見出し画像

マスクへの憎悪を103年前に菊池寛が予言していた!

エッセイ連載の第6回目です。
(連載は「何を見ても何かを思い出す」というマガジンにまとめてあります)

 今回は番外編的な内容です。

 3日後の3月13日から、マスク着用が任意になります。
 マスクについては、その後で書いたほうがいいかとも思いましたが、すでにいろいろもめ事が起きているようですし、さらにひどい事件が起きませんように! という願いをこめて、その前に書いてみました。


 私は2021年に日経新聞のプロムナード欄で「マスク史の大転換期」というエッセイを書いた。
 持病の関係で、私は80年代からずっとマスクをしている。だから、もう40年近くになる。その間、マスクに対する世の中の目がどう変化したか、身を持って知っている。
 そして、そのエッセイの最後にこう書いた。

 コロナ後の世の中はいったいどうなるのか。(中略)その後もマスクをしていると、「コロナ禍を思い出させるやつ」として冷たい仕打ちを受けてしまうのか? それもこわい。

 まだコロナ後ではないが、3日後の3月13日から、マスク着用が任意になる。

令和5年3月13日以降のマスク着用の考え方について
<お知らせ> 令和5年3月13日以降、個人の主体的な選択を尊重し、着用は個人の判断に委ねることになります。

厚生労働省

 ただし、<着用が効果的な場面>についても書いてあり、その中にこうある。

・通勤ラッシュ時など、混雑した電車やバスに乗車する時

同前

 にもかかわらず、JR東日本はこういう発表をしたそうだ。

 JR東日本は、13日以降山手線などの在来線で、通勤ラッシュの時間帯を含め、乗客にマスク着用を求めず、個人の判断に委ねることを明らかにした。

FNNプライムオンライン

 こうした状況の中で、早くもマスクを外した人たちのことがTwitterで話題になっている。

優先席に座る高齢者(酸素ボンベで吸入中)のそばにノーマスクの若者が立つ

バス車内では赤ちゃん抱っこした女性に密着するようなノーマスク男

電車の中で、マタニティマークつけた妊婦さんがノーマスク男から逃げていた

 これらが本当だとしたら、そうとう攻撃的だ。
 たんにマクスを外しただけでなく、わざと近づいたり、追いかけたりしている。
 なぜそこまでしてしまうのか?

 ノーマクス派と呼ばれる人たちの中には、マスクをしている人たちを、「マスク奴隷」と呼んだり、「世界の恥さらし」と罵倒したりしている人もいる。
 なぜそこまで口汚くののしるのか?

 マスクという小さな布に対する、大きすぎる憎悪に、異様さを感じている人も少なくないだろう。

 これがもし、「雨が降りそうなときは傘を持っていったほうがいい」という話だったら、「傘をさせば濡れないわけではない」などと性能を問い詰められたり、「傘の奴隷になりたい人間は、雨が降る前から持ち歩けばいい」などとののしられたり、ノー傘警察が登場したりはしない。

 本当はマスクも同じことで、「感染症が流行っているのだから、マスクで完全に防げるわけではないが、いくらかは効果があるのだから、人混みではマスクをしたほうがいい」というくらいが、普通の考え方だろう。
 ところが、そんなふうに冷静に考えることは難しくなっている。

 それはもちろん、命にかかわる感染症が蔓延したからだし、マスクの着用が国の方針になったからだ。傘だって、放射能を含んだ雨が降り、傘の携帯が国の方針になれば、同じようなことが起きるだろう。

 つまり、マスクの問題ではなく、状況のせいということだ。
 マスクはその象徴だ。
 人間を「象徴を操るもの」と定義したのはカッシーラだが、人はいろんなものをすぐに象徴的にとらえてしまう。
 マスクを、ただマスクとだけ見ることは、逆に難しい。
 
 こうしたマスクをめぐるあれこれを、じつは103年も前に描いていた人がいる。
 そう言うと、すごい予言者のようだが、じつは作家の菊池寛だ。芥川龍之介などの仲間で、『恩讐の彼方に』『真珠夫人』などの作品がある。「文藝春秋」を創刊した人でもある。

 その菊池寛は、スペインかぜを体験した。
 スペインかぜとは、1918年から1920年にかけ世界中で大流行したH1N1亜型インフルエンザの通称だ。日本でもたくさんの死者が出た。
 その体験をもとに書かれたのが、『マスク』という短編小説だ。小説と言っても、随筆に近く、最初は「私の生活から」という副題がついていた。

 初出は「改造」1920(大正9)年7月号。
 103年前だ。
 しかし、これを読むと、まさに今のことが書かれているとしか思えない。
 こういう短編があるとは知らなくて、去年初めて読んで驚いた。

 自分は、極力外出しないようにした。妻も女中も、成るべく外出させないようにした。

 外出するときには、ガーゼを沢山詰めたマスクを掛けた。

 毎日の新聞に出る死亡者数の増減に依って、自分は一喜一憂した。

『マスク スペイン風邪をめぐる小説集』文春文庫

 最初のうち、菊池寛はマスクをつけることに、とても熱心だ。
 こう友達に言っている。

 病気を怖れないで、伝染の危険を冒すなどと云うことは、それは野蛮人の勇気だよ。病気を怖れて伝染の危険を絶対に避けると云う方が、文明人としての勇気だよ。

 ところが、いったん減少しはじめたスペインかぜが、また増えはじめる。

 四月から五月に移る頃であった。また、流行性感冒が、ぶり返したと云う記事が二三の新聞に現われた。自分は、イヤになった。四月も五月もになって、まだ充分に感冒の脅威から、脱け切れないと云うことが、たまらなく不愉快だった。

 そうすると今度は、マスクに対する考え方が大きく変化する。

 さすがの自分も、もうマスクを付ける気はしなかった。
 ふと、自分を追い越した二十三四ばかりの青年があった。自分はふと、その男の横顔を見た。見るとその男は思いがけなくも、黒いマスクを掛けて居るのだった。自分はそれを見たときに、ある不愉快な激動を受けずには居られなかった。それと同時に、その男に明かな憎悪を感じた。その男が、なんとなく小憎らしかった。その黒く突き出て居る黒いマスクから、いやな妖怪的な醜さをさえ感じた。
 此の男が、不快だった第一の原因は、こんなよい天気の日に、此の男にって、感冒の脅威を想起させられた事に違なかった。

「病気を怖れないで、伝染の危険を冒すなどと云うことは、それは野蛮人の勇気だよ」と言っていた人が、マスクをしている人に対して「いやな妖怪的な醜くさをさえ感じ」るようになったのだ。

 その大きな変化のポイントは、いつまでも「感冒の脅威から、脱け切れないと云うことが、たま らなく不愉快」になってきたことにある。

 これは、ずっと病気をしている私には気持ちがよくわかる。
 一時的な制限なら、どんなに厳しい制限でも、けっこう人は耐えられる。
 しかし、ずっととなると、とても苦しくなる。「継続は力なり」という言葉は、こういう場合にもあてはまる。長くなればなるほど、そして休みがないほど、それはこたえてくる。

 苦しさはどんどん増してきて、「もうどうなってもいいから、こんな我慢は耐えらない!」とキレてしまう。キレたら死んでしまうかもしれない人だけが、それでもさらにぐっとこらえるが、自分は死なないと思っている人なら、そのままキレてしまうだろう。

 そうなったとき、どうなるか? 我慢してきた最中にやってきたことすべてに対して、強烈な憎悪を感じるようになる。マスクとか、アルコール消毒とか、アクリル版の仕切りとか。

 とくにマスクは中心的な象徴だ。
 ノーマスクの人が、高齢者や妊婦を追いまわすのは、マスクをしなければならないのは、とくに高齢者やリスクのある人たちのためだからだろう。「感冒の脅威から、脱け切れないと云うことが、たま らなく不愉快」という気持ちを、そういう弱者を憎悪することによって晴らそうとしてしまうのだ。

 マスクをつけつづける人間にも、憎悪が向けられるだろう。
 私はもともとマスクをつけていたわけだが、そんな区別は相手にはわからない。今後は、見知らぬ人たちから、「いやな妖怪的な醜さ」を感じられ、憎悪を向けられることになる。にらみつけられたり、ドンとぶつかられたり、悲しくなることをされるのだろう。

 しかし、これは嫌味でもなんでもなく、素朴な疑問なのだが、こういうことをする人たちは、自分のことをどう思っているのだろう?
 もちろん、自分たちが正しいという信念に基づいているのだろうが、それでも、やっていることはひどい。そのひどさについては、どう思っているのだろう?
 ドラマや映画で、自分たちと同じようなことをしている人たちが出てくることがあるだろう。よくは描かれていないはずだ。そういうのを見て、どう思うのだろう?
 描き方がよくない! と怒っているのだろうか?
 それとも、自分のこととは思わないのだろうか?
 それがいつも気になる。
 教えてほしいけど、そういう人に「どうなの?」と聞くわけにもいかないから、いまだに答えを知らない。

 それにしても、こういう心理を見事に、しかも自分のこととして描いた菊池寛は素晴らしいと思う。



もしおもしろいと思っていただけたらお願いいたします。 励みになりますので。 でも、くれぐれも、ご無理はなさらないでください。 無料掲載ですから。