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エッセイ【散歩】


わたしは自然の空気を大きく吸い込むことが好きだ。
たとえそれに、わたしの心を一瞬で乱す煙草の臭いがかすかに混じっていたとしても、それさえも受け入れられるのだ。


体の固くなった内側が、ところてんを押し出すあの機械のように、吸った息でぐいっと芯まで深く響いて落ちるこの感覚が、わたしを安心させる。



微細な匂いを嗅ぎ分けることができるわたしは、
犬ではない、戌年である。

自然の匂いにも好きな匂いと嫌いな匂いはある。
妙な人間や、妙な場所には、それ特有の違和感があるものだ。



しかし近頃はひどく鈍っている。
なにも嗅ぎ取れないのだ。とても恐ろしい。
あっちへ行ってもこっちへ行っても、顔を近づけても臭わない…
風邪をひいているのか、それとも嗅覚を働かせる脳の一部が壊れてしまっているか。



公園の少し大きなベンチに横になる。
正方形のベンチというのは、全身をゆったりと伸ばせるなら素敵だ。中央部分が丸く凹んでいるから、おそらく長くここにあるのだろう。
昨晩の大雨で綺麗に洗われたか、とても綺麗だった。


日本でこうして寝たい時に寝るというの恥ずかしい。他人の目がどうしても気になる。でも、わたしは昨日、オーストラリアの海での過ごし方を知人から聞いていて、それに強く共感したので、どうしても今はここに寝る、という覚悟を持っている。



梅雨のなか日の曇りはこんなにも痛いか、というくらいに日差しが強い。目を開けていられない。サングラスを持ってくればよかった。キャップを少し深く被る。

しばらく眩しくないところをかい潜り、真っ白な天井を見続けてボーッとしていた。なんだか、私の体から熱が生まれているようだった。



その熱を感じた時、はじめに気にしていた他人の目はもう気にならなくなってしまった。
体も空気そのものになったように軽くなったような気がした。


それと、もうひとつ。


その熱に反応してからか、少しかおりがしてきたようにも感じなくもない。
いや、そう意識すると、かおってないような気もするが、ここはひとまず、香っているということにした方がより感動的に一日を締めくくれる。


今日を美しい熱の記憶として、記しておこう。



さて、四葉のクローバーでも、見つけにいくか。




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