少女とクマとの哲学的対話「30年後の世界」
〈登場人物〉
アイチ……高校2年生の女の子。
クマ……アイチが子どもの頃からそばにいる人語を解するヌイグルミ。
アイチ「うーん……」
クマ「何をうなってるの?」
アイチ「学校の課題で、『30年後あったらいいな』っていうテーマで作文を書くように言われているんだけど、考えがまとまらなくて」
クマ「30年後あったらいいな、か。なるほどね」
アイチ「そういうの、あんまり思いつかなくてさ。30年後あったらいいもの……強いて挙げるなら、人の優しさ、とか?」
クマ「あっはっは」
アイチ「ちょっと、笑わないでよ、クマ。しょうがないでしょ、思いつかないんだから」
クマ「ゴメンゴメン。でも、バカにしたわけじゃないよ。今の発言を聞いて、このテーマはなかなか興味深いと思ったから、笑ったのさ」
アイチ「『あったらいいな』って言われてもさ、いったい、いいとか悪いとかってどういう風にして判断されるんだろう。たとえば、あったらいいものの例として、『ゲノム編集によって老化の進行が抑えられ、実年齢と見た目で10~30歳の差が出てくる』っていうのが挙げられているんだけど、でもさ、老化の進行が抑えられて、見た目が若く見えるっていうことって、いっったい、どういう点でいいことなんだろう?」
クマ「キミの言う通りだ。老化の進行が抑えられて、見た目が若く見えるということの、いったい何がいいことなのか。いいと悪いということがどういうことか、先にそれが分かっていないと、あったらいいとか悪いとか、そんなことは言いようがない。老化の進行が抑えられることは無条件でいいことじゃないかと世の人は言うかもしれないけれど、老化の進行が抑えられることによってますます人は死を忘れてただ生きるということを価値とするようになるかもしれない。それはいいことなのだろうか?」
アイチ「ねえ、クマ。技術が進歩することと、それがいいことかどうかっていうのは、別のことだよね?」
クマ「いい加減、そこに気がつかれてもいいんじゃないかな。まあ、『進歩』っていう言葉自体に、肯定的な価値があるから、進歩って言われちゃうと、どうしてもいいことのように思わざるを得ないんだけどね。それだってさ、現に技術の進歩によって、さまざまな問題が起こっているわけだから、技術が進歩しても一概にそれがいいなんて言えないことは明らかじゃないじゃないか。それなのに、技術の進歩がいいだなんて考え方は、まあ幼稚すぎるね」
アイチ「どうして、技術が進歩することをいいことだって思うんだろう。だってさ、たとえば、今から30年前は、今から30年分技術が劣っていた時代だったわけだけど、そうすると、今から30年前って今から30年分悪かった時代ってことになるの? そんなのおかしくないかな」
クマ「今から30年前には、今ある技術の中でなかったものも、もちろんある。しかし、だからと言って、その分だけ悪かった時代ということになるのだろうか。まさか、そんなことはないだろう。その時代にも、今と同じように、いいところもあれば悪いところもあったに違いない。だとすると、技術がどう進歩しようが、今から30年後にもいいところもあれば悪いところもあると考えるのが当たり前さ。時代が進むにつれて、人間やその社会がより完璧なものに近づくという考え方を進歩主義というんだけどね、ボクにはこういう進歩主義を採ること自体が、しっかりと物事について考えられていないという点で、思考力の退化のように思われてならないね」
アイチ「その思考力が進歩したらどうかな。30年後に今よりもっとよく考える力が、あったらいいっていうのは」
クマ「それはいいね。まあ、でも、今よりもっとよく考える力なんていうのは、よそから与えられるわけにはいかないだろうね。今生きている人たちが自らもっとよく考えることで、周囲を感化することで、30年後の未来に、もっとよく考えられる人を多くするしかない」
アイチ「作文にはその線で書こうかな」
クマ「初めにアイチが言っていた『人の優しさ』なんていうのもいいと思うよ。あまり優しくない世の中だから、そういう、お題が望んでいない答えは、受け入れられないかもしれないけどね」
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