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緊急事態喫茶|常識のない喫茶店|僕のマリ

本連載の書籍化が決定しました(2021年8月4日付記)

 新年早々、1都3県対象に緊急事態宣言が発令された。飲食店への時短要請も加わり、かなり厳しい状況になっている。そもそも、昨年から飲食店が続々と閉店してゆく報せが絶えない。昨年も、新型コロナウイルスの拡大防止による外出自粛要請、ならびに飲食店への時短営業要請で、売り上げに大打撃を受けた店は多いだろう。特に、緊急事態宣言が発令されていた2020年4月7日~5月25日は、当店も客入りが通常の3割以下と激減してしまった。一時は感染者数も落ち着いたものの、2020年12月から再び感染者が爆発的に増加、2021年1月現在も歯止めが効かない状況だ。未知のウイルスと、政府の愚策に振り回された散々な年ではあったが、店が生き延びている現状の裏には様々な奮闘があった。今回は、いち飲食店員としてコロナ禍での日々を綴ってみようと思う。

 2020年3月初旬、当店の売り上げは過去最高だった。マスターも驚くほどの好調な売り上げを連日叩き出し、店は大忙しの日々。2月頃は対岸の火事程度に思っていたコロナウイルスが、国内でも流行し始めた頃である。コロナに対する小さな不安を覚えながらも、店が繁盛していることに満足していた。

 異変が起こったのは3月末。小池都知事の会見が行われたあと、客足は徐々に遠のいていった。その頃はマスクやトイレットペーパーの買い占めなどで自分の生活も大変だったのだが、店の様子がいつもと違うことに一番戸惑う。あれだけ混んでいたのに更に、4月に緊急事態宣言が発令されてからは誰もが外出を控えるようになり、いつもは満席だった店内がノーゲストになる時間帯も少なくなかった。その頃は、店に立つことで自分も感染するかもしれないという不安と、このまま売り上げが下がることで店が存続できるかわからない、という不安に駆られる日々を過ごした。

 目に見えないものと闘うという恐怖は、少なくとも自分の人生のなかでは経験したことがない。店として出来る対策は全てやった。アルコールスプレーのストックを増やしたり、換気をよくしたり、お客さんが入れ替わる度にテーブルの消毒を行うなど、とにかく神経を使った。東京都が虹のマークの「感染防止徹底宣言ステッカー」を店頭に貼るように、という謎政策を促していたが、全然意味がわからないので当店ではやっていない。そんなものを貼らずとも、やることをやっていればいいと思う。しかし、それでもお客さんが来ない日もある。それは誰も悪くないことなので、そういうときは普段できない掃除をしたり、少し休憩を増やしたりして過ごした。

 マスターに関しては、ノーゲストの瞬間を見計らって自分の好きなCDを爆音で流していた。恍惚の表情で「こういうのがしたかった」と言っていたのでポジティブの化身かと思った。当店は一度も店を閉めなかった。聞けば、10年前の東日本大震災のときも店をやっていたらしい。有事の際に店が「普通」にやっているのって、もしかしたら心強いことかもしれない。わたしも、感染のリスクは少なからずあれど、出勤して誰かと会って話をしていることでだいぶ救われていたように感じる。一人暮らしなので尚更そうだった。お客さんも、在宅勤務になったのでお店に来られるだけでありがたい、と言ってくれたので、売り上げが少なくとも店を開けていてよかったのではないかと思う。

 緊急事態宣言期間は、テイクアウトやドリンクチケットの販売も行った。先輩と相談してマスターに持ちかけたのだが、「任せます」と言われたので頑張ることにした。テイクアウト用の容器を集めたり、値段設定はどうするかなどの問題にも直面したが、従業員の努力とお客さんの協力により、結果的には成功したと思う。たまに来る程度だったお客さんも頻繁にテイクアウトで注文してくれたり、ドリンクチケットを「お得ですね」と何枚か購入してくれる人もいた。物言わずとも「店を助けたい」という気持ちが伝わってくる以上、こちらも暗い気持ちになることは少なかった。

 唯一困ったと言えば、感染リスクに対して過敏すぎる人が来店して文句を言ってくることだった。席の間隔、他のお客さんがきちんとマスクをして会話しているか、換気はどのくらいの頻度で行われているかなど、質問攻めに遭ったり文句を言われたりすることもしばしばあった。特に、前から「ヤバい人」認定されていた厄介なおばさんが、閉めていた窓を無理矢理こじ開けようとしていたときは「家にいたほうがいい」と口にしてしまった。フェイスシールドを付けて来店する徹底ぶりは別に構わないが、なんでも自分の基準にあわせたがる人は困る。そんなに気になるなら来なければいい話だ。個人の「価値観」をすりあわせるのは大変なことだと思うが、他人の言動や店のやりかたに目くじらをたてるくらいだったら、来店しないのが吉だろう。

 それでも、大半はいいお客さんばかりだった。お会計の時に「身体に気をつけて」と言ってくれたり、差し入れをくれたりと、優しさが身に染みた。他のお店が閉まっている影響で、うちの店にたどり着いた新規のお客さんもいた。普段はなんとも思っていなかった、むしろ素っ気ない常連さんが優しかったときはドラえもんの映画みたいだなと思った。こそばゆい気持ちになる。 

 普段はたま~に来る程度だったお兄さんが、緊急事態宣言の間はほぼ毎日来店してくれたのも印象的だった。神じゃんと思った。普段から控えめで優しいし、店内で転んだお年寄りに駆け寄って身を案じるほどのいい人だとは知っていたが、コロナ禍でより一層お兄さんのことが好きになった。お兄さんは特にわたしたちに話しかけてくることは無かったが、それでも「店を助けたい」という気持ちは十分に伝わっていた。テイクアウトも頻繁に利用してくれて本当に助けられたのだが、緊急事態宣言が終わってから全然来てくれなくなったので寂しい。映画に出てくる影のヒーローみたいだったし、実際に彼はピクサー映画に出てきそうな顔つきをしている。

 いまはもう消してしまったが、SNSでお店のアカウントを作って宣伝することも効果的だった。営業時間の案内やおすすめのメニュー、テイクアウトの紹介をすることによって「ツイッター見ました」と言って来てくれるお客さんが増える。アカウントを宣伝してくれる人もいたので、お店を知ってもらうきっかけにもなった。

 ある日、緊急事態宣言になってからよく来てくれるなあと思っていた女性のお会計をしたあと、テーブルの上に小さなメモがあるのを見つけた。「ここがわたしの一番好きな喫茶店です。結婚して引っ越してからはなかなか来られなくなってしまいましたが、ツイッターを見て力になれればと思ってお邪魔させていただきました。店員のお嬢さん、一人で大変かと思いますが応援しております」と丁寧な字で書いてある。身体に電流が走ったようだった。そのときは一人で店を回していて、混んだので少し大変だったのだ。その女性はドリンクチケットも購入してくれていたのに、こんな手紙まで書き残してくれたのだ。その心遣いがうれしくて、そのメモはいまでも、お守りのように大切にしている。

補足
2020年4月、コロナ禍で働く77人の日記アンソロジー『仕事本――わたしたちの緊急事態日記』(左右社)にも僕のマリさんの日記(4月14日~4月22日)が収録されています。よろしければ、こちらも読んでみてください。
僕のマリ(ぼくのまり)
1992年福岡県生まれ。物書き。2018年活動開始。同年、短編集『いかれた慕情』を発表。ほか、単著に『ばかげた夢』と『まばゆい』がある。インディーズ雑誌『つくづく』や同人誌『でも、こぼれた』にも参加。同人誌即売会で作品を発表する傍ら、文芸誌や商業誌への寄稿なども行う。2019年11月現在、『Quick Japan』でbookレビューを担当中。最近はネットプリントでもエッセイを発表している。
Twitter: @bokunotenshi_
はてなブログ: うわごと
連載『常識のない喫茶店』について
ここは天国?はたまた地獄?この連載では僕のマリさんが働く「常識のない喫茶店」での日常を毎月更新でお届けしていきます。マガジンにもまとめていきますので、ぜひぜひ、のぞいてみてください。なお、登場する人物はすべて仮名です。プライバシーに配慮し、エピソードの細部は適宜変更しています。
追記:本年もよろしくお願いいたします!