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少女とクマとの哲学的対話「寄付についてのアレコレ」

〈登場人物〉
アイチ……高校2年生の女の子。
クマ……アイチが子どもの頃からそばにいる人語を解するヌイグルミ。

アイチ「今日、学校で寄付してきたよ」
クマ「ああ、西日本豪雨の被災支援だね」
アイチ「そうそう。お小遣いから少しだけどね」
クマ「寄付については、いろいろと議論がやかましいね」
アイチ「そうなの? 寄付って、ただするかしないかの話じゃないの?」
クマ「うん、確かにその通りだとボクも思うんだけど、どうもこの寄付っていう行為については、人の琴線に触れたり、癇に障ったりするみたいなんだね」
アイチ「たとえば、どんな風に?」
クマ「うん、たとえばね、有名なYoutuberや芸能人が多額の寄付をするよね、すると、それは売名行為だ、災害を利用して自らを利す行為だ、けしからん、なんて話になるんだ」
アイチ「なるほどね。いいことはこっそりと行いなさいってことか……わたしは別に構わないと思うけど。だって、その人たちって現にお金を出したわけでしょ? だったら、出したお金の分だけ名前が売れたっていいんじゃないかな」
クマ「ボクもそう思うけどね、いや、そんなのは偽善だ! って言う人も多いみたいだよ。この偽善ってことに関して言うとね、別に有名人に限られない話なんだ。そもそも、寄付っていう行為自体が偽善じゃないか、っていう話もあるからね」
アイチ「どういうこと?」
クマ「一度きり寄付を行ったって、それでもって被災者の生活が立ち直るわけじゃないよね。だから、そういう行為は、ただの自己満足じゃないかっていうことさ」
アイチ「わたし、前から不思議だったんだけど、『偽善』ってどういうことなの? だって、仮に自己満足だったとしても、寄付自体はいいことでしょ。それなのに、それが偽りだっていうのが、よく分からないな」
クマ「行為の結果が善だけど、行為の意図が善ではないときに、『偽善』って言われるんだよ」
アイチ「どうして、『行為の意図』なんていうものが重要なの?」
クマ「うん、それはもっともな疑問だね。実はね、今からずっと昔のギリシャでは、『偽善』なんていう考え方は無かったんだ。というのも、行為の結果が良いものであることが、すなわち善なわけで、そこに内心なんてものが介在する余地は無かったんだよ。善悪のことを考えるときに、内心なんてものを重視し始めたのは、キリスト教なんだけど……まあ、この話はちょっと長くなるから、今はおいておくね」
アイチ「他にはどういうことが言われてるの、寄付について」
クマ「いいかげん、こうやって事が起こったあとに寄付するのはやめにした方がいいって意見もあるね。日本は、自然災害が多い国なんだから、あらかじめ、それに対する備えをしておくべきであって、事後の寄付なんて話自体がバカバカしいっていうね」
アイチ「あらかじめの準備か……わたしは苦手だなあ。明日のことを考えるのって」
クマ「キミの場合は、明日が来るとは思っていないから、明日のことを考えるのが苦手なんだろうけど……まあ、それはそれとして、この意見はすごく正論だとは思うね。ただ、難しいだろうな。普通、人は、明日豪雨に見舞われるかもしれない、なんて考えてその日を生きないだろうからね。明日も今日と同じ日が続くと思うことが、生活するというそのことなんだから」
アイチ「学校の友だちが、自分にできることがほとんどないから、悔しいって言ってたなあ」
クマ「そういう人もいるね。他人の災害を自分のことのように感じてしまう人だね」
アイチ「わたしは、今回の豪雨について、ひどい災害で、早く元通りになればいいとは思うけど、自分のことのようには感じられないなあ」
クマ「それは、どちらがどうということでもない話だな。西日本に降った雨がね、その人の心にも降ったかどうかっていうことなんだ。降った人からすれば、降らなかった人のことを薄情だと思うけれど、降らなかった人からすれば、降った人は何でそんなに騒いでいるんだろうってことになる」
アイチ「そう言えば、お母さんが言ってたんだけど、町内会のお祭りを自粛しようっていう話が出ているみたい。こんな災害があったのに自分たちだけ楽しむなんて、不謹慎だからって」
クマ「うん……まあ、彼らが楽しもうが楽しむまいが、そんなことは、被災地の人とは何の関係もないだろうけどね。お祭りをやめてその費用を寄付するっていうんなら、話は別だけど。ただ、そういう不謹慎だっていう声は、こういう災害が起こると出てくるみたいだね」
アイチ「身内が亡くなったら、喪に服すっていうことになって、楽しみを控えるよね。そういう感覚なのかな」
クマ「そういうことだね。被災地のことを身内のように感じなさいってことだろうけど、まあ、そもそも身内っていうのは家族や自分に親しい間柄のことを言うわけだから、そうじゃない人までそう感じるようになんていうのは、ちょっと無茶な相談だね」
アイチ「災害はまた起こるよねえ」
クマ「起こるね。それは逃れようもないものだ。でもね、それを逃れることができる方法を、良寛という江戸時代の僧が教えてくれているよ」
アイチ「え、どんなの?」
クマ「『災難に遭う時節には災難に遭うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるる妙法にて候』ってね。これは、地震で子どもを亡くした友人に宛てた見舞いの手紙の一節なんだ」
アイチ「……うーん、それって何を言ったことにもなっていないんじゃないの? だって、そんなこと言ったらさ、災難に遭わないときは遭わないのがいいし、生きるときには生きるのがいいって言っても同じことじゃん」
クマ「うん、その通りだ。普通、この良寛の言葉は、災難をあるがまま受け止めなさいっていう意味だと思われているけど、そうじゃない。生きるときは生きるし、死ぬときは死ぬ。災難に遭わないときは遭わないし、遭うときは遭う。そういう人生の事実を述べただけの文なんだよ」
アイチ「そんな言葉がお見舞いになるの?」
クマ「ならない人にはならないだろうけど、なる人にはなるだろうな。それこそ、多額の寄付よりも、その人を勇気づけることだろうね」

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