【短編ホラー】手懐け奪われ後始末

 入ってすぐ目についたのは机に置かれた木製の箱で、なんの装飾もないそれは、廃墟に置かれているにしてはやけに綺麗に見えた。

「な、あったろ」

 振り返りざまほくろのある片方の口角を上げてそう言った先輩は躊躇うことなく土足でずかずかと奥まで入り込む。俺は玄関で逡巡してから、恐る恐る部屋へ上がった。蝶番が耳障りな高い音を立て、背後からの明かりが遮断される。暗がりに懐中電灯の明かりが揺れた。カーテンのない窓から入り込むべき月明かりは薄雲で覆い隠され、街灯の明かりがぼんやりと内装の輪郭を示すだけ。丸くくりぬかれた視界を頼りに、俺は躓かないようにして先輩を追いかけた。

 ワンルームの室内は特に生活感があるわけでもなく、時間によって劣化したのであろう、薄汚く埃が積もり、ところどころ壁紙が剥がれている。人が住まなくなってから相当時間が経っているという話だから、当然と言えばそうだろう。家具は殆どが取り払われていて、机と――その上に置かれた木箱しか、部屋の中で目につくものはない。

 ぐるりと控えめに照らした室内に、先輩のシャツの、黒地に映えるやけに派手な赤色をした椿が浮かび上がった。深く吸い込んだ空気で喉がざらつく。

 机を挟んだ奥に立った先輩が、箱に近づいた俺を見て言った。

「開けてみなよ、面白いもんが入ってるよ」

   *

 床に塔のように立てられた酒の缶が派手な音を立てて倒れる。俺は律儀に飛び上がって身一つ分退き、それを見た先輩は喉を鳴らして笑った。酔っ払いにしては上手く積むものだと思っていたが、案の定五つは無理だったらしい。音に対する直接的な驚きの次は、近所から苦情が来ないかが恐ろしくなった。

「あんま煩くしないでください」
「悪かったって、大人しくするから」

 それにしてもお前はビビりだねとまた目を細めて、いそいそと机上に、今度は壁のように並べ始める。やけに楽しそうに並べるさまは、さながら積み木遊びに興じる幼児のようだ。

 確かに俺はビビりではある。だが普段からこの程度の音で飛び上がっては身を縮めているわけではない。なんせ今晩は夏の心霊特集を見ていたものだから、今は少しの物音でも心臓が跳ねるような状態なのだ。仕方ないだろうと誰に向けてか言い訳を頭に用意した。

「でも今日のはそこまで怖くなかったろ」
「まあ……芸能人の大袈裟なリアクションは冷めますけど」
「あれはやりすぎだよなあ。映像自体は面白いのに……途中の霊能者も胡散臭さの塊だったし。心スポで大騒ぎされても引く。なくていい」
「そんなこと言ったら心霊番組だいたいそうじゃないですか」
「俺は心霊映像だけ見たいの」
「わがまま言わないでください。それじゃテレビとしては面白くないでしょう」

 先輩はそれもそうだと納得したのか大げさに頷きつつ新しい缶を開け、一気に煽った。いくら炭酸入りの安酒だからと言って、その調子で飲むのは今日も潰れるつもりなんだなと把握する。もともと先輩が泊まるつもりではいた。というより朝まで居てくれないと困る。

 そもそも呼んだのは俺だ。自他共に認める怖がりのくせに心霊番組やらホラー映画は見たいから、道連れにできる他人を隣に置く必要があった。実家に居た頃は自室に籠ろうとする兄をなんとか引き留めて両親も居るリビングで見ていたが、ひとり暮らしになるとそうもいかない。だがホラーは見たい。実家からは遠く、友人もそこまで多くない。つまりホラー作品鑑賞を断念せざるを得ない詰みの状態だったところに、先輩という適役を見つけたのは一年ほど前のことだった。

 同じ学部で二つ上の先輩は、初めて会った時の感想として、ありていに言えば変人だった。上背のある痩身にやけに目立つ柄のシャツを着て、ゆるくウェーブした黒髪は隈のひどい目にかかるほど伸び、右耳には長い飾りのついたピアスをして、いつも人の居ない大学図書館の地下を我が物顔で占拠していた。たまたまその階にある資料を探していたときに話しかけられてから、なんやかんやで今に至る。

 単位が楽に取れる講義やら、試験対策やら、大学生活の役に立つことを先輩らしくなんでも教えてくれるので良い先輩なのだろうと思う。なにより専門分野と趣味については図書館の蔵書を大方記憶しているものだから、何度も助けられた。不真面目な見目の割に勉強面では優秀な人ではある。その一方、酒と煙草でいつも金欠、奢りなら誰にでもついていくと専らの評判で、会って数回で誘ってみたら二つ返事でついてきたので、誰に対してもその調子なのだろう。

 またそれなりの付き合いになってから気づいたが、なるほど酒に関しては頻度もさることながらザルのくせに長々と立てなくなるまで飲む、煙草も一日のうちで何度も喫煙所へ行くので、これだけで相当の出費になるであろうことは容易に想像できた。それでも最低限、借金もなく生活はできているらしい。その点を鑑みれば、考えなしの節操なしというわけではないようだ。

 あるときふと、先輩が奢りであればついてくるなら、酒と煙草を対価として差し出せばホラー鑑賞個人的な事情にも付き合ってくれるのではないかと思い至ったのだ。一年生の夏だったと思う。いつも通り図書館の地下で本を読み耽っていた先輩に試しに言えば、返ってきたのは居るだけで酒も煙草もくれるならいつでも行くよと軽い調子の承諾だった。

 それからと言うもの、先輩の借りているアパートが俺の住むアパートと近いということもあり、心霊番組をやるときも、ホラー映画を借りたときにも、ことあるごとに先輩を誘った。契約の通り、先輩は基本的に直前にアパート近くのコンビニで買い与えた酒を飲みつつ隣に居るだけだ。時折立ったかと思えば冷蔵庫に酒を取りに行くか手洗いに行くか換気扇の下で煙草を吸うかで、済めば大人しく隣に戻ってくる。画面は見ているあたり、ホラーに興味はあるのだろう。もし現実におばけが出たら……などということになればべろべろに酔っ払った先輩がどれほど役に立つかは想像に難くないが、俺は幽霊を信じる質ではないので――ここまで怖がっている時点で信憑性は皆無だろうが――見終わって一晩明かすまで人が傍にいれば俺としては問題がなかった。

 この日も同様、心霊番組を見るからと夕方の講義が終わり次第図書館で先輩を回収し、コンビニで酒と煙草を選ばせてから部屋に連れ込んだ。二時間余りの心霊番組は殆どが芸能人を映している画で、個人的な感想としては物足りないものだったが、先輩も同様の感想だったようだ。右耳に垂れるピアスを弄りながら愚痴を言う。

「なんかさあ、これで終わりじゃ勿体なくない?」
「勿体ないは分かりませんけど、不完全燃焼って言うなら分かります。でもホラー映画今日は借りてませんよ。サブスクも登録してないし」
「こないだ登録するって言ったじゃん」

 数ある媒体から迷った挙句登録できずにいる優柔不断な俺を詰るように黒い目でじっとりと見てから続ける。

「……まあいいや。だからさあ、提案。いいとこあんの」
「いいとこ」

 オウムよろしく繰り返した俺に先輩はアルコールで血色の良くなった唇から八重歯を覗かせながら笑顔を見せた。

「心霊スポットだよ。まあまあ近いとこにあるやつ。行こうよ」

 テレビ画面で見るだけで震え上がるほどの俺に提案することではないだろうと言いたかったが、ホラー好きなりに興味はある。今は夏だ。肝試しをするなら行くのであれば幽霊が出るとかいう心配もあれば、不法侵入になる不安もある。だが先輩が一緒ならば行けるのではないかと、なんの根拠もない信頼感がある。

「どんなとこですか」
「お、ノリ気じゃん。行くんなら話すよ」

 飲み干した缶を机上の壁に追加しながら言った。

「あっちの……川の方のさ、廃墟、知ってる?二階建てアパートの。あそこのさあ、204号室にね、骨壺の入った桐箱があるんだよ」
「骨壺ですか」
「そ、抱えるくらいの箱がねえ、ある。あとはなんもない。幽霊も出ないし住宅街から離れてるからそうそうお巡りさんも来ない」

 いいとこだろと言いながら、半分ほど水の入ったペットボトルを開け、一気に飲み干す。

「状態は分かりましたけど、それ心スポなんですか。おばけ出ないじゃないですか」
「まあ焦るなって。たしかにな、幽霊は出ないよ。なんの因縁があるのかも知らない。でもさあ、問題はその箱なんだよ。開かないの」
「じゃあ骨壺入ってるか分かんないじゃないですか」
「だねえ、ま、そこは単なる噂だし。サイズ感と既視感からの推測か思い込みだろ。でもさあ……開けるとね、ヤバいって」

 こわいねえと他人事のように言って、おもむろに立ち上がった。あれだけ飲んだのに足元がふらついている気配はない。酒が飲めない俺は、この人の肝臓はどうなっているんだと毎度疑問が湧く。

「だから行こうぜ。バイク出してよ、酒飲んでないだろ」

 部屋の隅に置いてあった非常用の懐中電灯を投げてよこし、俺の返事を待たずに玄関へ向かう先輩に慌ててついていく。俺に拒否権はないらしい。興味があるには違いないが、心の準備ができているかと言えば全くそんなことはない。

 それでもそそくさと部屋を出てしまった先輩を引き止めるまでの理由もなく、俺は玄関に置いてあったバイクの鍵を掴んで外に出た。

   *

 人家から離れた位置にあるその廃墟は見るからに肝試しにはもってこいな風貌で、朽ちた外壁に蔦が絡みつき、一階部分には扉が外れている部屋もあった。

「先輩は来たことあるんですか、ここ」
「昼間にねえ、散歩がてら。明るいと怖くないね」

 やっぱり心スポは夜に来るもんだねと言って、階段を上がる。錆び付いてはいるが朽ちているというふうではなく、崩れ落ちる心配はなさそうだ。

 階段から一番遠い部屋、表札に204と表記のある部屋の前に立つ。見たところ錆びている以外に気になるところはない。先輩がドアノブに手をかけると、なんの抵抗もなく開いた。黴臭さが鼻腔をすぐる。土足で入り込んだ先輩を追って、俺も中に入った。

 左手にある扉は水場だろうか、狭い廊下の向こうにはがらんどうの部屋が見える。カーテンのない窓、その手前に唯一ある机――その上に、木箱があった。先輩の言った通り、抱えるほどの大きさがある箱だ。

 な、あったろと振り返る先輩に、俺は声を出すこともできず僅かに頷くので精一杯だった。俺が呆けている間に先輩は奥まで進んでしまう。

 箱を見ないように――訳あり気に置かれたを避けて、懐中電灯を部屋のあちこちに向ける。ちらちらと先輩のシャツの派手な花が視界に入った。

「なんもないねえ」

 部屋を一周――と言っても机の周りをぐるりと周っただけだが――した先輩が、机を挟んで俺を見る。

「じゃああとはこれだけだ」

 そう言ったと思うと先輩は木箱を触り始める。動かそうとするが、中身が重いのかはたまた机にへばりついているのか、微動だにする気配がない。蓋を触っても、鍵など付いていないらしいのに開く気配がない。

「噂通りだねえ、開かないんじゃ中身を確かめようがない」
「触って……触っても大丈夫なんですか」
「さあ?」
「さあって。開けたらダメなら触るのも危ういでしょう」
「だって気になるもの。やってみなきゃあ分かんないじゃない」

 しばらく木箱を掴んだり蓋の隙間に爪をかけたり叩いたりを試していた先輩だったが、何の反応も示さない木箱に興味を失ったのか、おもむろに背を正すと懐中電灯の明かりから逸れた。

 俺は離れたところから木箱を観察する。部屋の崩れ方から見ると、それは見るからに新しい、と言うか綺麗だ。埃が積もっていない。傷もない。近づいて恐る恐る触れてみるも、机についた手が真っ黒に汚れたのに対して、木箱に触れた指にはなにもつかない。それだけ確かめて離れる。先輩のように思いきり触れようとは思えなかった。

 懐中電灯を持ちなおし、窓の方に向ける。と、その明かりの中に赤い花が入り込んで俺は飛びのいた。

「開けないの」

 前髪の隙間から真っ黒い目を覗かせて、微かに口角を上げながら先輩が言う。

「開けてみなよ。面白いもんが入ってるよ」

 声はいつもの先輩だ。だが――なにかしら、違和感がある。若干、言葉のアクセントが違う気がした。思い過ごしかも知れないが、酔うと間延びするのが常なのに淡々と喋る。酔いがさめたのかも知れない。だが先輩は飛びのいた俺を揶揄うでもなく覗き込むようにじっとこちらを見て、また開けなよとだけ言った。

 先輩は俺を見据えたまま、その場に墓石のように突っ立っている。それが不気味で、俺は逃げ出したかった。だが同時に、どうしてもその箱を開けねばならないと思った。

 懐中電灯を机に置き、箱に手をかける。乗せてあるだけに見える蓋に触れた。爪をかけずとも蓋は簡単に横にずれ、中身があらわになる。ふと、線香の香りがしたような気がした。

 中にあったのは予想に反して、白ではなく黒いものだった。骨壺のつるりとした外面ではない。長い毛の塊――髪、だろうか。そこまで思考が追いついて、

 見覚えのある、つむじから巻いたウェーブがかった黒髪。取り出そうとした手に、耳が触れる。生暖かい感触の中に、金属の冷たい感覚が指先に触れる。細いチェーンを引くと、箱の中からくぐもった音で「痛いだろ」と言うのが聞こえた。一瞬躊躇ったが、そのまま箱の底まで手を入れる。掌が長い睫毛に触れてむず痒い。指がかさついた唇に触れ、底に面した部分は形容しがたい感触だった。ゆっくりと掬い上げるように持ち上げる。

 先輩が二度瞬きをする。手に乗った先輩の首は、物珍しそうに周囲を見回してから俺を見た。俺が戸惑っていると、先輩が口を開く。

「あー、やっぱ開けるとろくなことになんないんだねえ」

 眉を下げ、間延びした調子でのんびりと言った。

「それどころじゃないでしょう、これ……どうするんです。おれ、俺はどうしたらいいんですか」
「どうだろ、体ある?」

 改めて部屋を見回す。先ほどまで机の奥に立っていたはずの先輩の姿は、どこにもない。

「……ないです」
「じゃあしょうがないなあ、置いてくのだけはやめてくれよ」
「それでいいんですか」
「それしかないだろ、もう」

 やけに諦めの良いことを言って、声を立てて笑う。何がそんなに愉快なのか、それとも笑うしかないのか。マジックショーなんかだと便利だなと言うので、体だけの人も探さないと成り立たないでしょうと、およそ現実逃避のようなことを返す。俺が動けないでいるのを、先輩は怪訝そうな目で見た。

「離れていいんですかね、これ」
「なんでさ、ここでひとりは流石に心細いよ」
「もし体がここにあったら、こう、あんまり離しすぎるとダメになったりしないですか」
「そんなBluetoothみたいな……そもそも首から下の感覚ないからいいんじゃない?」

 そのときはそのときだよと八重歯を見せて笑う。いつまでもここに居るわけにもいかない。本人がこう言うのなら仕方がない。俺は先輩の首を抱えて部屋を出た。先輩の頭が、俺の目線より下にあるのが新鮮だった。鼻と口をふさがないようにタオルで巻き、メットインに先輩を入れる。不満げな顔をしたが、まさか抱えてバイクに乗るわけにもいかないだろう。

 ヘルメットを被りバイクに跨る。先刻乗ったときにはあった、腰に巻きつく先輩の体温がないことに虚脱感を覚えた。

 走り出してから、部屋に帰ってから俺はどうしたらいいのかだとか、先輩は今後どうしていくのだろうかとか、現実感の無い問いが浮かんでは消え、それでもなお脳裏にしがみつく。先輩が生首ならまず普通の生活はできないだろうなと、他人事のように思った。それと同時に、メットインの中の先輩が部屋についたころに消えては居ないだろうかと不安にもなる。夏の夜の残る熱は、今は気にならなかった。頭だけになった先輩は、酒も煙草もやるのだろうか。

 もし先輩が、ずっと俺の部屋に居てくれるなら。いつまでも隣に居てくれるなら――ひとまず動画配信サービスには登録しようと決めて、夜道を走った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?