空を飛べなかった人のギター講座

プロット1(仮)

 私は多くを望まなかった。ただ、私が好きになったあの子と、私たちが出会うきっかけとなったアコースティックギターを互いに弾いて、それでいつまでも二人で笑い合いたかった。それだけだった。

 高校3年生の冬、きっともうあの子とは会話することもなく卒業式を迎えるのだろう。母親の車で買い物に行く途中だった。CDを聞かない母親はAMラジオを掛けていた。女性パーソナリティのラジオ番組で、今日のリクエストは“サ行が付く音楽グループでサ行のタイトルの曲”を募集します、と言っていて、その最初のリクエストがスピッツの『空も飛べるはず』という曲だった。

 母親が、懐かしいわね、スピッツって今も活動してる? と訊いてきたので、私は淡々と、してるよ、と答えた。そういえば私とあの子が仲良くなったのはスピッツの曲がきっかけだったなと流れてくる曲を聞きながら、頭の中で時を高校一年生の頃へと巻き戻した。今になって思い返せば幸福な時間だったのだろう。しかし今では心に刺さり続ける小さな棘のように、ほんのちょっとの小さな痛みとして、私はあの子との出会いや2人でいた時間をいつまでも忘れないだろう。

 車のラジオから『空も飛べるはず』のサビが流れる。君と出会った奇跡がこの胸にあふれてる、きっと今は自由に空も飛べるはず。その歌詞が頭の中に入ってきた時、私は衝動的にAMラジオのチャンネルを変えた。母親が、ちょっと、いいところで変えないでよ佐奈、と言い、再び元のチャンネルに戻した。スピッツでは好きな曲だが、今は聞きたくなかった。

 ごめんお母さん、この曲聴くの何か飽きたなーって。そんなことを母親に話して、黙った。車の横の窓から流れる景色をずっと見続けていた。空なんか飛べなかった。飛ぶ勇気が無かった。空を飛べるのは一生懸命に、ひたすらに、先の事など考えずに小さな羽を羽ばたかせる努力をした者だけだ。そして高い所から飛び立つ素直な勇気を持つ者だけだ。スピッツの曲を、特にアルバム『空の飛び方』の曲を聴くと、私は今でも私たちが出会った時の頃を思い出す。

 軽音楽部が無い高校で、あの子は一人ぼっちでギターの練習をしていた。まだコードも押さえられない指、思っていたところとは違う弦を弾くピック。あの子は高校に入ってからギターの演奏を覚えようと、中古のチューニングさえされていないアコースティックギターをどこからか少子化の影響で今はもう使われなくなった空き教室に持ち込んで、その空き教室の隅っこで、一人、一人ぼっちで、不器用に、初心者用のギター教本を見ながら、ギターを弾いていた、とはとても言えない。ただ誰もが一発で初心者だとわかる危なっかしい音を、ただ鳴らしていた。授業の時はセミロングにしている髪を、ゴムで小さなポニーテールにして。真剣な表情で。違う、こうじゃない、と呟きながら。その姿には覚えがあった。数年前、中学生だった昔の自分だった。

 私は中学の頃にバンドを組んでいた。最初はいつも話している友達が、今ガールズバンドが流行っているからバンドやろうよ、という軽いノリで始まり、ちょうど四人いたので、誰が何やる? と、きゃいきゃいと話し合って、何かをやろうとする事を話すのが楽しくて、佐奈ちゃんは顔が綺麗系で身長も高いからギター似合うよね、とか話し合って、その話も飽きてそれで終わるのかなと思っていたら、友達の一人が兄が持ってたドラムセット奪ってきたというちょっとした事件があり、それで本当にバンドをやろうとなって、私はギターを買った。

 ギターの種類やブランドとか、何もわからなかったので、とりあえず手ごろな値段のアコースティックギターを買ったら、友達みんなからエレキじゃないの? と、つっこまれて、エレキって何か弦が、さ、何か硬そうで指痛くなりそうじゃんか、と、よく分からない言い訳をして、それで中学生であった私たちのバンドが始まった。

 目標はCMでよく流れているガールズバンドの曲を弾けるようになる事と皆で決めた。とりあえず全員、楽器について初心者だったので、とりあえずなんか上手くなったと思うまで、それぞれ個人練習にしようと決め、私はギターを覚え始めた。1週間や1ヶ月ではどうにもならなかったが、2ヶ月目から何となくコードの押さえ方を覚え、やっぱり指の皮が剥けて痛くしながらもコードの練習は続けて、皆もそんな感じで、半年経ってから、たどたどしくも合同で練習する事となった。目標がCMで流れていたガールズバンドの曲一つだけだったので、それだけを練習していた。飽きることなく。

 そして1年後には何とか弾けるようになり、皆も同じように演奏できるようになって、欲が出てきたのかもしれない。他の曲もやってみようという事になって、佐奈はエレキ買いなよ、と皆が言うので、ちょっと高かったけど形が気に入ったエレキギターをお小遣いと親の仕事を手伝うバイトのお金で買った。初めて自分だけの物のエレキギターを手に入れた事で嬉しかった。アンプとかは買えなかったので、エレキギターをやっているという私たちのグループとは違うクラスメイトの兄なのかわからないけど貸すだけならいいよという事で貸してもらった。そして、アンプとギターを繋げて、音量は控えめにしながらも自分のギターを鳴らした瞬間、私も、近くで聞いていた皆も、衝撃を受けた。音楽の番組やラジオやCDやMP3でよく聴く音なのに、ただ聞くのと、自分で鳴らしてみるのとでは全く違っていた。

 弦を弾くとアンプから音が出る、当たり前の事なのに、私はもうギターに恋をしていたのだ。そして、なんだかイケるのではないかと皆が盛り上がって、ここで私たちのバンド名を決めようと、何日間話し合っただろうか。あーでもない、こーでもない、その名前既に使われてるよ、とか、可愛いのがいいよね、とか、バンド名を決めるためだけに四人で一緒に四人の中の一人の家に泊まったりなんかして、四人の名前が私が佐奈、ベースが智恵、ボーカルが亜実、ドラムが理里だったのでその頭文字からSTARをどこかに入れたいよね、という話になって、最終的に『ストロベリ・スターフライヤー』という名前に決まった。何故「ストロベリ」というか苺である「ストロベリー」が入ったかというと四人で泊まった時に食べたのが苺のショートケーキだったからだった。本来なら『ストロベリー・スターフライヤー』となるはずだったが、それだと発音的に伸ばす音が多くてなんだかしまらないので『ストロベリ』となった。

 そして3年生の受験前まで活動は続いていた。私が受験勉強を理由にして抜けるまで。ちょっとしたライブハウスにも出たりしていたのに、高校でも同じところに進学して高校でも続けようと皆で言っていたのに私が抜けたのは、上手く弾けるようになってから初めて気付く、プロとの技術の差というか才能の差だった。続けていてもこれ以上上手くならないだろうと自分でわかってしまったのだ。そして『ストロベリー・スターフライヤー』は解散、私とボーカルの亜美は同じ高校に進学して、他の二人は別の高校に進学した。

 だからこそ、使われなくなった空き教室で一人ぼっちで練習しているあの子を見ていると、胸が痛む。高校からギター始めても遅いんだよ、と。あの子が使われなくなった空き教室でギターを練習しているという事は、まだ私しか知らない。秘密にしておこうと思ったのだ。あの子の不器用にギターを練習している姿は、胸が痛くなるほど切なくて、愛おしい。今から覚えても遅い、という思い上がりな達観の諦めと、真剣に頑張ってるあの子に頑張れと応援したくなる気持ちがごちゃごちゃに混ざっていた。

この時はまだ、私はあの子の名前を知らない。

#創作大賞2024

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?