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離婚を決めた日

私には将来のビジョンがあった。

家族の理想もあった。

私が小さい頃、両親は忙しかった。

夏休みになると、親戚のおばさんの家へ遊びに行った。

というか、出稼ぎにw 行っていた。

小学校五、六年生の頃かな?

2週間やそこらだったけど、毎日おじさんとおばさんが

やっていた家の基礎の現場へ一緒に行くのだ。

型枠をはめたり、墨出ししたり、生コンを流し入れたり。

すごく楽しかった。

朝は早かったけど、終わるのも早かった。

夕方には帰宅して明るいうちにお風呂へ入った。

そしておじさんとおばさんは夕飯後、パチンコへ出かけた。

家族がいつも一緒で何をしているのかが明白な感じと

ご飯をみんな一緒に食べるのがすごく好きだった。

そんな家庭がいいなと漠然と思っていた。

主人はもともと現場の人だったから

私の理想に近い家庭像が実現できる気がした。

だけど、現実はそうじゃなかった。

私には将来のビジョンがあった。お金になるかはわからないけど

やりたいことは絶対にやりたいと思ってここまでやってきたのだ。

なので、主人が面白くなさそうに、時に体調を崩してしまうほど

忙しく暗い顔をして仕事へ行くのが耐えられなかった。

だけど私にはどうしようもない。

ある時、私には明確にやりたいことがある。だから

お母さんとお父さんを逆転してくれないか?

私は家事や育児に追われて、夢を追えきれていない。

あなたは毎日しんどそうに、先の見えない、ビジョンのない仕事を

この先何十年としようとしている。わけもわからぬまま。そして大きなストレスを抱えたまま。

だからあなたが家のことや育児をして

私が外に出るのはどうか?

そんな話を真面目にしたことがあった。

主人は「できるものならそうしたい。だけどお金はどうするの?」と

半分あきらめのような、そんな馬鹿な話があるか!みたいな返答で

即話し合いは終わったのだ。

そうだよね。昭和生まれの人間じゃそれが普通。

私の考えがズレている。真っ当な回答だ。

彼のストレスや楽しみはこの後も家族には向かわずに

酒浸りになる。

毎晩毎晩ビールとハイボールを4,5缶開ける。

最後はほとんど飲まないままその場で朝方まで爆睡する。

夕飯はほとんど食べない。もちろん朝も食べない。朝はコンビニで野菜ジュースとたまごサンドとアイスコーヒーとアイスを食べているらしい。

昼はラーメン。

主人が毎日何をどこで食べているのかはわからない。

主人の食の趣味も全くわからない。

夕飯を出しても大して反応がない。

そして主人のベクトルはどんどんバイクに向かう事になる。

それもバイクには仲間や縦社会があるようで

誘われたら断れない。いや、嬉しくて行ってしまうのだろう。

なんとも哀れな話だ。いや私がそう言った仲間や趣味に没頭できる

タイプじゃないから私の方が哀れなのかもしれない。


私の中では折り合いをつけたかった。

自由な時間は作ってもいいけど、家族の時間は大切にしてほしい。

今しかない家族の時間。

我が家は三姉妹。小さい頃に父親との接点がないと

大きくなってからの修復はほぼ無理だろう。

しかし主人のバイク仲間への熱量はどんどんエスカレートし、バイクも数台所有するようになった。


ある日。次女の運動会の日程の話になり

「来週運動会だよ?場所取りいける?」と話しかけると

「来週はツーリングだって言ってなかったけ?」と主人。

「いや、どっちにしても運動会が優先でしょ?

一年通して数日しか学校の行事はないのだから運動会くらい参加してよ」と私。

「なんなんだよ!いつになったら俺は自由な時間ができるんだよ!!」と主人。



私は地雷を踏まれたわけです


「てめぁふざけんじゃねーぞ!家族をなんだと思ってんだよ!

んなもん、いつになってもできんだろーが!」

と人生で一番怒鳴り散らした瞬間でした。私がね。


それまでも、私が遅くなった時のお迎えも、どうにかお願いして

イヤイヤ、返事もせずにお迎えに行くとか、まあまあま許し難い態度や言動が

あったわけで。


あぁこれは弊害だな。私の人生の弊害でしかないな。

もうだめだな。


と怒鳴り散らした日、離婚を決めたわけです。

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