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過去の自分への罪滅ぼしに、生きづらい誰かの味方でいたい

昔のちきりんの日記を見て感激する

ちきりんさんのブログの、とある記事に出会いました。
私は初めて見たのですが、名文は時間が経っても色あせませんね。

12歳の時の私のために (Chikirinの日記 2016年1月10日)

私はちきりんさんほど賢い子どもではなかったので、12歳の頃はなんで自分が困っていて、どうすれば自分が救われるのか全く分かっていませんでしたが。

ただ私が叶えたかった想いが、これを読んだおかげで今ならうまく伝えられそうです。
それは、「どこかにいる、今を生きづらい人に届いて欲しい。」それと「私の文章を読んだ人の生きづらさが少し軽くなって欲しい。」というものです。

生きるのが苦しい人に伝えたいことはひとつだけ

私は、少し前までは程度の差はあったもののずーっと苦しんでいました。

原因は、私が私の味方をしてあげなかったからです。

今もしあなたが生きているのが苦しいなら、あなたがあなた自身の味方をしてあげてないからじゃないかと思うんです。

もちろん周りの環境のせいで苦しめられることはたくさんあると思います。
でも、自分さえ自分を否定しなければ、なんとかなるときってあるんじゃないかな…と私は感じていて。

例えば私がいじめられていたとしても、私が私の味方なら、悲しくても生きることまで苦しくはなりません。
味方の私を守ってあげるために、逃げる方法や仕返しの方法を考えたりできるからです。

でも、少しでも「私が我慢すればいいんじゃないか」「私にも悪いところがあるんじゃないか」と考えてしまうと、途端に生きるのが苦しくなります。

もちろんいじめる奴が悪いのです。
いじめられた方が気の持ちようを変えて対策すればいいと言っているわけではありません。

でもあなたはそんな、自分の人生のたかが脇役の一人が言うことのために、自分の味方をやめないで欲しい…自分で自分を見捨てて苦しまないでということを伝えたいんです。

傷つくものは受け止めなくていい

ブス!と言われて傷つくのは、私ってブスなのかもしれない…と思ってしまっているからで、「私めちゃくちゃかわいいやん?なに言ってるんだろう?」と感じられる人は傷つかないんですよね。

「あなたには学歴がないのね」と言われて傷つくのは、学歴がない自分はダメだ…と思っているからで、「学歴なんかなくても今こんなに幸せにやれてるんだしむしろお得だったのでは?」くらいに思えている人はそんな言葉に傷つかないはずです。

もちろん人の傷つくことを言ってくる人が悪いのは間違いないことなのですが、それをまともに受け取って丁寧に飲み込んで傷つく必要もないのではないだろうか…というのが私の人生の対処法です。

昔の私は私の味方じゃなかった

自分が自分の味方をすれば生きていける。
これだけのことをただ伝えたくて、繰り返し似たようなことを書いています。

12歳のとき、ただただ大人の顔色をうかがって、いい子でいたいとがんばっていたとき。
17歳でクラスになじめず、先生に褒められていたってなんの役にも立たないと知ったとき。
19歳は本当の自分はどこにいるのか、やりたいことはなんなのかが分からず一人で悩んでいました。
21歳で自分でも正体の分からないストレスに囲まれて耳がうまく聞こえなくなったときもありました。
25歳で無理やりに親元を離れて就職して、誰にも弱みを見せられなかったときも。

それぞれのときの私は、心の奥底の私が助けを求めているのに味方になってあげようとしていませんでした。
どこかにいるはずの理想の私になろうとして自分を変えて、鍛えて、このままじゃダメだともがいていました。

だからあらゆる言葉に傷ついて、自分というものがよく分からなくていました。
このままの私は"欠けていて"、なにか資格や能力を付け加えないといけないと思いこんでいました。
人の迷惑にならずに、誰にも寄りかからずに自立して、ちゃんとした生活をしないといけないと思っていました。

今は全くちゃんとしていませんが、全然平気です。それは、私の理想は私が望む私ではないということに気がつけたからです。

誰にも頼らず寄りかからない人なんてあんまりいないし、そもそもドジでうっかり屋の私がそんなのは無理。
困ったときは誰かにでもSOSを出した方がいい。(それも早めに!)
うまくいっているときに、困っている人がいればその人の役に立てればそれで巡り巡って良しとする。

ダメな私が嫌ならその人は離れていくんだから、今そばでいてくれる人には素直に甘えてちゃんと感謝しよう。その分、お礼だけは気持ちよく言おう。
離れていった人は悪く思わずにいよう。相手も自分も、これから嫌な思いせずに済むんだから。

人から感謝してもらえたら、あの時かけていた迷惑が巡り巡って消化できたのだと謙虚に受け取ろう。
子供の時に思い描いていたイメージどおりの普通の大人ではなくても、歪なわたしを乗りこなしてきたと思えばよくやっていると思おう。今だってそんなに悪くないんだから。

あの頃それぞれの苦しむ私のそばに行って、味方になってあげたいのです。

それはもう今さら叶わないので、今、ちょうどあのときの私と同じように生きることが苦しい人に、メッセージをずっと書き続けます。

私はこれを読んでくれたあなたの味方になります。あなたがもしあなたのことが好きになれなかったとしても、あなたの味方でいます。

ネットなどでは失礼なことや勝手なことを言って炎上しまくっている人もたくさんいますよね。
それもやっぱり、自分が味方かどうかで変わるんだと思います。
世界中が自分の敵だらけでも、自分が自分を熱烈に味方してがんばっている人なら、生きることが苦しいなんてことが起こらず炎上していられるんでしょうね。

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