少女とクマとの哲学的対話「ティッシュペーパーと、生きる意味」

〈登場人物〉
アイチ……高校2年生の女の子。
クマ……アイチが子どもの頃からそばにいる人語を解するヌイグルミ。
老人……一連のコロナウイルス騒ぎを苦々しく思っている。
〈時〉
2020年3月上旬

老人「まったく困ったものだ。例のコロナウイルスの騒ぎで、マスクの次は、紙製品がなくなり、次になくなるのは、米かカップラーメンか缶詰かと言われている。備蓄に回すのだそうだ。やれやれ、とため息をつかずにはいられない」
クマ「何か問題かな」
老人「いや、何も問題は無い。我が家族だけよかれ主義によって買い占めを行うことは人間としての自然の情の発露であり、また、転売は資本主義経済の中で許された合法的な行為なのだと、そう肯定して恥じる気持ちが一点もないのであればな」
クマ「まあ、あんまり褒められた行為ではないよね、買い占め・転売なんていうのは。でも、こういうときに起こりがちな行為ではあるから、何も目くじらを立てるようなことではないと思うけど。人間がやることだからね」
老人「いや、その『人間だもの』という考えは、確実に人間を卑しくする。卑しい真似をして生きることに、どのような価値があるのか、そのような自省をすることができずして、それは、人間と言えるのか。生きるだけなら、動物でもできることだ」
クマ「厳しい意見だね。しかし、キミの言う通りだとも言える。分け合えば足りるかもしれないものを余計に買い込んで、社会を不安にするのに一役買うことに対して人間としての誇りが持てるのかと、まあ、そういうことを考えられるのが、人間だとも言えるからね」
老人「百歩譲って、年若い者が不安になるのは分かる。彼らには未来があるからな。しかし、わしらのような老人が右往左往するのは、これは明らかにおかしいだろう。放っておいても、そう遠くない将来にお迎えが来るというのに。コロナで死にたくないと言ったって、それじゃあ、いったいいつまで生きるつもりなのかと、逆に問いたい」
アイチ「確かに、スーパーとかで、マスクが無いとか、紙が足りないとか言って、店員を責めているのって、おじいちゃんおばあちゃんが多いような気がするなあ。わたしが見た範囲だけど」
老人「まったく情けない。いったい何のために、これまで生きてきたのか。ただ、惰性で生きているから、そういうことになるのだ。『亀の甲より年の功』というのは、もう死語になりつつあるな」
クマ「生きることがそれだけで大変な時代を生きている場合であれば、そういう諺も通用するだろうけれど、現代では年を取るのには、何も努力はいらないからね。季節が一回めぐれば、自然と取るのが年だから」
老人「しかし、最近に限って言っても、たとえば、9年前に東日本大震災があったではないか。あれを経験しておきながら、生きることや、生き方について何も考えないというのは、これは、もう人間として何かが欠けているとしか言いようがない」
クマ「喉元過ぎれば熱さを忘れる、というのが人間だからね。まして、日本人の場合だとさ、『水に流す』っていう言葉があるじゃないか。そういうこともあるんじゃないかな」
老人「『歴史は繰り返す』とは、よく言ったものだ。なぜ繰り返すのかと言えば、それは変わらないからだ。時代が変わっても、人は変わらない。だから、同じ時代を繰り返すということになっているのだ。しかし、本当にそれでいいのか。いや、そういうことになっているというのであれば、いいも悪いもないのかもしれないが、それでもだよ、ヌイグルミくん、そういうことになっているというそれを何とか変えたいと思う、思って行動するそこにこそ人間の自由というものがあるとこう言いたくなるのは、年寄りの世迷いごとかね?」
クマ「さあ、どうだろうね。でも、確かに、状況がそうなったからと言って、それに流されて、マスクを買い占め、紙を転売し、今度は何がなくなるのかと戦々恐々するありさまは、あまり自由とは言えそうにないね」
アイチ「みんな、政府が悪いって言ってるよ」
老人「現状がこれなのだから、政府の対応が良かったとはとてもいいがたい」
クマ「しかし、その政府を選んだのは、民主主義社会では、国民のキミらってことにならないかな」
老人「それもその通りだ。政府ばかりを責めるわけにはいかないのだ。いやしくも、主権在民のこの国ではな。ただ、それにしても、やはり、今回の対応はお粗末と言わざるを得ないだろう。マスク一つ取ってもそうだ。『不足が出ないようにする』と、官房長官が言っていたのは、あれはいつのことだ。いまだに、世に出回っていないではないか。しかも、先日の衆院の予算委員会では、マスクの在庫に関して政府は関知していない様子が見られた。在庫の状況が分からないのに、どうして、マスクについては安心しろなどと言えるのだ。結局、そのマスクが行き渡らないから、今度は、紙が足りなくなるというデマがまかり通ったわけだろう。経産省がいくら、トイレットペーパーは在庫があると言っても信じられていないのは、デマのせいというよりはむしろ、国民が政府を信頼していないからなのだ」
クマ「noteでは、コロナ関連の記事に関して、『新型コロナウイルス感染症については、必ず1次情報として 厚生労働省 や 首相官邸 のウェブサイトなど公的機関で発表されている発生状況やQ&A、相談窓口の情報もご確認ください。』って、注意書きが付されているけれど、公的機関からの発表によって安心できる人というのは、ちょっと数限られているだろうね」
アイチ「そんなに気になるかなあ。わたしのクラスメートは、この休校期間を利用して、ディズニーランドに行きたかったらしいよ。ディズニーランド、閉園になっちゃったけどさ。コロナについては、あんまり気にしていないみたい。わたしだって別にあえて感染したいとは思わないけど、感染したらしたでじたばたはしないと思うなあ。どうせ、この世のことだもん」
クマ「『どうせこの世のことだ』と言い切るためには、この世に生きているということが一体どういうことなのかをね、しっかりと考える必要があるんだ。そういうことを考えることができていない人間が、いいかい、生きているということがどういうことか分からない人間がだよ、生きることに執着しているわけだよ。その意味が分からないのにそれに執着するということは、これは、まさしく業だろうね」
老人「まったくその通りだ。もちろん、わしも、生きているということがどういうことかなどということは、この年になっても分からんのだ。しかし、分からないと分かっているのと、分からないことも分からないのとでは、全然、意味が違う」
クマ「この騒ぎをいい機会として、一度、生きる意味と自由ということについて、各人考えてみるといいんじゃないかな。コロナウイルスとティッシュペーパーに翻弄されながら生きるということが、一体どういうことなのか、そのような生き方に自由があると言えるのか、ってね」

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