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プロフェッショナルを定義する

先日、元チームメイトである、シモと話をする機会があった。「お金をもらってサッカーをすることがだけがプロなのか?」プロの定義について、改めて考えさせられているのだという。踏み込んだテーマを話し合えるシモの存在は、めちゃくちゃ刺激であり、今回もよいキーワードを残してくれた。

「誰の/なんのために、自分を貫くのか。」

切り口は異なるが、似たようなことを、最近ちょうど考えていた。YouTubeチャンネルの戦略を考えようと、何冊かを読み込んでいた時。そこにあったのは、お金や数字を稼ぐために自分を変える方法であり、「伝えたいこと」があってYouTubeを始めようとする私には、どれもピンとこなかった。

その視点をもって、改めて世の中を見渡してみると、汎用性を高めるために、中身がうっすぺらになってしまっているものも多いように感じた。なんなら、そういったものほど、ビジネスという点においては優れていることが多い。要は、効率よくお金を稼ぐために、見せ方や伝え方、ケースによっては、コンテンツそのものを変えるということだ。

お金を稼ぐ、有名になる。そういったことが目的であれば、そのやり方は何一つ間違っていない。引っ掛かるのは、私自身がそうあることに納得するかどうかという点で、一切納得できないからだ。そして、私の周りには、同じ信念を持って活動している人たちが多い。

冒頭で名前を挙げているシモもその一人。シモに関しては、一つ一つの言葉選びからして大変そう、かつ、繊細なエリアでの発信を続けているだけでもすごいなと、素直に感じる。加えて、自分軸からブレることなく、結果にも繋げているので、まじもんのプロフェッショナルだと思う。心の底からリスペクト。

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同じチームでふざけられないのがちょっと寂しい

数年前からパーソナルをしてくれている、たけくんも相当である。身体というものは思った以上に繊細で、「誰でも簡単にできる」と謳っているようなトレーニングも、ただ形だけを真似するだけでは何も生み出さないどころか、場合によっては、マイナスになることもある。間違った形でトレーニングを広めたくない。だけど、自分の思考は知ってもらいたい。そこで彼は、没案となったトレーニングの解説を始めた。「真似しないでください」という一文を添えて。なぜそのトレーニング案に至り、なぜ没としたのか。その説明を通じて、自身が持つ理論を伝えようとした。

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めんどくさい私の相手をしてくれてる、大人なたけくん。アディラーの申し子。
photo by: シモ

そして、最後に紹介したいのが、元プロサッカー選手で、現在は藍染アーティストとなった、彩来。NYで一緒にプレーしたことがきっかけで出会い、大学在学当時から、デザインを販売する活動を行っていた。現在は、自身がどう地球環境に貢献ができるかを考え、エコとファッションの両軸を追求する、藍染めブランドの立ち上げにたどり着き、選手としてのキャリアにも幕を閉じている。活動の立ち上げから、まだ2年ほどだというにも関わらず、すでにロンドンのセレクトショップとのコラボレーション企画を行ったりと、彼女の活躍は目覚ましい。

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頻繁に連絡を取るわけではないが、たまに電話して4-5時間は普通に話すような仲。ブランディング、世界情勢的なあれこれなど、幅広いトピックで話ができる。


関わる人は選べても、出会える人は選べない中で、これだけの人たちと出会えたことは、本当に幸せなことだと思う。その中で、私が貫きたい、プロフェッショナリズムとは。

私は、サッカーは人や社会のためとなり、人生をより豊かとする力があると、心の底から信じている。身内贔屓のような驕りではなく、営業目的のスピーチ文のようなものでもなく、私自身の経験を通して、実際に肌で感じてきたからこそ、言えることだ。ここで紹介した出会いもすべて、サッカーあってこそ。

これをどのような形で表現できるか、正直まだ固まりきってはいないが、ひとまずは動画媒体での発信を始めようと思う。何かを生み出すことはまだ難しそうだが、私目線から見える世界を伝えることで発信できるメッセージもあると思うから。いつものごとく、拘ってしまえば続かなそうなので、肩肘張らず、ゆるりと。ただ、自分が正しいと思えることからブレることなく。

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