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(全文公開)メディアの進化とクリエイターエコノミー 〜世界を変える「個」の力

このnoteは、2023年4月に発売された書籍『未来を想像するスタンフォードのマインドセット』(朝日新聞出版)から、私(鹿島幸裕)が執筆を担当した「メディアの進化とクリエイターエコノミー 〜世界を変える「個」の力」の章を全文公開するものです。

本書では、スタンフォード大学にゆかりのある起業家、VC、研究者・学者、弁護士を始めとする様々なプロフェッショナルが、「スタンフォードのマインドセット」を軸に自身の経験や感じたこと、現在の仕事や研究内容についてオムニバス形式で執筆しています。手前味噌ですが、豪華執筆陣が多様なテーマについてエッセイも交えて書き下ろしているので、知的に刺激のある、おもしろい本だと思います。

スタンフォードやシリコンバレーにおけるイノベーションやアントレプレナーシップに興味のある方、スタンフォードに限らず海外留学全般に関心のある方、ひいては日本および世界が抱える社会課題を知り、向き合いたい方など、多くの方にぜひ本書を手にとってご覧いただけると嬉しいです。

0. はじめに

インターネットの登場後、情報流通のあり方が大きく変わった。2000年代後半以降のSNSやスマートフォンの普及に伴って、それまで世の中に声を届ける手段を持たなかった個人が気軽に発信できるようになり、情報発信の民主化が進んだ。現在では個人が情報発信のみならず、十分なマネタイズ手段を得るようになったことで自らの発信や創作物から生計を立てることが可能になり、クリエイターエコノミーと呼ばれる経済圏が注目を集めている。

私は、これらの現在まで続く情報流通の変化のトレンドの萌芽が見られた2000年代後半にスタンフォード大学ビジネススクールで学び、テクノロジーやスタートアップが世界を変えていく空気感を肌で感じる機会に恵まれた。とりわけ、私が留学した前後に登場したスマートフォンや、GAFAM(Google、Apple、Facebook、Amazon、Microsoft)をはじめとするテクノロジー企業が提供する巨大なプラットフォームは、既存のメディアのビジネスに影響を与え、その後の世界の情報流通のあり方を方向付けた。その時代は10年以上続いたが、現在、クリエイターという「個人」を軸にした変化の兆しが見られる。

私は現在、メディアプラットフォーム「note」を運営する企業でCFO(Chief Financial Officer、最高財務責任者)としてはたらいている。本稿では、スタンフォードでの経験が私および私のキャリアに与えた影響と、今の仕事で取り組んでいるメディアと情報流通の進化、そして現在勃興するクリエイターエコノミーについて述べていきたい。

1. スタンフォードに留学した経緯

スタンフォード大学といえば起業やイノベーションのメッカ、多くの革新的な若者が世界中から集まるスタートアップの中心地というイメージがあるかもしれない。しかし、スタンフォード大学ビジネススクールへの留学前の私は、そのようなイメージとは異なる、どちらかといえば保守的な性格の人間だった。

私のバックグラウンドを簡単に紹介すると、日本の大学で法学部を卒業した後に国家公務員、いわゆる官僚として外務省に入省。日本で数年勤務した後にスタンフォード大学のビジネススクールに留学して、いくつかの仕事を経験したのち、現在は日本のスタートアップ企業でCFOとしてはたらいている。

スタンフォード留学前は海外に住んだ経験はなく、いわゆる純ドメで小学校から大学まで日本の教育を受けて育ってきた。ファーストキャリアとして官僚を志したのは、仕事を通じて世の中に良いインパクトを与えたいという想いから。今いるスタートアップ業界については、大学卒業当時就職するという発想はなかったし、そもそもスタートアップという言葉も知らなかった。自分の周りでも、官庁や大企業、弁護士や外資企業など、いわゆるエスタブリッシュメントな業界に就職する友人がほとんどで、自分もその中の一人だった。

一方で、社会人となり視野がひろがる中で、もっと多様な価値観に触れてみたい、できれば自分のこれまでの志向性と180度違う世界に行ってみたいと思うようになった。それが、アメリカの中でも西海岸、シリコンバレーの中心に位置するスタンフォードを志した理由である。

2. 実際に留学してみて

実際に留学してみて、まさにそれまでの自分を取り巻く環境が一変した。そもそも海外に住むのが初めて、ビジネスを学ぶのも初めてだったということもあるが、むしろ生活に馴染んでアメリカのことを知れば知るほど、スタンフォードやシリコンバレーがアメリカの中でも特異な存在であることがわかってきた。

今でこそテクノロジーや起業などの分野が多くのビジネススクールでも人気となっているが、スタンフォードでは当時からその分野が一番人気という雰囲気だった。授業には起業家やベンチャーキャピタリスト、大手テック企業の幹部などが来て自らの経験(失敗から学ぶという意味で失敗経験であることも多い)を披露してくれるし、キャンパスの外に足を向けても、街のカフェでスタートアップ用語が飛び交っている光景が日常的だった。

実際に、スタンフォード大学ビジネススクールが公表しているデータによると、直近2022年の卒業生の19%が卒業後すぐに起業、あるいは起業を計画しているとのこと。

スタンフォード大学ビジネススクール「2021–22 MBA Employment Report」より。

くわえて、自らの起業ではなく既存のスタートアップに就職する人も当然多く存在するし、スタートアップエコシステムで重要な役割を担うベンチャーキャピタルも人気の職種だ。また、これは卒業後すぐの数字で、とりあえず学費ローンを返すためにコンサルや金融などの報酬の高い仕事を経てから起業する人も多いので、起業やスタートアップに関心のある人は半分以上、少しでも興味のある人を含めると肌感覚ではほとんどの人が起業やスタートアップに関心があるのではないかという印象を受ける。

いかにスタートアップ大国のアメリカといえどこの環境は特異で、それまでの自分の価値観と異なる世界に身を置きたいという私の希望は十二分にかなえられた。

3. 留学時の社会経済情勢

私が留学したのは2008年の夏からで、学校が始まったばかりのその年の9月に、アメリカの大手投資銀行リーマンブラザーズの破綻、いわゆるリーマンショックが起こった。それまで世の中を席巻していた金融資本主義が後退し、代わりに台頭したのがGAFAMに代表されるテック大手企業、いわゆるビッグテック(Big Tech)と呼ばれる企業たちだった。

これらのビッグテックは、2000年代中頃から、いわゆる「Web2.0」の潮流に乗りその後の世界を席巻するサービスを生み出していた。Web2.0は、その言葉を日本でひろめた梅田望夫さんの著書「ウェブ進化論」(筑摩書房・2006年)において、 "ネット上の不特定多数の人々(や企業)を、受動的なサービス享受者ではなく能動的な表現者と認めて積極的に巻き込んでいくための技術やサービス開発姿勢" と表現されている。具体的には、一般ユーザーが自ら表現者としてウェブで発信できるブログやSNSなどのサービスやそれを支えるインフラ・技術が当てはまる。

私がスタンフォード大学に合格してまずはじめにやったことは、当時まだ日本に上陸していなかったFacebookのアカウントを作ることだった。ビジネススクールの同級生のFacebookグループの招待がやってきて、どんなサービスかよくわからず登録した。Facebookは当時アメリカで流行っていたが、その後日本や世界中を席巻することになるのは周知のとおり。Facebookの日本オフィスは当時まだなかったが、在学中、スタンフォードビジネススクール生向けの学内ジョブボード(求人ページ)に、Facebookの日本向けの仕事に関するインターンシップの求人が出ていたのを覚えている。同じくWeb2.0系のサービスであるLinkedIn(その後Microsoftにより買収)やTwitterも、留学前や在学中にアカウントを開設した。

また、留学生活には当然携帯電話が必要となる。2008年に渡米してすぐ、現地の販売店でiPhoneを契約した。日本でiPhoneが初めて発売されたのは同時期の2008年夏なので、iPhoneも初期の段階から触れることができた。また、留学中の2010年春には初代iPadが日本に先駆けて発売されて、こちらも現地でいち早く触れることができた。春から始まったスタンフォードの起業プロジェクトの授業で、リリースされたばかりのiPadを使ったニュースアプリのビジネスアイディアを掲げて実際に起業した学生もいたくらいだ。

私がスタンフォードに留学したのは、前述のとおり自身と真逆の価値観に触れたいという想いからだった。実際にはそれに留まらず、図らずも現地で勃興するグローバルなWeb2.0系のサービスやそれらに欠かせないユーザーインターフェイスであるスマホやタブレットにいち早く触れることができた。アメリカで一般に市販されているものなので私が世界で唯一の体験をしたというわけではないが、元々テクノロジーにすごく明るいわけでもなく、アーリーアダプターでもなかった私が自然と最新の技術やデバイスに馴染むことができたのは、人間の人生や価値観の形成において身を置く環境の重要性を物語っている。

その後の私のキャリアで、日本におけるWeb2.0の代表的サービスである「食べログ」を運営するカカクコム社や、より汎用的に、誰もが気軽に情報発信をできるメディアプラットフォームである「note」ではたらいているのは、こうしたスタンフォードでの経験が影響しているのかもしれない。

4. インターネットの登場とメディアの変容

スタンフォードで衝撃を受けたのは、小さなスタートアップ企業や新興のテクノロジー企業が世界をどんどん変えている姿を目の当たりにしたこと、特に、Web2.0的な「誰もが情報の発信者となる」インターネットの潮流と、それを促進するスマホやタブレットというデバイスの進化である。

Web2.0の潮流とスマホの出現によって、情報流通とメディアのあり方が大きく変わった。その変容を説明するため、基礎的な内容も多く含まれ恐縮だが、メディアとインターネットの歴史についてまず簡単に触れておきたい。

そもそもメディアとはなんだろうか。そのまま日本語にもなっているが、英語の意味としては何かを「媒介」するもの、多くの場合は情報を媒介するもの、と定義できる。マスメディアはそれをマス、つまり「大衆」向けに情報を媒介・伝達するものということになる。

インターネット以前は、古来使われている「紙」を用いた出版や新聞、20世紀以降は「電波」により情報を伝達するラジオやテレビが加わった。これらのマスメディアが多くの人々に情報を届ける手段として隆盛し、生活に必要不可欠なものとしてメディア=マスメディアという認知を獲得していった。マスメディアは多くのコストをかけて取材を行ったりコンテンツを作ったりして、発信する情報の質を担保し、情報の受け手の信頼を獲得していった。その信頼性の裏返しとして、誰もが自由に自分の意見や考えを紙や電波にのせられるわけではなく、マスメディアで発信できる個人は、すでにリアルな世界で権威を獲得している、あるいは情報の信頼性が担保されている有名人や知識人、専門家に限られていた。

一方で、インターネットの登場により、これらのメディアのあり方が大きく変化した。インターネットは情報発信を民主化する装置であり、実際にホームページをはじめとして技術的には誰もが情報を発信できる素地が整った。一方で、インターネット以前のメディアと同様あくまでその情報のやり取りは一方通行であり、かつマスメディアと異なり個人が運営するホームページは趣味的なものに留まり、信頼ある情報を提供する媒体とは見なされなかった。

これに対し、2000年代半ばに登場したWeb2.0の潮流によって、メディアのあり方が大きく変わった。ブログ等の出現により情報発信のハードルが大きく下がり、情報の発信者、表現者の数が飛躍的に増えた。また、Facebookに代表されるSNSは、コミュニケーションのハードルを下げ、情報の双方向性を促進した。さらには、これらの発信・コミュニケーションがスマホの出現によって飛躍的に促進され、その発信・コミュニケーションを仲介するサービスやデバイス、インフラを提供する、GAFAMを代表とするプラットフォーム企業が大きく飛躍することになった。

一方で、これらのプラットフォーム企業の躍進によって、既存のメディアの影響力は低下した。実際に、既存メディアの利用率はこの10年間でインターネットに比べて下がっている(テレビの利用率は下がってはいるものの引き続き高い水準を保っているが、年代別の内訳を見ると60代が9割以上あるのに対し10代・20代ではそれぞれ5割代の利用率となっており、年齢による利用率のギャップも見られる)。

総務省(2022)「令和3年度 情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査」より筆者作成
総務省(2022)「令和3年度 情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査」より筆者作成

5. メディアとインターネットの新しい潮流

私が留学した2000年代後半から2010年代にかけては、まさにGAFAMのようなビッグテックが良くも悪くもインターネットの世界を支配した時代だったといえる。

一方で、近年、このビッグテックによるインターネットの情報流通の寡占化に対して、それにチャレンジするような新しいインターネットの潮流が生まれている。いわゆる「Web3」と言われるトレンドだ。Web3についてはメディアというよりはインターネット全体の潮流のためここでは詳しく扱わないが、簡単にいうと、ブロックチェーン技術を基盤とした分散型のインターネットの概念で、インターネット上の情報の流れをウェブの参加者や構成員、個人で分散して管理しようという考え方である。インターネット上の情報の流れと権力がビッグテックのような中央集権的な企業に集まり過ぎてしまったことに対するアンチテーゼ、カウンターカルチャー的なムーブメントとも理解できる。

ここでは、Web3のトレンドとも重なる部分があるが、併行して盛り上がっている概念として「クリエイターエコノミー」という潮流を扱いたい。クリエイターエコノミーは、Web3の時代になって新しく登場した概念ではなく、Web2.0の時代から連続的に発展してきたものだが、メディアの変容・進化という意味ではこちらの方がより大きな意味を持っていると考えている。

6. クリエイターエコノミーとは何か?

前述したインターネットの発展、特にWeb2.0以降の情報発信の民主化やそれを支えるプラットフォームの登場によって、個人がインターネットで何かしらの表現活動を行うことが促進され、それによって新しい経済圏が生まれた。これがクリエイターエコノミーである。ここでは、オンライン/オフラインを問わず、何かしらの表現活動を行う人をクリエイターと呼び、それによって生まれる経済圏をクリエイターエコノミーと定義する。

クリエイターエコノミーより先行して認知されている概念として、ギグエコノミーという言葉がある。どちらも個人の活動によって生まれる経済圏という意味では同じだが、決定的な違いは、サービス提供者の匿名性だと考えている。ギグエコノミーの代表的なサービスとしてUber Eatsが挙げられる。Uber Eatsは、はたらく側から見ると自分の空いた時間に飲食店の料理を配達することで報酬を得ることできるサービスだが、サービスを利用する側から見ると、料理を誰が運んでくるかは重要ではない。つまり、個人によって提供される価値に、誰が提供しても同じという意味での匿名性がある。一方、クリエイターエコノミーによって提供されるサービスやコンテンツは、「誰が」それを提供するかが重要となる。クリエイターエコノミーの文脈では、「クリエイター」が主役となるのだ。ここでのクリエイターは、アーティストや作家などのいわゆるクリエイティブな創作活動を行う人々だけに限られない。むしろ、会社員や主婦/主夫のような一般の人々も、何かしらの表現活動をすればクリエイターとなり得ると考えている。

インターネット以前にももちろんクリエイターは存在し、表現活動を行ってきた。一方で、インターネットによって表現のハードルが下がり、Web2.0のトレンドに後押しされて誰もが自分の表現を簡単に発信できるようになり、中にはその活動で影響力を持ちインフルエンサーと呼ばれるようになった人々も現れた。代表的な例がブロガーやインスタグラマー、YouTuberである。それまでは伝統的なメディアを通さないと自分の考えや表現を世の中の多くの人々に伝えることは困難だったが、個人による発信であっても、その内容次第で、インターネットを通じて多くの人々に自分の想いを届けることが可能になった。

7. マネタイズ手段の多様化:広告と課金

このクリエイターエコノミーの潮流が近年さらに注目を集めるようになった一つの要因として、クリエイターのマネタイズ手段の多様化が挙げられる。これまで、ビッグテックが提供するプラットフォームは広告によるマネタイズが中心であり、ブロガーやYouTuberなどのクリエイターも自身のコンテンツの閲覧数などに応じてその広告収入の一部を還元されている構造があった。

これは有名でない個人が簡単に売上を上げる仕組みとして優れているが、一方で、クリエイター側の収益性が低いという問題があった。仮にブログに広告を貼った場合、コンテンツの内容によって異なるが1ページビューあたり1円以下という場合がほとんどである。仮にインターネットの記事が1万ページビュー閲覧されたとして(これはインターネットのコンテンツの中で多く閲覧されている水準といえる)、広告によって得られる収益は、せいぜい数千円〜数万円ということになる。ちょっとしたお小遣いや副業収入としては成り立つ金額だが、これ単体で生計を立てるのには到底足りない。YouTubeは広告収益の55%をクリエイターに還元しているため多くのミリオネアが誕生しているが、十分な収益を稼ぐことができるのは全体の一部であり、数多くの視聴者の注目を集めるコンテンツを作ってYouTube内の熾烈な再生競争に打ち勝つ必要がある。

これに対し、現在のクリエイターエコノミーの盛り上がりは、マネタイズ手段の多様化によって後押しされている。手前味噌だが、私がはたらいているnoteは、クリエイターが自分の作ったコンテンツ(コンテンツの内容はテキスト、イラスト・漫画、写真や画像、音声、動画、電子ファイルなど、なんでも良い)に自ら値付けをして、それを販売することができる。つまり、広告ではなく、自分のコンテンツに興味を持った消費者が支払ったお金を、クリエイターがコンテンツの対価として受け取ることができる。広告ではなく、「課金」という形でマネタイズができるのである。

課金によるマネタイズは、物販のEコマースでは一般的だが、インターネットのコンテンツの世界では従前は一般的ではなく、マネタイズ手法の大部分は広告に依存していた。広告ではその性質上どうしても広く浅くマネタイズすることになり、多くの人々に閲覧されるコンテンツである必要がある。一方で、課金によるマネタイズは、ごく一部の人しか興味がない内容であっても、その内容に価値があれば、高いお金を出して購入されることがあり得る。現実世界のニッチな趣味や仕事の世界で、一般の人は興味がなくても専門家の間で評価されるものが高値で取引されるのと同じである。

クリエイターエコノミーの分野で有名なアメリカのベンチャーキャピタリスト、リ・ジン(彼女自身もクリエイター化している)は、自身のニュースレターの中で "100 True Fans" という記事を書いている。この中で彼女は、年間1,000ドルを支払ってくれるファンが100人入れば、クリエイターの年間の収入が10万ドルになるため、自分の創作物で生計が立てられるようになると唱えている。一人あたり年間1,000ドルというと日本円にして10万円以上の水準となり、ハードルが高いように感じるかもしれない。しかし、誰でも自分の好きなアイドルや趣味のもの、あるいはキャリアアップや成長のための勉強などに、それくらいの金額を投じたことがあるのではないか。その消費者にとって本当に価値のあるコンテンツを提供できれば、10万円以上の対価を払う支援者を100人見つけることは、決して不可能な話ではない。

これは、広告モデルと課金モデル、どちらが優れているという話ではない。広く浅くマネタイズするか、狭く深くマネタイズするかというだけの違いである。しかし、これまでインターネットの歴史の中でコンテンツのマネタイズの手段はほぼ広告一辺倒だったため、課金によって狭く深くマネタイズするという新しい選択肢が登場したことにより、それまで万人にウケるコンテンツを持たなかった多くのクリエイターが世に出ていくきっかけとなった。これがクリエイターエコノミーが現在盛り上がっている背景である。

先に少しだけ触れたWeb3のトレンドも、クリエイターエコノミーにとって追い風となり得る。Web3の下では、NFT(Non-Fungible Token、非代替性トークン)などのトークンを用いてクリエイターの創作物の所有権移転や管理がなされ、創作物の価値がより正確にクリエイターや個人に帰属させやすくなる。これをマネタイズ手段のさらなる多様化という文脈で捉えると、クリエイターエコノミーを促進させるインターネットのトレンドの一つと捉えることができる。

8. インターネット以前との対比

インターネットにおけるコンテンツのマネタイズ手段が長らく広告であったため、消費者にとってインターネットのコンテンツは無料であるというのが常識になっていた。現在、スマホでウェブメディアの記事やニュースを見ている人も、その多くが無料でコンテンツを消費している。

一方で、インターネット以前の状況を考えてみてほしい。たとえば電車の中で何かしらのコンテンツを消費する場合に、昔は本や新聞を読んでいる人が多かったではないか。本にせよ新聞にせよ、お金を出して購入したコンテンツである。たまに広告によってマネタイズしている(消費者にとっては無料の)フリーペーパーを読んでいる人もいたが、あくまで乗車時間を潰すための暇つぶしという色合いが強かった。割合としては課金コンテンツがマジョリティで、広告コンテンツは一部だった。

一方、現在電車に乗っている人をみると、多くの人がスマホを見ており、その大半は無料の広告によって成り立っているコンテンツである。つまり、課金と広告の割合がインターネット以前と現在で逆転している。前述のとおりインターネットにおける広告は収益性が低いため、無料で消費されるインターネットにはクリエイターが時間と手間ひまをかけた、質の高いコンテンツは構造上乗りにくいということになってしまう。インターネットで広告費を稼ごうとすると、手っ取り早くページビューを稼ぐために、過激なタイトルで煽ったりともすれば意図的に炎上させることが近道になってしまう。経済学におけるレモン市場のように、消費者にとっては、インターネット上のコンテンツの質が下がると、なおさら自らがお金を払って消費する対象ではなくなる。

インターネット以前のメディアは、出版にせよテレビにせよ新聞にせよ、メディアとしての優れた伝達(Distribution)と、魅力的なマネタイズ(Finance)の仕組みがあった。これらのDistributionとFinanceが上手く噛み合って強力なエコシステムを形成し、高い収益がコンテンツを創作(Creation)した側に還元されることで、継続的にすばらしい作品が数多く生み出され、メディア産業が大きく発展した。

メディアのエコシステムとインターネットの課題(note株式会社 会社説明資料より引用)

しかしながら、すでに見たようにインターネットにおけるメディアのエコシステムはインターネット以前ほど十分には機能していない。このエコシステムの不完全性、主要なマネタイズの方法が長らく広告に依存してしまっていたことは、インターネットにおける情報流通、コンテンツ流通の弱みであった。それが、広告以外のマネタイズ手段の多様化により、質の高いコンテンツに対する正当な対価が支払われるようになったことで、インターネット上でマネタイズできるクリエイターやコンテンツの種類や幅がひろがり、クリエイターエコノミーを後押しすることになったのである。

9. クリエイターエコノミーとメディアの未来

前述した「ウェブ進化論」では、Web2.0の潮流によって引き起こされるインターネットや社会の変化について書かれており、その内容は出版から15年以上経った現在から振り返っても概ね的を射ている。一方で、同書ではクリエイターのマネタイズについては懐疑的な見方をしており、「総表現社会で表現者は飯が食えるのか」と題した項で以下のように記載している。

先進国の表現者が「飯を食う」すべは、相変わらず既存メディアに依存し続けるだろう。そんな状況が相当長く続くのではないかと思う。消費者である私たちは、ネットの世界とリアルの世界の両方で生き、相変わらず、テレビを見て、新聞を読み、雑誌を買い、ハリウッド映画を見て、DVDも買い、人気作家の長い小説を本で読み、人気ミュージシャンのCDを買い続けるのだ。かなり遠い将来までこの構造が崩れず、これまでの世界にとどまるほうが経済合理的だと、「飯を食う」ことを重視する表現者の多くが判断し続けると予想できるからである。

梅田望夫著『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる』(筑摩書房・2006年)より引用

Web2.0は多くのクリエイターを世に羽ばたかせたが、「ウェブ進化論」が記述したようにマネタイズ面で課題があった。しかし今、課金という選択肢が広がり、クリエイターが伝統的なメディアを通さず自分の考えをダイレクトに発信して、マネタイズもできるクリエイターエコノミーの世の中が到来した。SNSの普及で個人のメディア化という言葉がよく使われるが、メディアは情報を届けるだけでなく、エコシステムという観点ではマネタイズするところまでセットだと考えている。インターネットの外が主軸の伝統的なマスメディアのビジネスは、広告モデルもあれば課金モデルもあるが、リーチや収益性の観点からそれらを選択して強固な収益モデルとエコシステムを作り上げていた。現在、ようやくインターネット上のコンテンツにおける収益源の選択肢が伝統的なメディアの水準に追いついたことで、真に個人がメディア化する環境が整ったといえる。

それでは、個人が自由に発信してマネタイズできる、個人がメディア化する時代において、既存のマスメディアはどうなるのか。メディアのエコシステムのフレームワークに即して考えると、伝統的なメディアは、インターネットにおいてコンテンツを届け(Distribution)、マネタイズ(Finance)するのは、オフラインでのそれと比べ相対的に得意でない。一方で、コンテンツを創る(Creation)ことに関しては、これまで蓄積したノウハウや資金力、ブランドなどの観点から個人と比べ一日の長がある。また、情報伝達の公平性や公益性の観点から、個人の発信とは異なる役割を社会から期待される部分もある。大規模なメディア企業でないと実現できない、お金と手間ひまをかけたクオリティや社会的意義の高いコンテンツを、デジタル時代に合ったチャネルとマネタイズ手段で適切に展開すること。それができれば、個の発信と差別化された優良なコンテンツ企業としてメディアのビジネスモデルを進化させられる可能性はあるのではないか。

そのためには、情報を伝達するための本や新聞、テレビといったフォーマットやデバイスは、デジタル時代に合わせて形を変えていく必要がある。既に電子書籍やネット配信などの形で新しい流通経路でのコンテンツ配信が見られるが、現在はまだ既存の出版物やテレビ番組をオンラインに載せて配信する形が大部分だ。ネットの番組がちょうど1時間の尺である必要はないし、スマートフォンやタブレットで読むコンテンツのテキスト量が本のように200ページもあるのは多すぎる。固定観念に縛られず、時代に合わせたフォーマットでコンテンツを流通させることが、クリエイターエコノミー時代におけるメディアのあり方として重要だと思われる。

10. 産業としてのクリエイターエコノミー

ここで、産業としてのクリエイターエコノミーの規模を把握するため、定量的なデータを紹介したい。後に紹介する一般社団法人クリエイターエコノミー協会と三菱UFJリサーチ&コンサルティングが共同で実施した調査によると、日本におけるクリエイターエコノミーの市場規模は約1.36兆円、国内のクリエイター数の推計は822万人(趣味として活動しているクリエイターを含む)となっている。全国出版協会・出版科学研究所によると、紙の出版市場(書籍・雑誌の合計)が約1.2兆円ほどなので、クリエイターエコノミーの市場規模は既に紙の出版市場よりも大きくなっていることがわかる。

三菱UFJリサーチ&コンサルティング(2022)「国内クリエイターエコノミーに関する調査結果」

同調査では、将来的にクリエイターエコノミーの国内市場規模が10兆円に達する試算もなされている。どこまで順調に市場が成長するかはわからないが、世の中の流れとして経済活動における個人の比重が高まるのは間違いないと見ている。ただし、それには政治や行政の制度面の支援や、活動のための社会的インフラが重要となる。

11. クリエイターエコノミー協会の設立

クリエイターエコノミーの主役は、それを構成するクリエイター、すなわち個人である。これまで情報を発信したりサービス提供をする主体は会社・法人であり、個人はそのモノやサービスの消費者という構図が一般的だった。一方、クリエイターエコノミーがひろがる世の中では、個人は消費者であると同時に、情報の発信者、サービスの提供者にもなる

伝統的な消費者保護は、企業と消費者である個人の取引において、情報や交渉力などで不利な立場に置かれがちな個人を保護するという目的で制定された法律や制度が多い。クリエイターエコノミーで個人が情報を発信し、サービスを提供する側となる場合に、サービス提供者の概念が伝統的な法制度の想定から外れることになり、クリエイターの活動が阻害される可能性がある。

出所:一般社団法人クリエイターエコノミー協会(2021)「クリエイターエコノミーとは」

このような問題意識から、私が所属しているnote社と、YouTuberなどのクリエイターのサポートサービスを手掛けるUUUM社、個人が簡単に自分のネットショップを開設できるサービスを提供するBASE社の3社が代表理事となって、2021年に「一般社団法人クリエイターエコノミー協会」が設立された。

個人が多く全体としてのまとまりや交渉力が弱くなりがちなクリエイターを保護し、クリエイティブ活動の普及・促進やクリエイターの活躍を後押しするための政策提言などを行うことをミッションとした団体である。

政策提言という文脈で、たとえば特定商取引法という、通信販売等において売り手の住所や電話番号などの情報を開示しなければいけないという決まりがあった。しかし、個人が売り手となるクリエイターエコノミーにおいて、住所や電話番号などの個人情報を開示しなければいけないとなると、クリエイター活動を行う上での大きな心理的ハードルとなってしまう。消費者保護というそもそもの法律の目的は当然重要で守られるべきものだが、その方法として現代のインターネット社会、クリエイターエコノミーの時代に即していないという問題が生じるのである。

これに対し、クリエイターエコノミー協会が消費者庁や経済産業省、政治家などと議論を重ねた結果、一定の条件を満たせばクリエイター個人ではなく、プラットフォームの住所や電話番号を記載する運用で問題ないとする見解を消費者庁から受けることができた。

このほかにも、文化庁や国税庁などの省庁に対してパブリックコメントの提出や政策提言をしてきており、それらのクリエイターエコノミー協会による業界の盛り上げもあってか、2022年の政府のいわゆる「骨太の方針」(正式名称は「経済財政運営と改革の基本方針2022」)に「クリエーターの創作活動の支援」という文言が入れられた。

これは、元官僚の私からすると、エポックメイキングな出来事であった。骨太の方針のような政府の重要方針に取り上げられる施策は、少数の人間の利益になることではなく、これからの日本および日本人にとって重要なイシューということである。官僚の時は個人から世の中が変えられるということはとても想像できなかったが、個人やスタートアップから生まれたクリエイターエコノミーのトレンドが、政府を動かし、法制度のアップデートや国の経済成長のための重要方針と位置付けられているまでになったこと、社会が変わっていく様子を目の当たりにしたことが、とても印象深く感じられたのである。

12. スタンフォードの学び:世界をより良い方向へ変える

インターネットの進歩はとても速く、次々に新しい技術が生まれていくため、クリエイターエコノミーのトレンドが今度どのように発展していくかは容易に想像できない。ただ、個人が自由に発信し、組織ではなく個人としての発信やビジネスをしていく人が増えていくのは、マクロでは間違いないと考えている。そしてその個人は、アーティストや作家など、何か特別な才能を持った人たちだけに限られない。普通に会社員として生活している我々だって、自分の考えや仕事上の成果をどんどん発信していくことで、新しいキャリアにつながったり、仕事以外の世界に自分の仲間がひろがったりすることもあり得る。

意識していないかもしれないが、人は誰でも日々をクリエートして生きている。その意味では誰もがクリエイターであり、自らがクリエイターとして、世の中に新しい価値を生むことは誰だってできるはずだ。個人的には、個人が好きなことや才能を活かして活躍することが当たり前になり、クリエイターエコノミーという言葉が当たり前になって語られなくなるくらいの世の中になるのが、望ましいと考えている。

スタンフォードのビジネススクールには、"Change Lives. Change Organizations. Change the World."というモットーがある。ファーストキャリアとして官僚を選んだのは、世の中に良いインパクトを与えたいという想いからだった。スタンフォードへの留学を経て私自身の人生が変わり、現在はメディアに関わるスタートアップ企業で情報流通、クリエイターエコノミーの未来に取り組んでいる。官僚時代とは立場やアプローチは異なるが、世の中に良いインパクトを与えるという気持ちは変わらない。スタンフォードでの学びや経験を活かして、これからも世の中を前に進めるチャレンジを続けていって、世界をより良い方向に変えていきたい。

引用・参考文献

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