頑張るってそんなに素晴らしいことではない

「頑張る」って思っているほど実はそんなに素晴らしいことではないかもしれない。
目標に向かって「頑張る」
仕事を「頑張る」
「頑張る」姿がカッコいい
前向きな言葉だし、日本人として頑張ることは美徳とされている。
でも「頑張る」そのものがすばらしいことと、いうのは何か違うような気がする。
そう思ったきっかけとして大谷翔平のメディアでの受け答えや練習の映像を見た時に、彼が頑張っているとは感じなかった。
練習することや野球に対して時間を使うことはごく当たり前で、私たちにとってご飯を食べたり、歯磨きをしているくらいな感覚のように見えた。
この大谷翔平の野球に対する姿勢のように
夢や目標に近づくための行動を、ご飯を食べるように、歯磨きをするようにごく当たり前のようにできるようにならなければ意味がなく、結果も出ないのではないかと思う。
自分自身が「頑張る」と思っているうちはそれは義務であり、本質的に目的に対する正しい判断や行動がとれなくなると思う。
もちろん、その行動を習慣にしたり、当たり前のことにするためには一定の「頑張る」ということは必要なのかもしれない。
けど、その「頑張る」というフェーズはできるだけ早く抜け出して、当たり前の行動として、自分の生活の一部に昇華しなきゃいけない。
いつまでも「頑張る」を続けていると、どこかで頑張れなくなる時は必ず来るし、「頑張る」こと自体が目的になり、本質を見失い、必要以上に頑張る自分を美化し、結果をないがしろにしてしまうのだと思う。
コーチをするときも、「頑張る」ことを評価してしまうと、それが目的になってしまうからあくまで目的のための行動や意識を評価して上げれるようにしていきたい。
息するようになりたい自分になるための行動をとれるように
今日も一日頑張ります 笑

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