榮川酒造(福島県・磐梯町)「純米大吟醸」

※ショートストーリーとともに、日本酒のご紹介をします。日本酒に興味が無い方に読んでいただいて、日本酒に興味を持っていただき、実際に日本酒を召し上がっていただけたらと思います。福島住まいなので、ご紹介する日本酒は、どうしても福島のものが多くなります。

「お雛様出しているんだから、帰って来なさい」

 スマホ越しの母の声を、華《ハナ》は夢うつつで聞いた。

「あなたのために出したんだから」

 それでもなお寝ぼけまなこをこすりもせずに、ベッドの中でむにゃむにゃやっていると、

「お父さんも会いたがっているし」
「お正月に帰ったでしょー……」
「それは当たり前でしょう!」
「うーん……面倒くさいなあ」
「いいから、早くベッドから出て、顔を洗って、着替えて、一番早い新幹線に乗って来なさい。駅で待っているから!」

 そう言って、電話は切れた。時計を確認すると、まだ朝の6時である。

――これは夢かもしれない……うん、夢だな。

 そう自分に言い聞かせて、もう一度ベッドに入ると、その15分後に再び電話が鳴って、

「起きなさいって言ったでしょう!」

 再び取ったスマホ越しに母の怒声が聞こえて来たので、飛び起きた。

「監視カメラでも取りつけているの?」
「あんたの行動なんてお見通しよ、ほら、早くなさい!」

 やれやれ仕方がない。

 華はスマホを切ると、ベッドから立ち上がって、母に言われた通りにした。

 大学進学のため家を出て二年ほど経つ。

 それなのにこれでは、高校時代と変わらない。

――お母さん、子離れしてくれないかなあ……。

 母に言わせれば、娘がしっかりしていないから子離れできないということになるようだけれど、色々世話を焼かなければこっちだって自分で何でもやるのだ、というのは華の言い分だった。

 実家までは、新幹線を使えば一時間くらいのものなんだけれど、どうにも帰るのは気が進まない。何かと世話を焼く母のこともあるのだが、問題は父である。父とはどうにも上手くない。別にいがみ合っているわけではないのだけれど、寡黙で厳格な人で、小さい頃から苦手、一つ所にいると緊張を覚える。

 とはいえ、子どもというものはいくつになっても、ある程度は親の意に沿うようにしなければいけないものだ、というくらいの良識を備えている華は、たまの帰省をその「ある程度」の中に位置づけて、素直にパジャマを脱いだ。母に言われた通りに一番早い新幹線に乗って、乗車中に母に、到着時刻を知らせるメールを打つ。

「よく来たわね」

 まだ午前の早い時間に、実家の最寄り駅に立つと、何だかちょっとうすら寒い。思わずくしゃみをすると、

「そんな薄着で来るからよ」

 母の小言を頂戴して、軽自動車の助手席に乗った。
 10分も揺られていると、家に着く。
 二階建ての和風建築である。

「ほら、お雛様」

 一階にある十畳の一室に七段の立派な雛飾りが鎮座ましましている。あんまり立派すぎて気圧されて、小さい頃は、手にとってみようという気持ちにもならなかったのだが、人形にとってはその方が良かったかもしれない。

「晩ご飯作るの、手伝ってね」

 否も応もない。

 桃の節句のためにご馳走準備をしたり、昼食を食べたり、テレビを見たりしていると、高校生の弟が帰って来る時間になった。「姉ちゃん、帰って来たんだ」と特に感慨深い声も出さないので、あげようと思っていた小遣いの額を半額にして500円あげた。

 さて、問題の父であるが、夕方帰ってくると、

「大学の方は大丈夫なのか?」

 帰省した娘の顔を見た第一声がこれである。本当に会いたがっているのだろうか、と母の言葉に疑いの気持ちを抱きながら、華は、今年度の単位は問題なく取れることを、ご報告申し上げた。

 父は満足そうな顔を見せるでもなく自室に戻り、着替えてから、食卓が用意された雛飾りの間へと現れた。

 華は、父の対面という特等席である。

「さあ、いただきましょう」

 母の声で、夕食が始まると、ずいっと華の前に徳利が現れた。

「え? わたし?」

「当たり前だろう」

 父が不機嫌そうな声を出す。

 徳利に入っているのはもちろん日本酒であり、華は、日本酒はほとんど飲んだことがない。

 そもそもアルコール自体を飲まない。

「ほら、お猪口を持ちなさい」

 母の勧めに従って、華は小さな酒器を手に取った。途端に、

「親の酌を片手で受けるバカがいるか!」

 父に一喝されて、でも両手で支えるには小さすぎるんだけどなあ、と思っていると、

「片手は底に添えるのよ」

 母の助け船が入った。

 徳利から酒が注がれて、あんまり気乗りはしないが、えいやっと口に含むと、

――え……これ、お酒?

 あんまりすっきりとしていて、またたく間に飲んでしまった。

 すっきりとしているのだけれど、口の中にふわりと香りが立つ。

「美味しい!」

 思わず声を大きくしてしまった華の前に、また徳利が現れて、

「飲め」

 と太い声。

 父の酌に応えて、いただくと、澄んだ味わいが喉を滑り落ちて、ほんわかとお腹を温めてくれるようだ。これはいくらでも飲めそう、と思った華が、

「日本酒って美味しかったんだ」

 感動を声に込めると、

「これは特別。榮川《えいせん》の『純米大吟醸』なんだから。この日のためにって、お父さんが奮発したのよ」

 母の説明が入る。

 「純米」というのは、お米と米こうじと水だけで作られたお酒ということで、「大吟醸」というのは原料にする酒米――日本酒を作る原料になるお米――を精米して、元の酒米のうち50%以下しか使っていないお酒を指すらしい。榮川の「純米大吟醸」は、40%しか使っていないということである。

 そういう説明を右から左へ聞き流して、華は、ふわふわとした気持ちになった。

 もう酔って来たらしい。

「余計なことを言うな」

 父の注意の声が母に飛ぶが、母は何食わぬ顔である。

「初めに飲む酒は美味いものでなくてはダメだ」

 父が手酌をやろうとすると、母が、

「ほら、お父さんに注いであげなさい、ハナ」

 言って来たので、そりゃそうだ、と徳利を取った華が慌てて父に注いであげた。

 父は、じっと猪口を見て、それから娘を見て、そのあと、ふと雛飾りに目を向けた。

 華はまた何か粗相をしたかと思って慌てたが、目を戻した父は何も言わずにぐいっと酒を飲み干すと、

「ああ、美味いな」

 そう言って、破顔した。

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