はらだひらりさ対談

私たちが女を個別化する理由|はらだ有彩×ひらりさ対談①

 『日本のヤバい女の子』の著者、はらだ有彩さんと、ライターのかたわら劇団雌猫メンバーとしても活動するひらりささん。お二人とも、書籍や連載を通じて、これまで多くの女性について書いてきました。トークイベントなどでも何度か共演しているものの、なかなかじっくり話す機会がなかったという二人が、今回は「時間を気にせず、お互いが気になっていることをおしゃべりしてみよう」と対談しました。第一回は、女性を個別化することについて。(全三回の第一回/第二回第三回へ)

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ひらりさ はらださんとは、2018年6月にお会いしたのが初めてでしたよね。『日本のヤバい女の子』の1冊目が発売したところで、刊行記念トークイベントに呼んでいただきました。私はライターとしてインタビュー記事を書いたり、オタク女子ユニット「劇団雌猫」のメンバーとして、「オタク女子のインターネットで言えない話」を軸にした同人誌・書籍を刊行したりしています。いずれにしても、取材相手も寄稿ゲストも、9割がた「女性」にお願いしているんですよね。女子校育ちで、女の集団で思春期を過ごしたのもあり、とにかく女の人の考えていることや直面していることに関心があって。だから『日本のヤバい女の子』も、連載当時から気になっていました。

はらだ ひらりささんと私は、世代も出身地域も違うけれど、女子校育ちっていう共通点はありますよね。お互いにとって、「女」の話こそが実感の湧く話なんだろうなと思っています。『日本のヤバい女の子』の感想で、「男の子バージョンは書かないんですか?」という声をいただくことがあるんですよ。関心はとてもありますし、「女性装をする男性」や「女として育てられた男」の話などを入れるのはありかもしれないと思うんですけど、『日本のヤバイ女の子』と同じやり方では書けないと感じちゃう。それは男性に興味がないのではなくて、実感がないのに詳細を想像しようとすると、無責任なことを言いかねないなって。「~らしいよ、知らんけど」みたいになっちゃう……。

ひらりさ わ、わかる……。劇団雌猫に関しても「男版はやらないんですか?」と聞かれることはあります。おもしろい男性オタクの方はこの世にたくさんいると思うんですけれど、私にはそこにリーチするセンサーや人脈がないので、やらないかなあと。先日、『MEN'S NON-NO』10月号で「男の浪費図鑑」という企画に参加したときは、メンノンの素晴らしい編集・ライターさんが生え抜きの浪費男子たちを探し出してくれたので、とっても面白い企画になったんですけど(笑)。
 あと、私が女オタクの語りが好きなのは、そこには、これまでの歴史の中で抑圧されてきたことにより、「言い訳」や「自虐」が根強く存在していて、それを裏返したり、その裏にあるものを一つひとつ個別化したりすることには、「オタクって何かおもしろいじゃん」という消費以上の意義があると思っているからなんですね。男性のオタクにも何らかの抑圧はあるかもしれないけれど、私がやっても「~らしいよ、知らんけど」的な紹介になるでしょうね。

はらだ 「個別化」はキーワードですよね。私も、女の子の全部の話を個別化していくことをやりたいという欲求を持ってます。「女の子」という言葉が時間や文脈の中で託されている意味を細かいザルで漉(こ)したい。目の粗いザルで漉しているときにはなかったことになっていた、でも絶対にある「顔」を書き留めたいです。

ひらりさ 話していて気づいたんですけど、私にとっては、周囲の女たちを個別化していきたいという気持ちは、結局は「自分が個別化されていたい」という願望に端を発しているのかも。
 オタク女の「個別化」は、実は劇団雌猫以前からの関心事項でした。20代なかばまで「cakes」というウェブメディアで編集者をしていたんですが、そこで文筆家の岡田育さんと「ハジの多い腐女子会」という座談会連載をやっていたんです。

はらだ どういう連載だったんですか?

ひらりさ 4人ずつ、さまざまなジャンルや年齢や家庭背景の匿名腐女子(BL好き女子)を招いて、お互いの共通点や相違点、最近の腐女子カルチャーに思うことなどを語ってもらうというものです。当時、腐女子コンテンツはたくさんあったんですが、どうにも「モテないから男同士の恋愛に夢中になってる」「自虐して、隠れることを良しとしている」「でも男と見ればカップリングしたがる」などなどの、ステレオタイプ的な消費をされている気がしていたんですね。だから、「腐女子」という言葉でくくられる中にも個別性があるということを知らせたいし、自分が知りたいと思った。
 それに、腐女子に限らずオタクはジャンルでつながっているぶん、個々人の背景や悩みがどういうものなのかは普段話さなくて、気楽な反面、孤独を感じている部分もあるのではないかと考えていました。「恋愛してなくても楽しいアピールしてないとなじめない」とか「仲間内で彼氏いるって言いづらい」とか「みんなほどお金使えないから肩身が狭い」とか。匿名だからこそ話せることを話してもらえた結果、とても多くの方から反響があってうれしかったですね。私自身が自分の「個別性」を明確にしたいなと悩んでいたからこそ出てきた企画だったと思います。

はらだ 「自分が個別化されていたい」! 同じ腐女子・同じオタク女だからって、かならずしも同じことを考えているわけじゃないのは当然ですよね。かつて営業の仕事をしていた時に、ある会社さんで特定の職種に従事している人を「女の子」と呼んでいるの見かけてびっくりしたのを思い出しました。外回りから帰ってきたら「これ、女の子たちに処理してもらっといて」「女の子たちにコピーさせて」みたいな。極めつけが「女の子たちはすぐ辞めるから」「女の子の中で付き合うなら誰?」という…。女性を選んで採用しているんだけど、その集団の特性をことさら強調してひとまとめに扱い、固有名詞を呼ばないことで個を無効化しているというか。
 そういえば最近Twitterで「○○の女」という言い方についての論争があったの、見てましたか?

ひらりさ あー、ありましたね。 

はらだ とあるTwitterアカウントが、「男性オタクはキャラクターを推しているときに『俺の嫁』と呼んで所有を示すのに対して、女性オタクは『○○の女』と自称して、自分が所有される存在であることを示す。男性は女性に所有されるという意識が多くの男女に根付いている」とツイートしたんだけれど、その後「いや、『○○の女』における『の』は所有格じゃなくて所属を表している! 『マサラタウンのサトシ』と同じだ!」と反論するアカウントが出て、賛否両論になったという。どちらの主張も筋が通っていながら、お互いに論破されきらない部分を持っているなあ、不思議な構造だなと思っていました。

ひらりさ 個人的には、「所有格」だとも「マサラタウンのサトシ」だとも断じられたくねえよ!って思うんですよね。そのどちらであるかは本人が決めることじゃないかな。私は「HiGH&LOW」シリーズが好きで、自分を「鬼邪高の女」と言うときがあるけれど、それは所有と所属のあいだっぽい感じがしてますね。キャッチーで強い言葉で言う風潮によって、どうしても「みんな同じでしょ」と思われてしまう面があるのかなとは思います。

はらだ 「○○の女です」と言ったときに、そもそも「女=被所有物」というイメージが浮かび上がる構造自体も問題ですよね。同時に、「マサラタウンのサトシ」って、実はもう既に「サトシ」で個別化されてるんですよね。「サトシ」で表現できて「女」で取りこぼされてしまうイメージ、あるいは反対に「女」で想起されて「サトシ」では打ち消すことができるイメージがあるのかも。

ひらりさ イメージといえば、結婚しています/していません、彼氏がいます/いませんということによってイメージをつけられたくないなあと思って、最近「彼氏がいる・いない」は書かないことにしました。その延長で、昔は「結婚しました」って明らかなウソをツイートしてみるときがあったんですが、思いのほか信じられてしまって「おめでとうございます!」と言われまくってしまったので、さすがにやめました(笑)。

はらだ 私、ひらりささんがnoteのプロフィールに書いていた「元テラスハウスメンバー」というのを割と長い間信じてました(笑)。そうか、あれはイメージを撹乱するための作戦だったんですね。
私は劇団雌猫さんの、無限にケーススタディを作ってくれるアプローチがすごく好きです。オタクの人々の個の顔を見せてもらえることで、ともすれば他人をひとまとめにしてしまいそうな自分が引き戻される。

ひらりさ はらださんの場合、自分というよりかは他人を個別化したいですか?

はらだ もともと他人の人生を聞くのが好きで。展示やイベントをしていると来てくれた人が、「最近こんなことがあった」と話を教えてくれることがあります。それが思いもよらない細かな感情や、やるせなさや、愛しさがあるものだったりして。もちろんそれをそのまま勝手にどこかに書くことは絶対にないんだけど、そういった心の動きが「ある」ことそのものが重要だと思います。人の数だけ無数のドラマがある。だからその一人ひとりの尺を延ばすことをやりたい。私が書いているもので私自身が主役になることはなくて、私は架空の誰かに取材をしているようなもの。身近な人に生きづらいなと思っている人が結構いて、その人たちにトスを投げているという感覚があります。自分も含めて生きづらい人にいろんな欠片をちぎって投げて、投げ散らかした欠片を積もらせて地面ごとならすということをやりたいですね。

ひらりさ これまで私も「取材」を主体に活動してきたのですが、最近はずいぶん自分の意見を求められる場面が出てきて、そこはまだ悩みがありますね。Twitterで結構自論は言っちゃうタイプなんですけど、それでも、自分が100%ただしい人間だとは思っていないから、失敗するし間違うし一貫性を失っているときもあるということを、みんなに叫んで回りたいくらい(笑)。だからたとえば、「フェミニスト」なり何らかの立場をはっきりとした言葉で表明することにはまだ抵抗があるんですよね。「こう名乗るのはこういう人だ」というイメージを誰もが持っていて、そのイメージによって内外から縛られる。私は、一つ一つの論点を、自分の立場と言葉で考えていきたいし、あくまで顔を見たり文章を読んだりした相手との連帯を大切にしていきたいなと思っているんですよね。もちろん、フェミニストという言葉を使いながらステレオタイプを打ち壊している人たちはいるし、思想で連帯する人が増えることによる相乗効果がとても大きいこともわかっています。

はらだ 言葉が大きいことに対抗するための言葉が、また一人歩きしてザルの目が粗くなる感じでしょうか。言葉が強くなることで救われることもあるし、取りこぼされることもありますね。

ひらりさ 言葉が好きだからこそ、なにかの言葉を使うか使わないかはかなりぐるぐる考えていますね。以前歌人の瀬戸夏子さんとトークイベントしたときには、「私は4歳からフェミニストだったのでその葛藤わからないですね」と言われましたが(笑)。

(構成・楠田ひかり)

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第二回に続きます

第三回はこちら

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はらだ有彩
関西出身。テキスト、テキスタイル、イラストレーションを手掛けるテキストレーター。2014年、デモニッシュな女の子のためのファッションブランド《mon.you.moyo》を開始。代表を務める。
2018年に刊行した『日本のヤバイ女の子』(柏書房)が話題に。2019年8月に続編にあたる『日本のヤバい女の子 静かなる抵抗』を刊行。「リノスタ」に「帰りに牛乳買ってきて」、「Wezzy」にて「百女百様」、大和書房WEBに「女ともだち」を連載。
Twitter:@hurry1116 
HP:https://arisaharada.com/
ひらりさ
1989年東京生まれ。ライター・編集者。平成元年生まれの女性4人によるサークル「劇団雌猫」メンバー。劇団雌猫の編著に、『浪費図鑑 悪友たちのないしょ話』(小学館)、『だから私はメイクする 悪友たちの美意識調査』(柏書房)、『本業はオタクです。 シュミも楽しむあの人の仕事術』(中央公論新社)など。最新著『誰に何と言われようと、これが私の恋愛です』(双葉社)は11月6日発売予定。
ひらりさ名義として「FRaU」にて「平成女子の「お金の話」」、「マイナビウーマン」にて「#コスメ垢の履歴書」を連載。
Twitter:@sarirahira