お嬢様とヒツジとの哲学的口論「マスクの買い占め・転売するヤツ、ほんとクズ!」
〈登場人物〉
マイ……中学1年生の女の子。色んなことに腹を立てるお年頃。
ヒツジ……人語を解すヌイグルミ。舌鋒鋭め。
〈時〉
2020年2月上旬
マイ「あー、腹立つ。どこのドラッグストアに行っても、全然マスクがないじゃん! どうなってるのよ!」
ヒツジ「例の新型肺炎の影響で、どこもマスクが品薄らしいな」
マイ「品薄っていうか、無いのよ、まったく無いの! ゼロなの! なんでか分かる!?」
ヒツジ「普段、買わない人間が買っているんだから、仕方ないだろう」
マイ「そんななまやさしい話じゃないのよ! 一部の人が買い占めているから無いの!」
ヒツジ「マスクを買い占めてどうするんだ? あんなもの、あればあるだけいいってもんでもないだろう」
マイ「決まってるじゃない! 転売するのよ! 高値で売りさばくの! 事実、オークションサイトとかで、とんでもない値段で取引されているんだから!」
ヒツジ「なるほどな。こういうのはなんていうんだろうな、火事場泥棒じゃないだろうし」
マイ「呼び方なんかどうだっていいのよ! わたし、こういう卑怯な行為は許せないのよ! 人の弱みにつけこんでさ!」
ヒツジ「まあ、確かにな。しかし、人の弱みにつけこむという点について言えば、商売っていうのは往々にして、そういう要素があるけどな。必要な商品やサービスを売るということは、それを必要としている人の弱みにつけこんでいると言えなくもないわけだ」
マイ「今回のはそういうんじゃないじゃん! そりゃ、何かを売るってそういうことかもしれないけど、今回のは、そういうことじゃないでしょ! 転売することで、不当にもうけているわけなんだから!」
ヒツジ「『不当に』もうけているか。なるほど、じゃあ、少し整理してみよう。まず、転売という行為、それ自体は、チケットなど一部のものを除いて、違法なものではない。これは、お前も認めるな? もしも転売という行為が違法なものだとしたら、流通がかなり制限されるし、現に、それによって逮捕される人は出ていない」
マイ「法律で禁止されていないから、いいってこと!?」
ヒツジ「法律で禁止されていないことは、法律的にはいいことだ。これはいいな?」
マイ「それはいいわよ。でも、法律が全てじゃないでしょ! 道徳ってものがあるんだから!」
ヒツジ「緊急時に買い占めを行うことは、道徳に反していると言うんだな?」
マイ「そうよ! だから、卑怯だって言ってんの!」
ヒツジ「法律には違反していなくても、道徳には違反している。しかし、そもそも、行為の基準として、どうして、法律と道徳などというものがあるんだ?」
マイ「どうしてって……法律っていうのは最低限それをしちゃいけないってもので、道徳っていうのはできるだけそうした方がいいってもので、基準としての性質が違うからでしょ」
ヒツジ「お前にしては、なかなか的を射た定義だな」
マイ「アリガトウ」
ヒツジ「しかし、仮にその通りだとしたら、法律上の非難はともかくとして、道徳上の非難を行うのは、ちょっと酷ということにならないか?」
マイ「どうしてよ」
ヒツジ「お前の言うとおりだとすると、道徳というのは、できるだけそうした方がいいというものだ。たとえば、他人のことを考えて行動しなさい、という道徳は、『できる限り』他人のことを考えて行動しなさい、ということだろう?」
マイ「そうよ」
ヒツジ「しかし、『できる限り』というのは人それぞれ違うわけだ。人それぞれ状況がある。お前の『できる限り』と、マスクを買い占めるやつの『できる限り』が違うとすると、お前の基準でもって、マスク買い占めのやつを責めるのは難しくならないか?」
マイ「あのね、ちょっと待ってもらいたいんだけど、わたしは、そんな理屈を言っているわけじゃないんだって! 法律がどうのとか道徳がどうのとか、そういうことじゃなくて、みんなが必要としているものをお金儲けのために買い占めるっていう行為が、卑怯だってことを言いたいだけなんだから!」
ヒツジ「まあ、確かに、どう控えめに見積もってみても、その種の行為を、立派だと感じるヤツはかなり稀だろうな」
マイ「いるわけないでしょ、そんな人!」
ヒツジ「ただ、その種の行為というのは、何も物珍しいものじゃなくて、人間がいかにもやりそうな行為ではあるけどな」
マイ「いかにもやりそうだからこそ、現にそれをやった人が最低なんじゃない!」
ヒツジ「まあ、確かにそういうことも言えるな。そもそも、やりそうもないことというのは、既存の評価基準の対象にならないだろうからな」
マイ「わたしは、絶対にそういう卑怯なことはしない!」
ヒツジ「それは好きにすればいいさ。ただまあ、お前のように感じるヤツもいれば、平気でマスクを転売するようなヤツもいるのが、この世の中だってことは認めておいたほうがいいだろう」
マイ「そういう人もいるから、諦めろって言うの!?」
ヒツジ「いや、諦める必要は無い。お前の怒りはおそらく正当なものだろう。だから、大いに怒ればいい。その声がお前だけにとどまらず、他の人間からも叫ばれるようになれば、世の中が変わるということも、あり得ることだろうからな」
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