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人類で最強の西周(にし・あまね)をつくる|はらだ有彩×石井雅巳(前編)

『日本のヤバい女の子』の著者、はらだ有彩さんと、『西周と「哲学」の誕生』の著者、石井雅巳さん。異なる仕方で古典にアプローチするお二人がそれぞれの視点から、古典を読むことの現在性、そしてそこから書くことについて、対談しました(1月13日@ペリエホール/主宰:くまざわ書店 ペリエ千葉本店)。
前編は、お二人が古典に取り組むようになったきっかけをはじめとして、断言できない過去の出来事や人物について語ることの困難、それでも語ろうとすることについてお話ししていただきました。(構成・楠田ひかり)

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古典への異なるアプローチ

はらだ『日本のヤバい女の子』は昔話や民話、伝承、古典、神話などを全部ごっちゃにして、人が伝えてきた物語のなかで、伝えられていくうちにいろいろなものを託され、背負わされて変化してきたであろう女の子の姿をさかのぼって想像するという本です。石井さんの『西周と「哲学」の誕生』は、西周(にし・あまね)という、知られていそうで知られていない人物、歴史のなかである一定の役目を背負っている人物について新しく掘り下げようという本です。
 この二つの本は、一見よく知られている古典と呼ばれているものについて、なんとか自分なりの着地点を見つけようとするところに共通点があるのではないかと思っています。

石井:古典といっても一言で語るのは難しいのですが、今回はさしあたり日本語の古い文章を、いま、どう読むかということに焦点を合わせられればと思っています。
 僕の場合は、西周という幕末から明治の初期に活躍した哲学者であり官僚でもあった人を題材に書いています。ジャンルとしては少しお堅めというか、思想や政治、法律などに関わるような文章を主に関心を持って読んできて、それについて書いています。それに対して、はらださんの場合は、もっともっと範囲もジャンルも多彩で、古くは古事記や日本書紀から、新しいところだと江戸時代の怪談物語ですね。それらのあいだには1000年くらいの歳月があるわけです。題材としても、神話や、みなさんが古文の授業で受けた説話物語といわれるようなもの、民間伝承的に伝わっているお話、さらには能など、すごく多彩です。ですので、同じ古典といっても、はらださんは僕とは扱っている時代や題材は違うし、さらにはそのアウトプットの仕方も異なっています。
 たとえば、僕の場合は文章で書くしかないですが、はらださんの場合は、『日本のヤバい女の子』を一読しただけでもわかるように、物語の内容をテーマにしたイラストが描かれています。

(司会)そのようなお二人の古典への異なるアプローチの仕方は、どのようにして古典に関心を持ったかということにも関わってくるのでしょうか。はじめに、お二人が古典に出会った背景からお話しいただければと思います。

石井:はらださんご自身は、美大で学ばれていて、そこから今はお仕事をされながら「テキストレーター」(「テキスト、テキスタイル、イラストを制作する人」を意味する、はらださんの造語)としてご活動されていますよね。一見すると、美大からなぜ日本の古いお話に興味を持ってそれをお書きになろうと思ったのかということがわからなかったんです。そのきっかけはなんだったのでしょうか。

はらだ:私、父方の実家が煎餅屋なんです。1856年創業だから、西周が27歳のときに弊社が創業しました。ちなみに、「富士せんべい」という屋号なのですが、その由来は、初代利右衛門という人が富士山に登ってテンアゲになって、帰りに今でいう大阪の天神橋筋商店街で焼型をつくったからなんです。それまではお茶屋だったのですが、速攻で煎餅屋に鞍替えしたというざっくりした家系です。父で6代目、弟で7代目なのですが、そのあいだに古いものが伝わってきたり、逆になくなったりする様子を子供の頃から目の当たりにしていたというのが、古いものに興味を持ったきっかけの一つだと思います。
 母は性暴力被害者の方のためのNPOをやっています。2010年に日本ではじめて誕生した、性暴力被害者のための病院拠点型ワンストップセンターで、「SACHICO」といいます。24時間体制で、直近の被害から総合的・包括的な支援を行っています。
 それらを足して自分なりに2で割ったところ、『日本のヤバい女の子』に出てくるような、時間によっていろいろなものを背負わされ変えられてきた女の子というところに行きつきました。

石井:なるほど、そういったお母さまのご活動が背景にあって、はらださんの語り方というか、対象から事柄を引き出してくる視線があるのかと思うと納得しました。『日本のヤバい女の子』はすごく親切なつくりになっていて、巻末に参考資料として、扱っている題材が入っている本から、研究書、あるいは水木しげるまで、さまざまな資料があるのですが、そういうものは基本的に独学で読まれてきたんですか。

はらだ:そうですね。私は大学では壁画を勉強していて、社会に出てからいろいろ思うところがありました。それから女の子の物語を探しはじめたので、ほんとうに、すげぇアホなんですよ。どれくらいアホかというと、古典の授業はずっと寝ていたんですけど、唯一覚えている単語が、ひろなりの皇子(みこ)。

石井:人名……。

はらだ:もはやなんの話だったかも思い出せない…。ちなみに今回の対談のお話を最初にいただいたときに、「ぜひー!」とか言いつつ、20分くらい、ずっと(西周と)西田幾多郎とを間違えていました。

石井:そっちのほうがビッグネームですもんね。わかります。

はらだ:よく考えたら「西」しか合うてへんやんけ、みたいな…。それで、西周って、よくよく思い出したらかろうじて高校の授業中に寝ながら聞いた記憶があるなと。なので、石井さんがなぜとりわけ西周について研究されているのかなと思ったんです。メインの研究テーマはまた別であるんですよね。

石井:そうですね。簡単にご説明すると、私は今、大学院に所属していて、哲学の研究をしています。もともとは、といっても今も続けているのですが、20世紀頃のフランスの哲学を研究していました。大学院というところは大きくいうと、修士課程があってそのうえに博士課程があるのですが、最初の修士課程のときにかなり心身をやられまして……。とにかく大学からも実家からも離れたい、逃避したいと思って、なにをとち狂ったのか、一度も行ったことがない島根県の一番端にある津和野町という場所に、たまたま友人がいたので、駆け込み寺のごとく行ったんですよね。行く数日前にグーグルマップで津和野を調べて、あぁ……コンビニが一個しかない……となりました。

はらだ:『西周と「哲学」の誕生』に挟まっている津和野紹介に、ほとんど山口県ということがすごい驚きをもって書かれていていましたよね。

石井:そうですね。津和野は島根県のほんとうに西の端の町です。だから山を越えると山口県です。島根県の中心はむしろ東の端の松江とか出雲なんですよ。だから津和野は取り残されたような土地です(編注:石井さんの担当編集・堀之内出版の小林さんがホワイトボードに津和野の位置を図字する。下の写真参照)。ただ、おもしろいことに、取り残されたからなのかはわかりませんが、歴史や文化が色濃く残っている町です。

津和野の説明

(津和野の位置を示す、堀之内出版・小林さん)

石井:今回書いたテーマである西周もそうですし、大物だと森鴎外の出身地でもあります。西と森鴎外は親戚で、実は鴎外にとって西周は第二のお父さんみたいなところがあるんです。そういうふうに文豪や学者がたくさんいるということが誇りの町です。僕は大学で哲学をやっていたので、せっかく来たし、読んでみようかな、調べてみようかなといったところがはじまりでした。
 やはり地域としても、西周を輩出したことが誇りなのですが、それにもかかわらず西周の文章を読んだことがある人はほとんどいなかったんです。でもそれは仕方がないかなと思います。内容も専門的で難しく、文法も単語も違うしよくわからないですから。それなら、わかりやすく噛み砕いたり、一緒に読んだりしようと思ったんです。
 実は古典へのアクセスって、町おこしのようなものとしても、つまり、自分が住んでいる町について考えるとき、古典を通して自分たちの物語をもう一度見つめなおすという点で重要なところがあると思っています。そういったわけで自治体にいながら西周についての研究をはじめたのがきっかけです。だから偶然でした。西周をやりたくて行ったんじゃなくて、流された先に西周がいたんです。

人類全体で最強の西周をつくる

はらだ:石井さんの本では、一般的に知られていることの「正確でなさ」というのをすごく丁寧に取り扱われているなと思います。
 たとえば石井さんは、西周が「哲学」という言葉を訳したとき、最初は「希哲学(きてつがく)」という言葉だったけれど「希」が取れて今の「哲学」という言葉になったことについて、この「希」がなぜ取れたのかということを本のなかでおっしゃっていますよね。そのときに、取れた理由を誰ももう断言できない、みんな亡くなっているし、本人ももう亡くなっている。だから今あるものから、こうかもしれないし、こうかもしれないし、こうかもしれないし、こうかもしれませんよね、というようなことを石井さんはおっしゃっていると思うんです。

石井:僕の場合は、どうしても手つきが研究者っぽくなってしまうというか、証拠を出します、証拠から言えるのはここまでです、じゃあこの先どうしましょうかというなかで、オプションがあって、そのなかでどれが一番魅力的かな、という考え方をしてしまいますね。それは決して万能じゃなくて、けっこうチャレンジングなことでもあるなと思っています。
 なにか昔の人や昔の文章について考えたり語ったりするときには、すごく大雑把に言うと、二つの極のようなものが考えられると思うんですよね。
 一つはすごく禁欲的で、確たる証拠があることだけを述べるような態度です。それ以上いろいろ想像もできるし、推量もできるかもしれないけれど、それは言わずにとどめておく、それより先については沈黙しますというタイプのものです。その一方で、事実を捻じ曲げてはいけないけれど、材料から言えることはここからここまでです、でもそれをスタートとして、なにかここからおもしろいことが語れないかやってみましょうという態度があると思っています。この本で採用したのは後者のような、証拠で言えるのはここまでです、そこからどのような道をつけるとおもしろいかなという態度です。
 たとえば、先ほどはらださんが話題にあげてくださった「希哲学」の「希」が取れた理由をどのように探究するかということにもそれが表れているのではないかと思います。少し詳しくお話しすると、‘philosophy’という言葉が英語であって、これは今「哲学」という訳ですよね。まさに西周という人が、この「哲学」という訳語をつくったわけですが、その前に「希哲学」という訳語をつくっていたんです。‘philosophy(フィロソフィー)’というのはもとはギリシャ語で、最初の‘philo(フィロ)’というところが、愛するとか愛し求めるという意味で、‘sophy(ソフィー)’のところが知恵という意味です。ですので、知恵を愛し求めるということが‘philosophy’のもともとの意味です。そう考えると、「希哲学」の「希」というのは訓読みでいうと「こいねが(う)」という言葉なので、原語の「求める」というニュアンスがありますよね。「哲」というのは賢哲といった言い方をして、「賢い」という意味がある。そうすると「希哲学」のほうがマッチしているじゃないかと思ってしまうんです。けれども、西周はあろうことか「希」を消してしまった。すると、‘philosophy’の‘philo’の部分をなくしてしまったじゃないか、これは訳語として失敗じゃないかということが言われていたわけです。
 僕もそうなんだと最初は思っていました。ただ、西のテクストを細かく読んでいると、不注意で落としたとか、時代が経つにつれて消えていったとかではなく、西はある考えのもと、意図して「希」を消しているということがだんだんわかってきました。というのも、「希哲学」という言葉は実は中国由来の儒学をもとにした言葉で、西はどうも中国色を消したかったから「希」を消したようなんです。そんなことまでは、資料からもわかってきました。
 この先なんですよね。つまり、その段階で、ここまではわかりましたというところでとどめるのも、一つの態度だと思います。けれども、少し好奇心に身をゆだねて、自由な発想から考えてみることもできると思うんです。そのなかでいろいろな作法ややり方があるわけですが、あまり魅力的ではないのは、「弱くして切る」という方法です。つまり、西周はたいして考えていなかったのではないかと言って済ませることです。
 それはすごく簡単なことですよね。でも、少し考えてみればわかるように、誰も新しい知見を得ていないんですよ。我々の知的探求はそこで止まってしまいます。そうではなくて、むしろ、やっぱり西は、ぼくらが及びもつかないところまでちゃんと考えていたのではないかと仮定してみる。そうすることで、その意図を探る、あるいは、ちゃんと再構成をこちら側がしてみるんです。この営みのおもしろいところは、それを考える側も頭がよくなるということですね。
 仮定してみて、意図を再構成して、もっと強い西周像をつくっていく。さらに、またそれが批判されることによって、より強い西周像が出てくることになります。大きなことを言えば、人類全体では知見は増えていくわけです。
 それがこういった研究方法のメリットでもあるわけですが、見栄切って語ったけれど、あとあと資料が出てきて間違っていたということも起こりえます。だから大事なのは、ここからここまでは事実だろうという話と、ここからここは事実をふまえての考察だとわけることです。つまり他の人がきちんと検証や批判ができるようにするということです。このお約束のいいところは、研究を一人で全部やる必要はないということです。根拠とともに事実と考察をきちんと峻別していれば、僕が死んでも、もしかしたら30年後くらいに西周に関心を持つ若者が出てきて、引き継いでくれるかもしれない。だからこそできる技でもあるのかなと思っています。

はらだ:「人類全体で最強の西周を目指す!」みたいな感じですよね。石井さんのやり方は、「すでに証拠や研究の積み重ねがあって確実にこう言える」という範囲内…つまり、すでにできあがっている地面のようなものの上から、勝手に逸脱していくことは絶対にない。そのうえで、「ここまでが証明されていること、証拠があることです、以上」と言って終わるのではなくて、まだその先の地面ができあがってないところに向かって橋を架けようとされている気がするんです。(編注:はらださん、ホワイトボードに橋の絵を書く。下の写真参照)。「もしかしたら、皆で考えたらこのへんまで進めるかもね」というのがすごくいいと思います。

橋の話

(はらださん絵)

一つの意見から「私」を決めつけるな

はらだ:『西周と「哲学」の誕生』を読んでいると、石井さんが、西周をくさすような論じられ方について言及されるときにたまにピリッとされているのですが、その気持ちは私もすごくよくわかります。
例えば、『日本のヤバい女の子』では「虫愛づる姫君」を取り上げています。普通のお姫様は蝶やお花を好むのが普通とされている平安時代に、芋虫とかが大好きで虫をいっぱい家で飼育していてキモがられている、完全に周囲から浮いているという女の子の話なんです。
 すごく有名だから多くの研究者の方がいろいろな論を書かかれているのですが、その中には「成虫である蝶ではなくて幼虫である芋虫を好むということは大人になりたくないという願望である」とか、「虫が好きと言いながら、蛇におびえる(当時蛇は虫と混同されていた)シーンがある。彼女は主張に一貫性がない、場当たり的である、だからほんとうに虫が好きなわけではなくて、社会への反抗としてそういうポーズをしていただけだ」というような解釈もありました。
 これらは言うまでもなくきちんと研究されて発表されたものだし、もしかしたら実際に作者もそういう意図で書いていたのかもしれないですけど、私個人の感情としては、「あああ~わーー聞きたくね~~!知らね~!」みたいな感じになっちゃうんですよね。
 私、昔網戸を開けたときに上からクモの巣が顔に落ちてきて、それ以来クモがトラウマなのですが、虫が好きだって言っても、そうやって上からいきなり落ちてくるとか、エンカウントの仕方によって反応が変わっちゃうことは、日常生活のなかで考えるとありえることじゃないですか。だから、今わかっている内容から、こういう行動をしていたからもれなくこうであり、ここからはもう証拠がないので彼女はこういう人間でした、というふうに結論づけられてしまうことにすごく悲しい気持ちになるんです。
 そんなふうに、ある一つの証拠っぽいものからその人を決めつけてしまうことが、最近のネットでのフェミニズムのフィールド上でもよく起こっているように思います。発言そのものと発言者の一対一対応を求めすぎる傾向がある気がします。たとえばAさんがフェミニズムに基づく発言をする、そうすると、Aさんを否定したいと思ったBさんとCさんがその発言だけを瞬間的な証拠として反発する。つまり、「Aさんはこういうことを言っているから、絶対こうである、なぜならこう言っているから」「Aさんは一人でこういうゴールを目指している。なぜならこう言っているから」というように、一つの発言とゴールっぽいものを瞬間的に結びつける。それで、Aさんに「言い出したなら絶対に証拠を揃えてゴールまで連れて行ってみせろ」とBさん、Cさんが迫るんですよね。一度発言したら、一人で人類の底上げを完遂しなければならないことになってしまっているんです。
 たとえば最近、献血のポスターが物議を醸してましたよね。最初の方に発言した弁護士の方に対して、その後も継続して声明を出し続けろ、という人が少なからずいました。けれども、別に話をはじめた人が自分一人で到達する必要はないと思うんです。よくないと思った人が好き勝手にしゃべり、それを見た人がまた好き勝手にしゃべり、何年か経ってまた好き勝手にしゃべり、なんとなく良い場所に到達するというような、「人類全体で最強の○○を目指す」のがいいのではないかと思います。

石井:僕もそう思います。Aさんが言ったことだからAさんに訊きたくなるし、訊くのはいいと思うんです。それでなにかあればAさんがまた答えればいいと思うんですけれど、やはりいろいろな原則を忘れないようにしたほうがいいと思います。Aさんの意見とAさん自体は別ですよね。もちろん発言の責任を問われることもあるけれども、AさんがAさんの意見を言った瞬間に、それはAさんそのものではなく一つの意見です。そうでないと人は一瞬たりとも間違ったり変わったりしてはいけない存在になってしまいます。つまり、なにか反論されたとき、ああ気づかなかったわということはあって、そのときに、「気づかなかったので意見を変えます。すみません」って言えばいいと思うんですよね。

はらだ:研究でいえば、あとからなにかの証拠が出てきたときですね。

石井:そうですね。だから研究において批判は相手を殺すことではなくて、一緒に高みに登る作業なんです。これは古典の範囲を超えてしまうと思うのですが、SNSが炎上するのは意見とアカウントが切れないからにも思えます。アットマークの先が個人であって意見にならないというか。それもあって、どうしても、少しでも間違いがあると、その人が土下座するまで許さないというように苛烈になってしまいます。フェミニズムにせよなんにせよ、意見全体が育っていくというかたちにしていかなければいけないと思っています。

はらだ有彩 立ち絵

(はらださんのこの日の衣装のテーマは「知の百面相」という異名を持つ西周にちなんで《百面相》だそう)

(後編「物語から彼らを「掬う」ために」に続く)

石井 雅巳 (イシイ マサミ) 
1990年生まれ。島根県津和野町役場町長付(地域おこし協力隊)を経て、慶應義塾大学大学院文学研究科後期博士課程在籍。専門は哲学(レヴィナス、西周)。NPO法人bootopia副代表理事。共訳書にグレアム・ハーマン『四方対象』(人文書院、2017年)。主要論文に「『全体性と無限』における享受論の実在論的読解――レヴィナスはいかなる意味で現象学的か」(『フッサール研究』第13号、2016年)、「翻訳と日本語―西周の言語哲学―」(『北東アジア研究』第29号、2018年)など。『西周と「哲学」の誕生』(堀之内出版、2019年)、『西周 現代語訳セレクション 』(慶応義塾大学出版会、共著)
はらだ有彩(ありさ)
関西出身。テキスト、テキスタイル、イラストレーションを手掛けるテキストレーター。ファッションブランド《mon.you.moyo》代表。2018年に刊行した『日本のヤバイ女の子』(柏書房)が話題に。2019年8月に続編にあたる『日本のヤバい女の子 静かなる抵抗』を刊行。「帰りに牛乳買ってきて」(リノスタ)、「女ともだち」(大和書房WEB)、「はらだ有彩の東京23話」(東京新聞ほっとweb)、「ダメじゃないんじゃないんじゃない」(カドブン)など連載中。
Twitter:@hurry1116 HP:https://arisaharada.com/


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