短編【灰色】


私は山を中心とした街にいて、案内をしてもらっていた。


「素晴らしいところでしょう。」


案内してくれたイクタサトシさんはいった。

市の職員だったか…

そんな感じだったと思う。

タクシーの運転手ではないことは確かだ。




「はい、なんだか甘い匂いもします。」


車に揺られ、一日の案内だった。



「そろそろ終わりの時間です。そういえば、どちらから来られたんでしたっけ?」



もう一人、後ろに乗っている男の人が私に尋ねた。



「兵庫からです。」
「え…!めっちゃ都会じゃないすか!」
「でも、地元は島根なんです。」
「え、そうだったんですか?」
「はい、そういえば、言ってなかったですね」


そうだったんですか、と話に反応したイクタさんの声は、驚きというより、喜びという感情がぴったりだと思った。
私はイクタさんにどこか惹かれていたんだと思う。



それから、みんなで街の小さな定食屋でお昼を食べて、私は地元へ帰った。


帰り際、
「またいつか会えたらいいですね。」
そう伝えた。

ごく普通のお世辞と、少しの好意を込めて、「会えたらいいですね」という言葉で箱を閉じようとした。



「えぇ、ぜひ。実は、明日島根に行こうと思っているんです」



少し驚いた。

ここは確か東北地方だったはずで、明日すぐ行きます、なんていう距離ではないのだ。


いや、もしかして、私の話を持ちかける前から、何かしらの事情があって、元々どこかに出ていこうとしていて、そこに都合よく私が現れたということだろうか。


それとも、なんとも都合よく仕事で出張命令が出されただとか、イクタさんの祖母が島根にいるだとか、極めて可能性が低いだろうと思われるような、太くて固い、必然な運命なのだろうか。



閉じようとした箱をまた開いて、私の心はまっすぐに喜んだ。


「ほんとですか、ではご案内しますよ。」


なんとも行動力のある人だと、思い込んだ。




家に着いて、私はメールを打った。


《イクさん○時にここでいい?》
《…はい!問題ないです。》


私はクローゼットを見ている。自分の持っている服が全て遠くにいく。どれも、僕は自信がない!という様子で、互いに行けよ行けよと、譲り合っていた。



《楽し…》
メールを打ちかけて一つ前のメールに気付いた。
え、イクさんってだれ?それは私の友達だよ…
私は高校の同級生だと思って、なぜか間違えてメールを作成してしまっていた。

イクタさんにすれば、さほど関係のないことで、「なんか急に軽くなったな笑」で済まされる話なのかもしれないけど、明日会うという私の気まずさを自分で想像して、弁解しておかなければならないと、衝動的に脳が、手が、動いた。




《ごめんなさい、私の知り合いがイクって言うんです、間違えてしまいました…》


最大限の恥をこのメールに込めた。
すぐに返事がきた。


《かわいいです。》



私はこの返信に大いに照れもしたが、意味がわからないという気持ちの方が大きかった。こんなにも惚けたような人柄だっただろうか…





翌朝、二人で会うデートのような形式を始めて想像してみた。待ち合わせをして、お昼を食べて、話をする…


たったそれだけのことなのに、とても楽しみなことだったのに、無理だと思った。



二人で話すことがなくなったらどうする。
楽しくなくなったら終わりだ。
嫌われたくない、つまらないなんて、思われたくない…



私はそこで幼なじみのマナミを誘うことにした。
せっかく遠くから来てくれるのに、許可も取らずもう一人こちらの味方だけ呼ぶのも失礼だとは思ったが、案内してくれた時はもう一人男性がいたわけだ。

私が呼んだって、おかしいということはない。そう言い聞かせた。



《マナミ、今日空いてない?一緒に出かけない?もう一人いるけど》
《え、今日?どこに?》
《どこって、あのショッピングモールくらいしかないでしょ笑》
《笑、いいよ》
《迎えに行こうか?》



私は急にわからなくなった、なんだか全てが崩れていく。


メールでやりとりしたことも、案内をしてもらったことも、そもそもどうやってその土地に行ったのかさえ思い出せない。


イクタさんと、どこでで会ったかしら…
あれは、青森?山形?長野…?
東北だったような気もするのだけど…


爽やかで清潔で…
あれ、どうだったっけ…
どんどん消えていく、思い出せない…



目を閉じて、また開いても、目の前は真っ暗で、この記憶は、わからないままでいることを望んでいた。


私は30分ほどの、夢だと思うことにした。





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