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生まれたてのうた

こんにちは、水源純です。私は「五行歌の会」の事務所ではたらいていますが、そこでの、とある日の、なんとはない光景の話です。

事務所のソファでは草壁先生がときどき、新聞の五行歌欄の選をしている。季節柄、投稿歌が金木犀の歌ばかりだったようで、「そういえばまだ金木犀の匂い、嗅いでないな」と呟いていた。

スタッフの女性陣が「すぐそこにありますよ」と、事務所を出て20メートルくらいのところに咲いているとおしえてあげると、早速見に行っていた。

5分くらいして戻ってきた先生は「歌かけた!」とうれしそうに紙にサラサラ書きつける。書き終えると、満足げに自分のデスクにはらりと放して、またソファに戻り選を続けた。

昔から先生は、そのへんの紙に歌を書きつけては、そのへんにはらりと置く。事務所の一角のあたりまえの光景だった。いまは週一程度、数時間しか事務所にいらっしゃらないので、この光景は久しぶりに見た気がした。

この日は月刊五行歌誌の11月号の入稿の日だったので、私にもすべき仕事がたくさんあったが、なんだか気になってデスクの上の紙を遠目に見る。私のところからは、立ち上がって手を伸ばせば届く距離でもある。

生まれたてのうたが書かれた紙は、心なしか息づいている、気がする。見て欲しそうに息づいていたので、そっと盗み読みした。今さっき見てきたらしい金木犀の木が紙の上に佇むようだった。

生まれたてのうたは、普段はじぶんのそれしか見ることがない。ときどき、だれかのそれに触れると何とも言いがたいきもちになる。芽吹いたばかりの木の芽とか、草とかと似ている。そういえば、草稿ということばがあった。

 生まれたての
 うたを
 いちばんに見る
 ただそれだけの
 充足        水源純

さいごまでお読みいただきありがとうございました。
この日入稿した11月号の巻頭言は「書いた文字の時代はどうなる」という題です。ものを書く方々にはとくに興味深い内容だと思います。ぜひぜひ。

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