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モンテッソーリの短所

先回は私が考えるモンテッソーリ教育の良い点をあげましたが、今回は短所というか難しい点を挙げたいと思います。
実は良いと感じている点と違い一点しかありません。ただこれは良い所をすべて覆すくらいのインパクトがあります。
それは、

先生の力量によってクラスの質が、もっというとモンテッソーリ教育といえるのかどうかさえ怪しいものになるという事です。

従来型の教育は先生はマニュアルに沿って一方的に授業を進めるものです。教師もマニュアルに沿ってやればとりあえずいいので良くも悪くもどのクラスも同じ様な授業が展開されます。
それがモンテッソーリ教育では各生徒の興味進捗を観察し自主的な学習を促すのが先生の役目です。
これは難しい。
そして子供達の学校でも実際力量や志の低い先生はすぐ生徒を叱り罰を与えて生徒をコントロールしようとしている現実があります。
罰というのは例えば、休み時間を取り上げられる、校長先生の部屋に呼ばれて説教されるなどです。
結局先生の力量の低さをルールを作る事や管理的なる事で補ってしまっていると感じています。

メキシコは一般的に教育のレベルが低いと思います。
理由は階級社会である事などさまざまな要因があると思いますが、日本の学歴社会でもない、また欧米のように人間の持っている能力を開発していこうというのでもない独特の姿勢があるように見えるのです。
もちろんメキシコは資本主義ですので勉強したり能力を磨いいたりしてお金稼ぐという所に価値をおいたりしているとは思うのですが、とにかく目的地に向かって現状を観察して改善しようという発想がない社会に見えます。私には。

良くも悪くもその日暮らしというか、、。
例を上げるとメキシコでは給料日が月2回が一般的です。月給を一度に渡すと全部使ってしまうからだそうです。実際出張費の立て替えが出来ないメキシコ人の話もちらほら聞きます。

今日家族皆んなと楽しくご飯が食べれて楽しかったらOKで幸せという感じで、将来の為にバリバリなんかするという姿が想像できません。もちろん一部の都会のエリートにはそういう人もいるのでしょうが、田舎町の私の身近なメキシコ人にはいません。

また例えばコロナで学校のリアル授業が一年半出来なかった時も然り。
生徒中心型の学習は当然従来型の学習と違ってオンライン学習は難しいです。
でももうちょっと改善できないものか。。というか改善しようという姿勢が見られない、ひたすら時が解決するのを待つというのは非植民地時代の名残なのか。。
実際そんな彼らの姿勢に愛想をつかし半年程学校を辞めて自宅学習に切り替えたりもしました。

話は少しそれましたがつまり子供達の学校も本家本元から言わせればモンテッソーリ教育とはいえず、またあらゆるオルタナティブ教育は先生の力量にかかっているともいえると思います。

では、何故今の学校にずっといるのか。
子供達が学ぶ楽しさに目覚めているとは思えないけども、従来型の教育の他の学校よりは子供のストレスも少ないかなという消去法です。
またコロナの学校閉鎖で一年半子供達とずっと一緒だった私にとって、学校は彼らを預かってくれるだけで有難い存在なのです。


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