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力の加減

まだベガルタにいた頃、先輩のひとさんとくそがきの師匠とで、トレーニング終わりにそのままお昼に行くことになった。

そこでの会話もサッカーや認知に関係するものばかりで、そのときの一連をいまでもよく思い出す。

正確なキューイングの言葉までは覚えていないが、「割り箸の箸袋で机を撫でてみて」のようなことを言われ、それぞれでやってみる。

優しく、柔らかに箸袋を動かすひとさんとは対照的に、箸袋が半分から折れるくらいに押し付けて机上を往復させるぼく。

力の加減というものが苦手であり、なんならそのあたりの感覚がバグっていることを知る機会となった。

自分の馬鹿力にも驚きながら、同じくらいにひとさんの感覚にも衝撃を受け、それからはひとさんをよく観察していた。

同じ空間に存在し、同じだけの重力の影響を受けているはずなのに、なぜひとさんの一歩はあんなにも軽いのか。

ずっと不思議でしょうがなかったのが、少しだけ腹落ちしたのが今年の4月のこと。

その頃のテーマは「ピッチでのあり方」で、身体をどういう状態に持っていくことがサッカーに適しているのかをひたすらに実験・研究していた。

そんなある日の練習終わりに壁打ちで遊びながら、急に自身の余分な力みが気になるようになって、ふっと力を抜いてみた。

その瞬間、まるであの時の箸袋のように足が地面に押しつけられるような感覚から解放され、すっと軽く動けるようになった。

ひとさんに重力が存在しないのではなく、自身の力みで重力以上の重さを生み出してしまっていたのかもしれないと思った。

ここで感じた感覚もまだ再現性がなく、試行錯誤が必要で、そもそもとしての感覚のすり合わせはまだまだ続く。

その中で最近のテーマとなっているのが、その擦り合わせの基準をどうつくるかということ。

手っ取り早いのはパーソナルで客観的にみてもらいながらという方法だが、お金もかかるし、さまざまな方法が存在する中でどれを選ぶべきなのか。

とりあえず自分でやれることをやりながら考えようと、日々試行錯誤を続け、最近またアップデートがあった。

まずはモーニングルーティンのキャット&ドックをしながら、急に背骨を垂らすという発想が浮かんだ。(正確にはお腹側を適度に収縮させながら背中を張り、尾骨/仙骨と頸椎を垂らして背骨を気持ちよく伸ばす感覚)

なんかよくわからんけど、気持ちいいということは良い感覚だろうということで、いつものメニューにも早速反映してみる。

最近取り組んできたニーベントウォーク。

どうすれば全身が繋がるのかと、これまでは特に股関節の状態に意識を向けてきたけど、今日のフォーカスは背骨である。

とにかくまずやってみようと、背骨に張力を持たせるイメージでやると、下半身の負担が驚くほど減った。

なるほど、これが骨を感じるということなのかと腹落ちするのと同時に、言語での理解ももう少し進む。

この背骨の張力というものは、キャット&ドックの姿勢をとり、重力の助けを得ながら背骨を垂らすことで気持ちよく伸びるという感覚を得た。

しかし、ニーベントウォークの場合は、重力の影響に反して背骨の一つ一つを気持ち良い程度に伸ばす必要があり、その状態をつくるのは意識的に動かせる筋肉の役割となる。

そうなってくると、ぼくの苦手な力の加減というものが鍵になってくるのだが、ひょっとしたら背骨の一つ一つが適度な間隔で詰まりがなく、気持ちが良いというが適切な筋出力のキューイングになるのかもしれないと考えた。

つまり、筋肉の感覚だけでは答えは見つからないが、他の感覚を横断しながら擦り合わせていけば、自分だけでもある程度のすり合わせができるのではないかということ。

力の加減と一言で言っても、まず場面的要素を分解して、その構造を正確に理解すること。

そして、そこからのアプローチもまた複雑で、道そのものも多岐に渡る。

感覚は力だけに限らず、いま把握してるだけでも筋感覚、関節の受容器、骨、時間、重さの5つがある。(くそがきの師匠からの入れ知恵)

一つ一つの構造分解もしなければならないし、場面分析となるとそれぞれがどのように作用し合っているのかなど、考えること、そこからのトライアンドエラーも果てしない。

やることが無限にあり、かつ、時間は有限であることを考えると、大切になってくるのはなにをやらないかという基準づくり。

前述の5つ以外にももっとあるのだろうけど、とりあえずはここに絞って考えてみようという、これも加減における取り組み。

フットボールパフォーマンスの探求っておもろくって深い。

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