お嬢様とヒツジとの哲学的口論「30年後なんてどうでもいい!」
〈登場人物〉
マイ……中学1年生の女の子。色んなことに腹を立てるお年頃。
ヒツジ……人語を解すヌイグルミ。舌鋒鋭め。
ヒツジ「どうした? いつも以上に不景気な顔して」
マイ「ふけいきな顔ってなに? なんか悪口?」
ヒツジ「面白くなさそうな顔ってことだ」
マイ「そりゃ、面白そうな顔しているわけないでしょ。宿題やってるんだから。学校からさ、『30年後あったらいいな』っていうタイトルで、作文を書くように言われてるんだよ」
ヒツジ「簡単そうな問題じゃないか。空飛ぶ車とか、クリーンエネルギーとか、AIとか、そんなもんいくらでも書きようがあるだろう」
マイ「まあ、そういうことを書こうと思えば書けるんだけどさ……」
ヒツジ「何が問題なんだ?」
マイ「30年後の世界ってことをリアルに想像してみようとしたときにさ、わたし、思ったのよ、30年後の世界なんてどうでもいいなあって」
ヒツジ「どうでもいい?」
マイ「うん……だってさ、30年後ってさあ…………わたし、43歳なんだよ!」
ヒツジ「まあ、今が13歳だから、時空がねじ曲がりでもしない限りは、そりゃ、30年後は43歳だよな」
マイ「43歳って……もう人生終わってるじゃん」
ヒツジ「おいおい、人間50年の戦国時代じゃないんだ。今だって平均寿命は80歳くらいあって、30年後にはもっと延びていることだろうから、人生終わりはしないだろう。まあ、そりゃ不慮の事故とかはあるかもしれないが」
マイ「わたしが言っているのはそんなことじゃないの! そりゃ、たぶん、生きているは生きているでしょうよ……でも、43歳だよ、もうおばさんじゃん!」
ヒツジ「なるほど、そういうことか」
マイ「ああ、わたし、想像できない。ていうか、したくない。自分が43歳になるなんて……お母さんでさえ、まだ40歳前なのに、お母さんの年齢を超えるんだよ。そんなこと考えたらさ、30年後の世界なんていうのが、心底どうでもいいもののように思えてきたんだ。そもそも、そんな世界来てほしくない」
ヒツジ「『ゲノム編集によって老化の進行が抑えられ、実年齢と見た目で10~30歳の差が出てくる』なんていう話もあるが、これならどうだ?」
マイ「あんた、バカじゃないの。実年齢と見た目で差ができたって、実年齢に変わりがあるわけじゃないじゃん! そんな技術できたって、13歳のように見えるけど本当は43歳、つまり偽物の13歳と、13歳のように見えて本当に13歳、つまり本物の13歳が生まれるだけでしょ。偽物は偽物、本物には勝てないし、本物の13歳が人生で一回しか無いことは同じじゃん!」
ヒツジ「……お前、この種の話になると、おそろしく頭の回転が速いな」
マイ「どうせ、あんたが言いたいことは分かるわよ。『そんな若さなんてものに価値を置かずに、人間としての内面の価値を高めるようにしろよ』とかさ。それもそれで分かるけど、でも、どうしたって若いことっていいことのように思われるんだから、仕方ないでしょ!」
ヒツジ「まあ、若さがいいと思うのは自然な感情ではある。アンチエイジングが今より進んだとしても、アンチエイジングというのはまず若さというものに価値を置いた上で、老いに抵抗しようとしているわけだから、若さがいいもので、老いが悪いもの、という構図を崩すことはできない」
マイ「アンチエイジングなんて、考えただけでもゾッとするよ。若さを失った人が若さを取り戻そうとする試みなんてさ。お母さんが老けて見えることは嫌だけど、もしも、お母さんが美魔女を目指したら、わたし止めると思う。もうすでに年を取ったお母さんが若さを必死に取り戻そうとするところなんて見たくないもん…………あれっ、何の話だっけ?」
ヒツジ「30年後の未来を想像したくないという話だろう?」
マイ「そうそう……まあ、もしも13歳をもう一回やり直せる未来でもあればね」
ヒツジ「あったら、どうなると思う?」
マイ「あったらどうなるって……そんなこと無いから」
ヒツジ「しかし、未来はどうなるか分からないわけだから、もしかしたら、何らかの技術の革新によってそんなこともできるようになるかもしれないだろう? 30年前はスマホなんてものは考えられもしなかったのと同じようにな」
マイ「もう一度13歳をやり直せたらか……うーん……」
ヒツジ「仮にそんなことがだ、何らかの技術革新によって可能になったとして、それはいいことなのかどうか」
マイ「それはいいことでしょ。できるなら、何回でもやり直したいよ」
ヒツジ「しかし、だ。仮にやり直したとしてもだ、またその13歳をやり直したお前が望むことが、『もう一度13歳をやり直したい』ということだったら、これはどうもキリが無い話にならないか?」
マイ「それは……まあ、そう言われてもみると確かに」
ヒツジ「それに、何回もやり直せるということになれば、そのものの価値は必ず低下する。もしも、13歳が何度もやり直せるということになれば、13歳であることの価値は低くなるだろう。そうすると、そういう世界では、13歳のお前は、むしろ、他の年齢になりたいと思うようになるんじゃないか?」
マイ「…………」
ヒツジ「だとするとだ。13歳に価値を認めるお前は、その価値を認めるあまりに、その価値を低下させるということになるが、それでいいか?」
マイ「……13歳に価値があるのは、13歳が一回しか来ないからってこと?」
ヒツジ「そういうことだ」
マイ「まあ、いいよ。それは認めるとして、じゃあさ、この13歳を手放したくないっていう気持ちはどうなるの? 30年後の未来なんか見たくないっていう気持ちの方は?」
ヒツジ「母親に訊いてみればいいだろう。お前の母親もお前くらいの年には同じように考えていたんじゃないか。それをどうやって乗り越えてきたか、訊いてみろ。……まあ、しかし、特にどうやってもこうやっても無いだろうけどな。自然にそうなっただけだろう」
マイ「どういうこと?」
ヒツジ「人間の気持ちは変わるということだ。お前は今13歳で、13歳の感じ方があるだろうが、14歳になればそれはまた変わり、43歳になればまた変わる。これはどうしてか? 誰もその年齢を生きるのはその時初めてのことだからだ。13歳のお前は13歳のお前の気持ちは分かるだろうが、14歳のお前の気持ちは分からないし、43歳のお前の気持ちも分からない。43歳になれば、案外、ノリノリでアンチエイジングに励んでいるかもしれない」
マイ「……じゃあ、なに、今分かることしか、今のわたしには分からないってこと?」
ヒツジ「それが分かったら他に何を分かるべきこともない。30年後世界がどのように変わっているか、その変わった世界でどう生きていくか、そんなことは30年後のお前に任せておけ」
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