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少女とクマとの哲学的対話「平成最後の夏は、人生で何度目の夏なのか」

〈登場人物〉
アイチ……高校2年生の女の子。
クマ……アイチが子どもの頃からそばにいる人語を解するヌイグルミ。

アイチ「平成最後の夏だね」
クマ「うん。何だかそんなことを言って騒いでるね」
アイチ「学校の男子が、平成最後の夏だから思い切り楽しむんだって言ってたよ」
クマ「まあ、気持ちは分からなくもないよね。年号が切り替わるタイミングなんて、普通は分からないわけだから、お祭り気分になるんだね。アイチもそんな風に思うの?」
アイチ「うーん……わたしはね、平成最後って言うか、人生最後の夏なんじゃないかって思っているの」
クマ「人生最後?」
アイチ「うん」
クマ「なるほど、でも、それには二つの意味があると思うな。来年の夏が巡ってこないかもしれないっていう意味と、来年の夏が巡ってきたとしても、今年の夏は今年のものしか無いっていう意味と」
アイチ「前の方の意味でもあるけれど、でも、どちらかと言うと、後の方の意味かな。わたし、夏が巡ってくるっていうことがね、この頃すごく不思議なんだ。以前と同じものがまた巡ってくるっていうことが」
クマ「うん。一日っていう単位でも同じことが言えるんだろうけど、やっぱり一年っていう単位の方が、その不思議をより感じられるような気がするね」
アイチ「季節がわたしのところに巡ってくる。去年と同じものが。同じものが巡ってくるのに、わたしは変わっているわけでしょ。どうして、同じものが、変わっているもののところに巡ってくることができるんだろうって。夏が巡るたびに、わたしの何が変わっているんだろうって」
クマ「ボクはヌイグルミだから変わらないけど、人間は変わるよね。夏が巡ってくるたびに、人間は変わる。夏が巡るから人間が変わるのか。それとも、巡らなくても人間は変わるのか。でも、夏が巡らなくても人間が変わるなんていうのは、一体どういう事態を表しているんだろうね」
アイチ「平成最後の夏は、人生で何度目の夏なんだろう……同じ夏がめぐってくるとしたら、どうして、その同じものの『数』を数えることができるんだろう」
クマ「それはキミが変わっているからだけど、夏が巡ることとキミが変わることを独立させることができないってことは、毎回、別の夏が巡ってきているとも言えるね。別の夏というか、別の『何か』が巡ってきている」
アイチ「別のものなのに、どうして同じ名前で呼ぶことができるの?」
クマ「それはボクらが、それを同じものだと思いみなすからだな。本当は別のものを、同じものだと思っている。『平成最後の夏』なんていう言い方は、今年が特別な夏であると言うまさにそのことによって、夏そのものの本来の特別さを見事に覆い隠してしまうね

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