手な赤い柄シャツに色眼鏡というおおよそ関わり合いになりたくない種類の人間だったので、俺はなにかしらの地雷を踏んだのかという不安で、話が半分も入ってきていなかったのを覚えている。それに気づいたのか、名乗られてようやく、それが先輩であることが分かった。

 先輩もその作家の本を探していたらしく、良くて自業自得の被害者か、理不尽な加害者のくせにミステリを読むんだなとろくでもないことを考えたが、案外本は読む方で、そこから連れていかれたカフェで長談義して以来、なにかと接点を持つようになった。そこで気に入られたのが運の尽きか、現在に至る。

 俺はあまり他人と趣味を共有する機会がなかったので喜びはあったのだが、ミステリー好きに加えてホラーも嗜む先輩に、心霊スポット巡りの趣味があったことが誤算だった。そちらについては耐性が全くと言って良いほどない。趣味仲間だからと一度気を許したが最後、毎月のようにドライブという名の愚痴吐きと心霊スポット巡りに付き合わされる。

 金欠だと言うくせにアルバイトの続かない先輩は、愚痴が尽きない。どっちもどっちなこともあれば、明らかに先輩に非があることもある。いつか刺されはしないか心配になる交友関係に、先輩になにかあったら俺は疑われる範疇に居るのだろうかと考えたことがあった。不意に零せば先輩は暫しの沈黙のあと、お前そういうところあるよなとげらげら笑いだす。結局彼が俺をどう思っているのかは分からず仕舞いだった。

 そして今日も、空が橙と藍に分かれる頃、先輩がアパートまで来ていた。辺りを見渡すも、車はない。今日は歩きで来たようだ。レンタカー代が出せなかったらしい。だが目的はいつも通りのようで、俺もいつも通り駄々をこねた。結局、変わらず徒労に終わったが。

 やけに通る声で騒がれると、ここに留まる方が愚行と判断せざるを得ない。並んで歩く間、逃げ出そうと考えたものの足の速さで先輩に勝てるわけもないので、大人しくする他ない。

 一時間ほど歩いただろうか、都内とはいえ郊外からそれだけ歩くと、民家もまばらなところに出られる。眼前にはいかにもといった風体の廃墟が建っていた。先輩曰く、もともと病院だったと言う話だった。見える範囲の窓ガラスは全て割れ、あたりには煙草の吸殻が落ちているところを見ると、それなりに知られている場所なのだろう。

 先輩は何が楽しいのか軽い足取りで中へ入っていく。曰くも何も分からない俺は因果を想像するしかなく、それによって、勝手にうすら寒いものを感じていた。夏だというのに風が冷える。ここまで歩いてきたせいで汗をかいて冷えるのだろうが、心霊スポットの不気味さに併せて俺を怖がらせるのに十分だった。

 同行者を気にすることもない速度で階段を上がる先輩に、俺はひとりになるのが嫌で、必死についていく。たどり着いたのは、屋上だった。先輩に倣って端から下を見ても、明かりのないそこはどす黒く塗りつぶされているばかりで、なにもない。

「なんで俺を誘うんですか。ひとりでも良いでしょ」

 もう何度目か分からない疑問を投げる。いつもならはぐらかされるところを、今日の先輩は俺の方を振り返り、屋上の手すりに身を預けて言った。

「お前と来たら面白いもん見れそうだから」

 なぜその結論に至ったのか、訳が分からない。前提条件から推測のしようがない。俺が首をかしげていると、

「お化け屋敷にビビる奴と行くと楽しいってのと一緒だよ」

 と悪趣味なことを言い放った。

「そういうことだったら俺もう来ません」
「とか言っていつも来てくれるじゃん」

 それはアンタのせいだろと言うのをすんでのところで飲み込む。何を言っても、誘いに来るのは変わらないのだろうと何度目か知れない諦めが頭にちらついた。

「それにさあ」

 黙ったと思った先輩が口を開いた。

「お前最近変なの近くにあるし」

 驚いた。多分、死体のことを言っているのだろう。以前、先輩が霊感がどうのというのを聞いたことがある。その時は冗談半分で聞き流したのだが、本当だとすれば厄介だ。俺が死体を無視しているのがバレる。いや、知っているのか。だとすれば、先輩は俺のことをろくでもない人でなしだと思っていてもおかしくはない。言いふらされれば支障が出る。せっかく無かったことにしたはずなのに、知っているひとが居るとなれば話が変わってしまう。先輩の話を信じる人がどれだけ居るのか知れないが、危惧するには十分だ。父の実家から帰って以来、もう三回は見ている。先輩がどれを見たのかはわからないが、どれでもいくつでも面白くない状態であるのに変わりはない。

「あれって何?」

 そんなことを知ってか知らずか、先輩はいつものにやけ顔でこちらを向いている。純粋な好奇心なのだろうとは思うが、そんなことを聞かれても知らない。弁明するべきか、果たしてそれで先輩が納得するのか。そもそもがわからない現象に、わからないひとに挟まれて、俺はどうするべきなのか答えを出せないでいた。

 俺が言い淀んでいると、先輩が煙草に火をつける。派手な赤い地に白い花の咲いているシャツに、青白い煙が纏わりつく。俺はそれを目の端に入れながら、視線を定められずにいた。

「あんなの見たことないからさ、気になったんだよ。教えてくれても良いじゃんか。なあ……」

 多分俺の名前を続けようとしたのだろうか、不意に途切れたそれに俺は視線を上げる。

 そこに、先輩の姿はなかった。先ほどまで先輩のいた場所を見ると、手すりが途切れていた。腐食して粗が目だつ金属が、切れ目から覗いている。

 同時に、何度か聞いた音が下から聞こえた。妙に響く、水っぽい音。これを聞くのは四回目だ。

 落ちたのだ。余裕をかまして、ダメになった手すりに身体を預けたせいで。俺から話を聞きだそうと、力が加わったのだろうか。それなら俺のせいか。

 急いで降りると、果たして先輩は、廃病院の玄関前に突っ伏すように倒れていた。恐る恐る近づいても、軽くつついてみても、何の反応もない。死んでいるのか。

 それはもう見慣れたものだったけれども、知っているひとが落ちるさまを見るのは無視できるものではない。だが――

 見なかったことにできるのではないか、と思ってしまった。

 生活のなにもかもを喋る先輩から聞いたのは、敵は多くとも味方は殆ど居ないということで、とすればわざわざ探すような人も、今日、俺とここに来ていることを知るひとも居ないのではないかと。ならば、隠してしまえば、いつも通りに――無かったことにできる。

 殆ど無意識に、俺はスマホのメッセージアプリを開いていた。人間のアイコン達に混ざる、淡い桃色を探す。数か月前の履歴しかないそれを開いたとき、俺は全てが解決したように感じた。

 夜中に出歩くのも、人が居ないとはいえ不法侵入をしたことも――それから、死体も。全部、俺が人畜無害な人間をするのに、あってはならないものだった。いつも通りに、嘘を吐くしかない。

 俺は通話ボタンを押してから、今は叔父がスマホをなくしていないことを祈った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?