見出し画像

日本史23 学問の神、降臨

タヌキって死んだふりして、そのまま車に轢かれて、ほんとに死んじゃうことあるんだって。

かわいそうじゃない?

藤原基経の亡くなって、やっと宇多天皇がやっと自分自身で政治をおこなえるようになります。
宇多天皇って実は藤原基経のことめっちゃ嫌いだったから、藤原基経の死後は藤原氏を遠ざけて、かわりに学者であった菅原道真を蔵人頭に任命して、政治を手伝ってもらいます。

菅原道真のイメージ図

この菅原道真は、宇多天皇に、遣唐使の中止を提案したんですね。
遣唐使って結構前からあったじゃないですか。
男で有名な小野妹子も遣唐使だったじゃないですか。
その時からずっと遣唐使として、中国に留学生を送ってたんですよ。

でも、日本が平安時代に入った頃から唐は衰退し続けており、宇多天皇の頃には滅亡まもなく、っていうような状態だったんですね。

ギリギリの唐


菅原道真は、
「そんなギリギリの、滅亡寸前の国に、リスク払ってまで留学生とか送るのおかしくない?」
って思ったんですね。
だから、遣唐使の中止を提案し、結果的に、その頃から遣唐使は派遣されなくなりました。

実際、派遣中止の13年後に唐は滅亡してしまったんですね。
菅原道真、さすがって感じです。

「道真すげーや」


遣唐使が廃止されてから、中国との交渉がなくなったので、政治や文化は日本風の要素が強まるんですね。
これを「国風化」なっていったります。

そして、この頃から有力農民や豪族、下級貴族の子孫が武装化して、武士っていわれるようになります。
これが、武士の始まりですね。
来ましたよ、遂に、武士が。


この武士を、貴族たちは警備員として雇うようになるんですね。
こういうガードマン的な武士を「侍」っていうんですね。

(´_ゝ`)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?