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同僚観察記|常識のない喫茶店|僕のマリ

本連載の書籍化が決定しました(2021年8月4日付記)

 暇なとき、グーグルで働いている店のクチコミを眺めることがある。絶賛するコメントから「もう行きません」とブチ切れているコメントまで様々だが、「店員が個性的」と評されていることが多い。実際に働いている身としても確かにそうだなと思う。髪色や髪型、ネイルなどに規定がないので外見的な個性もあるのだが、性格も実に様々で、店の方針として接客もその人のやり方でよいとされている。端的に言ってしまえば、人なつっこい子もいるしそうでない子もいる。でもクチコミに「店員さんの愛想がなくて残念です」とか書いてあると(は?)と思う。お手頃な価格でコーヒーが飲めるだけで十分ではないか。帝国ホテルでもないのに何もかも求めすぎだろと憤慨する。

 採用の面接ではいつも2時間、3時間かけて(長い!)うちの店で働けるかを見極めるのだが、マスターが重要視しているのは「やさしさ」や「思いやり」なので、その他のことは割とどうでもいいようだ。そこにこだわった結果、なんとも個性的なメンバーが集まったのだと思う(この「やさしさ」や「思いやり」についてはまた別の回で記述したい)。だからだろうか、仕事中に具体的な接客マナーについて指導されたことは、全くと言っていいほどない気がする。「みんな同じ接客じゃつまんない」という考えは、この世の接客業の通念を打ち破っていてすがすがしい。人間誰しもが違う性格で、色んな考えを持っている。そのままの自分でいられるこの店の居心地のよさは、何にも代えがたい。

 同僚のみんなは良い意味で普通ではないのだが、ちょっと変でかなり好きだなと思う。「ねえ知ってる?」というまめしばくんのような口癖が特徴のしーちゃんはわたしと同い年。働き始めたのはわたしの少しあとで、ほぼ同期と言っても差し支えない。鈴を転がすような声が可愛らしく、上機嫌のときは鼻歌を歌いながらフライパンを洗っている。家のテンションかと思う。わたしたちは最初こそ敬語でたどたどしくコミュニケーションをとっていたものの、今では休日に遊んだり、深夜までめちゃくちゃしょうもないことでLINEのメッセージを飛ばしあう仲である。しーちゃんと一緒だと「仕事」という感じがあまりない。高校生のようなノリでずっと喋っているからだ。常連客の口癖を真似したり、どんな些細な出来事も報告しあったりする。

 しーちゃんはとても素直で、喜怒哀楽が激しい。「推し客」が来ると超笑顔で挨拶をして手を振るサービスぶりだが、逆に嫌いなお客さんが来るとサンリオの「バッドばつ丸」みたいな目つきになる。ガンを飛ばしているときもある。でもその素直さこそが信用できていいなあと思う。ある日しーちゃんが厨房でココアを鍋にかけていたのだが、ちょっと目を離した隙に派手に噴きこぼれた。コンロ周りがココアまみれである。ちょうど忙しいときで、後片付けが面倒なのは言うまでもない。かといって「あー、こぼれちゃったね」とかわざわざ言うのもウザいと思うので、見ないふりに徹していたのだが、厨房から「こんなの嫌だー!!」というしーちゃんの絶叫が聞こえてきて笑った。客席まで丸聞こえだったが、それでいい。
 
 昔からめちゃくちゃ嫌われているヤスヒコという中年男性の常連客がいる。とにかく女性店員を舐め回すように見つめてくるところが、嫌われる主な要因である。「顔全体がベロじゃん」と言ってしまったこともある。彼は鋼鉄のメンタルの持ち主で、明らかに全く歓迎されていないのにほぼ毎日店に通う猛者。当然わたしは「いらっしゃいませ」も「ありがとうございます」も言わないのだが、休日にヤスヒコと町中でうっかり遭遇した際に「おっ!こんちは!」と挨拶されてしまった。普通に無視した。ヤスヒコは軽食でも飲み物でも、とにかく毎回残す。「別にお金を払っているからいいだろう」の一言で済まされるかもしれないけれど、注文しておいて毎回一定の量を残されるのは、店側からすれば決して気分のいいものではない。初めて来た人が量の加減がわからず残すならまだしも、毎日のように来て頼んだものを残すのは理解できない。だったら、最初から「少なめ」「○○抜き」とオーダーしてほしい。

 「ヤスヒコ残しすぎ問題」でみんなのイライラがピークになっていたある日、彼がココアを半分以上残した。これが決定打となり、ホールをやっていたしーちゃんがお会計のときに「体調でも悪いんですか?」と聞いてみたらしい。わたしだったら話しかけたくもないので、すごい勇気と好奇心だと思った。「うち、気になってヤスヒコに聞いてみたのね?」迫真の表情で語っていたしーちゃんだったが、次第に声にならない声で笑い出した。お腹をかかえてカウンターに手をつき、息も絶え絶えになっている。「そしたら、そしたらー!!ニターッて、笑って、歯が、いっぱい出てきた」ヤスヒコのニヤけ顔がありありと浮かんできた。歯の本数なんてみんな大体同じだろうと思ったけれど、どうやら彼に至ってはたくさん生えているらしかった。妙にリアルで嫌な想像をかきたてられた。ココアを残した理由は「甘かった」とのことだが、(結構何日か連続で頼んでたじゃん……)と腑に落ちなかったのを覚えている。折に触れてこの「歯がいっぱい出てきた」いう表現を思い出すのだが、笑えるので元気が出る。
 
 しーちゃんのみならず、同僚の珍事は多々ある。窓拭きしていたが力を込めすぎてしまい、窓が開いて公道に飛び出して行った人、決まった席にしか座りたがらない常連客に「なんでですか?」と聞く強者、年甲斐も無くナンパしてくる爺さんに「あくまで客と店員ですよ」と辛辣になる後輩。かなりの頻度でドライマンゴーを差し入れてくる常連さんに困り「マンハラ」とこぼしていた者もいる。客足が途絶えない日に同僚が「今日忙しすぎる、みんなと喋りに来てるようなもんなのに……」としょんぼりしながら言っていたときは笑ったけど、(確かにね)と思った。少ない人数で回しているので、お喋りすらできない日もあるとつらい。「昨日夜中の3時までYouTube見てたんだよね」とか「夜マック食べた?」とか、どんなに些細なことでも、話していればストレス解消になる。嫌なこともあるけれど、それがどうでも良くなるくらい笑えることのほうが多い。

 今年の3月頭、大忙しの土曜日にふと顔を上げると、目の前に実の兄が座っていた。兄は関西のほうに住んでいて激務なので、お盆や正月はおろか、冠婚葬祭くらいでしか顔を合わせることができない。仕事で東京に来ていたのは知っていたが、店に来るとは聞いていなかった。用事があって近くまで来たから寄ってみたそうだ。実の兄弟がお客さんとして現れたのには少し照れたが、兄はわたしが作ったクリームソーダを写真におさめていて、その光景がなんだか誇らしかった。考えてみれば、職場に家族が来たことなど一度も無い。働いているところを見られるのは変な感じだが、わざわざ来てくれたことをうれしく思った。ちょうど勤務が終わったので、兄の用事の時間まで近くで一杯だけ飲むことになった。ビール片手にお互いの近況報告。子どもの頃は喧嘩ばかりしていたのが懐かしい。「えらい繁盛やね。今の店は長いん?」と聞かれ「もうすぐ4年目になる」と答えると少し沈黙があった。もっとちゃんとして親を安心させろとか、会社で正社員として働かないのかとか、真面目なお説教が飛んでくるかもと身構える。しかし、ぽつりと「お前楽しそうやったな、ええ店やんか」と言われたときに、そういえば兄にはたくさん心配かけたな、と思って目の奥が熱くなった。

僕のマリ(ぼくのまり)
1992年福岡県生まれ。物書き。2018年活動開始。同年、短編集『いかれた慕情』を発表。ほか、単著に『ばかげた夢』と『まばゆい』がある。インディーズ雑誌『つくづく』や同人誌『でも、こぼれた』にも参加。同人誌即売会で作品を発表する傍ら、文芸誌や商業誌への寄稿なども行う。2019年11月現在、『Quick Japan』でbookレビューを担当中。最近はネットプリントでもエッセイを発表している。
Twitter: @bokunotenshi_
はてなブログ: うわごと
連載『常識のない喫茶店』について
ここは天国?はたまた地獄?この連載では僕のマリさんが働く「常識のない喫茶店」での日常を毎月更新でお届けしていきます。マガジンにもまとめていきますので、ぜひぜひ、のぞいてみてください。なお、登場する人物はすべて仮名です。プライバシーに配慮し、エピソードの細部は適宜変更しています。