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富山県は本当に「『寿司』と言えば富山」になれるか? vol.3

 前回までの連載(noteの過去記事をご参照ください。https://note.com/kassie/n/n6247886b2ed2)で私は、富山県が「『寿司』と言えば富山になるぞ!」と宣言したことに私がいろいろ考えを巡らせ、まずは富山の寿司屋を巡ってみようと思ったこと、そして富山県はキトキトの魚を旨い酢飯に乗せて〆に食べる「呑み寿司」という独自の文化があるのではないかという仮説を提示した。

 そもそも寿司は「江戸前」であり、東京のものだという議論がある。小肌やサバ、穴子などに塩を当てたり酢〆したり、煮たりといった「仕事」を施すことが江戸前で、それが寿司のスタンダードであるという話だ。それは、江戸時代に屋台寿司が流行ったころは物流や保存がしっかりしていなかったから、保存するために仕事が発達したという流れで語られることが多い。

最近はあまり見られない、春子の握り

 だが東京の寿司は本当に「江戸前寿司」ばかりなのか。江戸前寿司に関する著作の多い早川光さんによると、この10年で江戸前寿司は大きく変わったという。戦前ではネタの名前の書かれた木札を見て注文する握り主体の寿司が多く、高度成長期に高級寿司屋やネタの種類が増えたことで「おまかせ」も多くなったが、それでも「適当にみつくろってね」といわれて初めて、職人はその日の中から選んでつまみを出したり、握ったりした。バブル時代に「おまかせ」は多くなったが、当時はまだ「お好み」を頼むほうがかっこよかったという(『新時代の江戸前鮨がわかる本』(ぴあ)より)。
 それは私の実感にも重なる。私はちょうどバブルの時代から食べ始めているが、ネタの名前をきちんと覚え、ガラスケースに並ぶネタを指さして正しい魚種を注文できることがかっこいいとされていた。おつまみから始めても「そろそろ握りますか?」と聞かれ、「最初はなにから行きましょうか」というやりとりが通常だったと思う。主導権は常に客にあった。

当時のつまみはせいぜいこの程度。新イカのゲソ炙り。
2貫ずつ出されるのも普通だった

 それが21世紀に入って、つまみも握りも勝手に出す店が増えてきた。それがいまの「おまかせコース」の登場につながる。早川さんはその理由は「旨い日本酒が出来てつまみで酒を吞むようになったから」と分析している。日本酒の種類をたくさん置く店が多くなったことでつまみの種類も増え、凝ったつまみを出す店が人気になった。だが、それだと握りに行きつかなくなることから現在は「10種のつまみに10種の握り」といったコースが定着していったというわけだ。それとともに寿司屋は明朗会計となり、誰でもいけるジャンルになった。
 私も早川さんの分析にはおおむね納得する。特に、かつての寿司屋は値段表示がなく、いくら取られるか最後まで分からなかったが、コース主体となり前もって予算がわかるようになったことは、寿司好き人口を増やすことに寄与したと思う。さらにいえばガラスケースがなくなり、木箱にネタを保存することが主流になったことから、客は今日の魚はなにがあるかすらわからなくなり、木札もないから頼むこともできない。寿司屋の主役は客から大将になり、劇場型寿司屋が増えてきたというわけだ。

刺身も一工夫
凝ったつまみも当たり前に

 私は、バブル時代に「すし屋の〇〇」という屋号でつまみをたくさん出す寿司屋が流行ったことを思い出す(チェーンではなく修業関係)。当時はいまほど日本酒の種類はなかったが、刺身か焼くくらいしかなかったつまみにバラエティをつけ、頼み続ければ20や30種類出てきたような気がする。「もうお腹いっぱいだから握りは3貫くらいでいいや」というのが常連のフレーズで、ある意味、東京における「呑み寿司」の原型だった。

この看板が特徴的だった

 いまの東京の寿司はそこから数段進化しているが(詳しくは早川さんの前述の本をお読みください)、私は「すし屋の〇〇」スタイルがいまでも嫌いではない。そして富山の「呑み寿司」はこれに近い。けれどいまの富山のほうが、魚ははるかにうまく、日本酒の種類ははるかに多く、つまみの調理方法もはるかに幅広い。これって富山寿司の可能性のひとつなんじゃないかと思っている次第である。
 だが今回は呑み寿司の話ではなく、富山の新しい寿司の話だ。
 今回の寿司屋巡りで新しいスタイルの寿司屋を2軒訪れた。「SOTO」と「難波」である。「新しい」とあいまいに定義してはいけないが、簡単に言えば、コースのみかお好みも可能かで新しいかどうかはわかれると私は思っている。
「SOTO」はニューヨ ークで約7年間、ミシュラン2つ星を獲得してきた主人の小杉外博さんが故郷に凱旋して開いた店。住宅街のなかにたたずみ、予約はネットのみ。サイトによると料理は基本、おまかせのみで、日本酒ペアリングがおすすめ。今現在だと24,000円となっている。
〈コースの所要時間(お客様にご用意していただくタイムバジェット)は最短3時間から4時間となります。時間のかかるコースであることをご了承の上、ご予約をお願いいたします。(中略)席の回転(当日再利用)はいたしません。心地がよければゆったりとすごしてもらえますが、お客様への最終退店希望時間は深夜12時としております。〉とサイトに書いてあるので、面倒な大将かと身構えて訪れたが、いい意味ではずれだった。
 たぶん私と同年代だが、フランクで話しやすい。ひとりですべてこなしているので時間がかかるのはやむを得ないところはあり、とはいえ私のときは3時間かからず、日本酒もたっぷりといただいた。

寿司屋らしからぬ外観だが、中はきれいなカウンター

 大将は、握りも出てくる日本料理店と考えているとのことで、たしかにつまみが豊富な店だった。ネットを見ていると最初に出てくる「2色の胡麻豆腐」は定番のよう。ニューヨーク仕込みと聞くと、西洋風のつまみや寿司がたくさん出てくるのかと思っていたが、そんなこともない。
 魚のほとんどは富山のもので、それにトリュフオイルをかけたりムースにしたりという新しい技術を使ったつまみもあるが、握りは小振りでオーソドックス。東京に普通にありそうな寿司屋だった。

「鮨 難波」もまた住宅街の隠れ家のような場所にある。こちらもまた予約はネットからで、おまかせコースのみというスタイルだ。時間の関係で今回はランチの訪問だったため、握りのみをいただいた。 主人の難波薫さんは岡山県岡山市に生まれ、広島での修業を経て平成元年富山県へ。27歳で独立、「ついでの寿司にはしてほしくない」ために郊外に店を構えたという。 

郊外の一軒家

 ランチの握りは12貫+巻物で6,600円。合間に魚のスープと茶わん蒸しが出て、たまご、ほうじ茶のプリンという内容。塩釜のマグロ以外はすべて富山産の魚だったが、それがとても自然で、ならばマグロも富山近郊で獲れない時期はなくてもいいんじゃないかと思うほど。最後には干瓢巻をオリーブオイルで食べさせ、これがまた旨いのだが、オリーブオイルという調味料が出てくることが不思議なくらい、ほかの握りは富山にマッチしていた。
 以前おとずれた広島・尾道「ベラビスタ スパ&マリーナ尾道」の「鮨双忘」では瀬戸内海の魚しか使わないため、マグロは一切出ないと言われたことを思い出した。当たり前のようにそれで満足をしたが、難波もそちらに特化してもまったくおかしくないよいうに感じた。

 夜のコースは22,000円だから、昼とは比較にならないし、「SOTO」とも比べるわけにはいかないが、どちらもストレスなく寿司にゆだねることができる時間と空間だった。あえて言えば、東京でおまかせコースに身をゆだねているときの感覚と一緒だ。黙っていても、美味しいものが出されるのがおまかせコースのよさで、この楽しさは呑み寿司とはまったく違うものだ。「呑み寿司」は自分の好きなつまみを選び、好きな握りを注文して完結する世界。どちらがいいかは好き好きだが、異なった世界であることは事実だと思う。
 私は常々、地方創生は「ローカルを徹底的に掘ること」「その地方を俯瞰的に眺めること」という相反するパースペクティブを同時に持って再構築することが大切だと思っている。そういう意味で、呑み寿司と同様、コース中心の新しい寿司も富山には必要だと思う。
 というのも、早川さんが言うように寿司の世界はこの10年で変わり、新しい寿司のほうが「世界標準」になっている。そしていま、寿司にはまっているフリークの大半はこの10年で寿司の旨さを知った人々であり、インバウンドであればほぼすべてがそうだと思う(世の中の移ろいは早いから、東京では立ち食いや廉価寿司、寿司居酒屋の復権も見られるが)。
 そう考えると、インバウンドにわかりやすい「新しい寿司」はもっとあっていいだろう。もちろん、この2軒がすべてではなく、市内にも「直」「つか田」「華やぎ」「GEJO」などがあるし、魚津には富山県を代表する「大門」が控えている。たかだか2軒を訪問しただけで結論づけるつもりはないが、まずは暫定的な仮説を提示してみた。なにせ、「SOTO」も「難波」も相当な予約困難店になっているし、今度訪れる「大門」はキャンセル待ちからの昇格で予約を受け付けてもらえるほどだ。
 これくらい富山の「新しい寿司」(なんかいいネーミング考えないとね)への期待は高まっているのだ。私が思うに、出来ることならまずは「新しい寿司」をもっと重層化させた上でインバウンド富裕層や日本人の寿司フリークを呼び寄せておいて、富山に何度もくるうちに「呑み寿司」の魅力を叩き込むという「2段階作戦」がいいんじゃないかな。「呑み寿司」の魅力を素のままで県外の人々に認知させるにはちょっとハードルが高いように思うから。でもそれって時間がかかるから、まず「呑み寿司」推しでいくっていうのもありかもしれない。ただ「新しい」ことと、肉を握ったりフレンチと融合したりする創作寿司とは違うと思っているんだけど、そのあたりはまた別稿で。

富山市内だけでもこんなにたくさんの鱒寿司が

 次回は握り寿司の世界をちょいと離れ、富山の名物である「鱒寿司」の世界を探求したいと思う。「『寿司』と言えば富山」になるために、鱒寿司を掘り下げることはとても大切、というより一番大切かもしれないと思っているからだ。
 まだまだ続く、富山寿司の旅。

 


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