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ガチ恋の翁|常識のない喫茶店|僕のマリ

本連載の書籍化が決定しました(2021年8月4日付記)

 春がきた。店内を彩る花も賑やかで、スイートピーやチューリップが可愛らしく咲いている。世間ではバレンタインデー、ホワイトデーが終わったばかりだが、喫茶店でデートしているカップルを見ると「いいね」と思う。働いている店員側としても「うちを選んでくれたんだ」という誇らしい気持ちになる。お茶とおしゃべりを楽しんでいる人たちもいれば、買ってきた本を思い思いに読んでいる人たちもいて、いい時間を過ごしているんだなあと思う。ある年のバレンタイン、常連の夫婦の妻が先に来店して、チョコレートを傍らに置いてリップを塗り直し、夫を待っている姿にきゅんとした。また、高校生のカップルが制服デートしている場面にも遭遇したことがあるが、あまりの初々しさにニヤニヤが止まらなかった。いまの若い女の子は、透明のスマホケースに彼氏とのプリクラを挟む文化があるという新しい発見もあった。待ち受けにするだけでは飽き足らなかったのだろう。楽しい時期よねえ、と微笑ましくなる。

 わたしが思う当店のベストカップルは、毎週日曜日に来ておそろいのモーニングを頼む二人だ。少し不思議な雰囲気の彼女と、親戚のおじさんのようなやさしい彼はみんなに好かれている。二人は住んでいる場所が遠く、隣県に住む彼女が週末こちらに出てきて、毎週この喫茶店デートをすると決めているらしい。なんて素敵なランデブーなのだろう。仲睦まじい姿に元気をもらう日々である。いつもニコニコと入店して、おそろいのモーニングを綺麗に食べてさっと帰る。お会計の時のちょっとしたおしゃべりが楽しい。きっとこの二人はどこでも同じように好かれ、大事にされているのだろうと思う。

 カップル客ならではのモヤモヤもある。お会計の時に、どちらが支払うかの攻防戦になっている場面にたまに遭遇するのだ。伝票を奪い合うならまだ良いが、女性側に全く支払う気がなさそうなときは気を揉んでしまう。「奢ってもらって当たり前」感が出ている人はちょっとな……と思う。財布を出すタイミングが明らかに遅すぎたり、大きいほうを男性がまず支払い、小銭は女性側に出してもらいたそうにしているのに、彼女には出す気がないのか永遠に財布の中の小銭をチャラチャラしていて、そうやっていつまでも二人でチャラチャラしている瞬間は気が遠くなる。どちらでもいいから早く出してほしい。よそのカップルのお会計事情に口を出すべきではないとわかりつつも、店員はしっかり見ているぞと思う。余談だが、混んでいるときの個別会計もやめてほしい。切実なお願いです。

 一度いけない場面に遭遇したことがある。(彼氏のほう、ちょっとチャラそうだな……)と思っていたカップルの飲み物を運んだ時、偶然彼のスマホが見えたのだが、ちょうど出会い系アプリの「いいね」ボタンを押した瞬間だった。水着美女の写真にハートマークを送る瞬間を、まさか喫茶店の店員に見られているとは思わなかっただろうが、わたしとしてもそんなの見たくなかったよと思う。テーブルの下で指を絡ませているのに、もう片方の手では出会い系にいそしむ彼……。何も知らないであろう彼女に「こいつはやめたほうがいい」と言いたいのをグッと堪えた日であった。

 「みんなに嫌われてる夫婦」という最悪なあだ名の夫婦がいるのだが、混雑している土日に時差入店して長居しようとするので、その名の通りみんなに嫌われてる。喫茶店は飲み物1杯につき1時間〜1時間半の滞在が妥当なのだが、その夫婦はそれを知ってか、わざとばらばらに来て長時間居座る。かなり古い常連だが、かなり前から嫌われている。その夫婦の片割れが来たら伝票にログイン時刻が書かれるようになったのは、仕方ないことだろう。最悪な夫婦だけど、店内でめちゃくちゃイチャイチャしているので、それがまた癪である。

 毎日来るおじさんとおばさんのことを夫婦だと思っていたら実は違って、おじさんのほうには妻がいるらしいと聞いたときは微妙な心持ちになった。だって、どう見てもただの友だちっぽい雰囲気ではないのだ。女性のほうはおじさんが来る前に必ずトイレで化粧直しをするし、おじさんのコーヒーに砂糖を2杯半入れる甲斐甲斐しさと彼女感を出しているし……。そんなこんなでやきもきしていると、ある日おばさんはぱったり来なくなった。別れたのだろうか。なんだか他人の人生をのぞき見しているような局面だった。お店で働いていると、こういうこともあるのだ。
 
 こんな風に、お客さん同士の恋の話はどこまでも楽しめるのだが、こちらが当事者になってしまうこともある。ガチ恋客のパターンだ。しかしながら、うちはどこまでいっても飲食店なので、店員を口説こうとしている客を見るとおぞましい気持ちになる。映画やドラマではよくある設定だが、悲しいことに自分たちの親のような年齢の男性がアプローチしてくることも多々あるので、現実はなかなか厳しいものだ。
 
 70歳くらいのおじいさんが一方的に「今日上がり何時?17時?じゃあ、駅前の広場で待ってるから飲みに行こう!」と同僚の女の子を誘い、返答に窮している間に帰ってしまったことがある。「どうしよう……行かなきゃダメかなあ」と相談してくる彼女の顔は土みたいな色をしていた。居合わせた店員みんなで「行かなくて良いよ」「おじいさんと居酒屋行ってどうすりゃいいの」と正論をかまして彼女は行かなかったのだが、後日そのおじいさんが再び来店した際に「どうして来なかったの?40分も待ってたのに」と文句を垂れてきたらしい。一方的に誘って、勝手に長い時間待っていたくせに文句を言ってくるとは一体どういう了見なんだと思った。当然そんな義理などない。あくまで客と店員なのだから、プライベートの時間を捧げる意味がわからない。時給も出ないのに。根っからの仲良しで双方の了解があるならまだいいと思うが、随分おめでたい人たちもいるものだ。わたしは性格が悪いので、そのおじいさんが来店すると「来た!40分待つおじいさん」と呟いている。

 悲劇的に同じ子の話なのだが、誕生日にまあまあ仲の良い中年男性のお客さんから花束をもらっていた。ワンコインで買えそうなちょっとしたブーケではなく、プロポーズのときにでも使いそうなでっかい花束で、そのときは一同「めっちゃいい人じゃん!」で終わった。お花はいつもらってもうれしいものだ。しかし、それから約二ヶ月後のある日、その男性が彼女にタイツをプレゼントするという事件が起こった。厳密に言えばマスクとタイツだったのだが、そのタイツというのがストッキングのようなスケスケの素材で、足首のところにライトストーンがちりばめられている、ちょっと華美なものだった。到底普段使いできないデザインである。「キモいキモいキモい」と全員ドン引き、仲の良い女性の常連さんも「鳥肌がやばい」とおののいていた。「彼氏にだってもらわない」「おじさんがタイツ買いに行ったってこと?」と慄然とした。「だってそれって、そのタイツ履いてほしいっていう欲望の表れじゃん」と指摘すると、被害者である彼女も青ざめている。マスクを付けてくるのも、レンタルビデオ屋でアダルトビデオを借りるときにカムフラージュとして普通の映画も入れるのと同じ心理のようで、気味が悪かった。こんなの逮捕だろと思う。

 どうして「いける」と思ったのか。どうしてタイツをプレゼントしてもいいと思ったのか。問い詰めたくて仕方がない。ひとりよがりの感情を、わたしたちにぶつけていいわけがない。店員だからお客様の言うことはなんでも聞くと思ったら、それは大間違いである。店員である前に一人の人間であり、感情も意思もある。コーヒー代だけで自分の欲を満たそうとしている客がいるのが残念でならない。
 
 これは、おじさんだからダメという話ではない。どんなに若くてかっこよくても、また同性であっても、ただの客と店員という間柄で下着同然のタイツをプレゼントしてくるのは気持ち悪い。一方的に飲みに行こうと言われても困る。たまに「ご馳走してあげる」などと謎の上から目線で誘われることもあるが、気の合う仲間同士で集まって安居酒屋で飲んだほうが楽しいに決まっている。一緒に過ごしたい相手は自分で決めたいし、時間は有限だから大事に使いたい。そのためには、わたしたちも「ノー」と言えるように変わらなければならない。対等な関係だということを忘れてはならない。誘いを断る権利は、誰でも持っているのだから。

僕のマリ(ぼくのまり)
1992年福岡県生まれ。物書き。2018年活動開始。同年、短編集『いかれた慕情』を発表。ほか、単著に『ばかげた夢』と『まばゆい』がある。インディーズ雑誌『つくづく』や同人誌『でも、こぼれた』にも参加。同人誌即売会で作品を発表する傍ら、文芸誌や商業誌への寄稿なども行う。2019年11月現在、『Quick Japan』でbookレビューを担当中。最近はネットプリントでもエッセイを発表している。
Twitter: @bokunotenshi_
はてなブログ: うわごと
連載『常識のない喫茶店』について
ここは天国?はたまた地獄?この連載では僕のマリさんが働く「常識のない喫茶店」での日常を毎月更新でお届けしていきます。マガジンにもまとめていきますので、ぜひぜひ、のぞいてみてください。なお、登場する人物はすべて仮名です。プライバシーに配慮し、エピソードの細部は適宜変更しています。